2014年9月号

View Point

内田 道樹さん内田 道樹(うちだ どうじゅ)

善光寺寺務総長
昭和28年生まれ。日本大学法学部卒業。平成4年常住院住職任命。事務局次長、法務局次長、法務局長と、代表役員を歴任し、平成26年より善光寺寺務総長に就任。

 

必要だが普段は気付かない
空気のような存在として、善光寺は
市民の中に溶け込んでいたい

  約1400年の歴史の様々な場面で、善光寺は地元の人や信者に支えられてきました。御開帳とは一言で言うと、こうした 皆様への恩返しです。たくさんの方に、前立本尊様にお会いいただき、回向柱に触れていただきたいと思っております。そして、善光寺は普段からもっと地元へ 目を向け、地元の皆さんへ発信することで、このまちと人との結びつきを強めていけたらと願っています。

御開帳は、
地元と信者の方々への恩返し

── 善光寺御開帳がいよいよ来年に迫るなか、寺務総長はどんな想いでいらっしゃいますか。また、新幹線が延伸することもあり、今回の御開帳に対する地元の期待も大きいかと思います。その辺りについてはどのようにお考えですか。

内田 御開帳とは、一言で言えば、人々に対する善光寺の恩返しです。私たちは毎日のお勤めの最後に回向文という言葉を唱えます。「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」。意味するところは、こうして仏様から授かった功徳が、すべての人々に行き渡りますようにとの願いです。ご 先祖を供養したり、お子さんの健全育成を祈願したり、そうした個々の人々の祈りが、巡り巡ってすべての人に行き渡りますようにと、私たちはお祈りしていま す。御開帳は、善光寺を参ってくださった皆様の祈りが功徳となって、7年に一度すべての人に向かって放たれる機会なのです。ですから、善光寺を支えてくだ さっているすべての皆様への恩返しだと申し上げました。
 善光寺には1400年の歴史がありますが、その間いろいろなことがありました。たとえば戦国時代の弘治元年(1555)と言えば、第三次川中島の戦いが あった年ですが、これより43年間、善光寺のご本尊様は、武田信玄、徳川家康、織田信長、それから豊臣秀吉と、次々に各武将の手に渡り、ここ長野にはい らっしゃいませんでした。弘化4年(1847)の善光寺大地震では、善光寺平一体が壊滅状態になりました。明治24年(1891)の善光寺大火では、門前 町全部が焼失しました。近いところでは、昭和40年(1965)の松代群発地震でも、善光寺は災厄に遭いました。
 そんな折々に、地元の方の協力や信者の方々の助けがあって、善光寺は復興してきたわけです。そういうことに対する恩返しとして御開帳があるのだと私は考えています。
 新幹線のことにつきましては、「金沢まで延びる」と考えず、「金沢から長野へ来る」と考えてはいかがでしょう。信越線は明治時代に開通しましたが、乗り 継ぎが不便だったため、北陸地方から長野に来るのは大変なことでした。新幹線で結ばれることで、金沢から長野に人がいらしてくださる訳ですから、来てくだ さった人を大切にすれば、それが必ずリピーターにつながるはずです。
 また、北陸地方は、親鸞聖人が開いた浄土真宗の檀徒さんが多くいらっしゃいます。善光寺は、聖人が逗留され聖地となっていますから、これをご縁に、北陸の信徒の皆様にたくさんおいでいただきたいと思っております。

開かれた寺、善光寺を
身近に感じてください

── 御開帳の期間中、善光寺にお見えになる方に、どんな経験をして欲しいとお思いですか。

内田 何と言っても、前立本尊様にお会いしていただくのが一番です。そして、ぜひ回向柱に触れてください。回向柱の回向とは、先ほども申し上げましたが、すべての人に功徳が行き渡りますようにという祈りを意味していますから。
 皆さんご存知のように、本尊様が全くの秘仏というのはたいへん特殊なことです。この機会に前立本尊様のお姿と向き合っていただくこと、特に、毎朝のお朝 事の際には、大僧正様が前立本尊様のお厨子の扉を開けられますから、その瞬間に立ち会えば、とても貴重な経験になるかと思います。
 また、善光寺では普段本堂の中で、世界平和や国家安穏のほか、すべての人の安楽な暮らしをお祈りし、また先祖代々の供養、災害や戦争で亡くなった方々の 供養などのお願い事をしています。御開帳の際には、すべての人に見えるように、そして発信する形で、こうしたお祈りをするわけです。中日庭儀大法要はその 最たるものであり、御開帳のハイライトと言えるかもしれません。
 善光寺が創建された1400年前には、日本にまだお宗旨というものがありませんでした。以来善光寺はずっと開かれたお寺として歩んできました。御本尊様 自体も、すべての人を救いましょうとの誓いのもとにあります。御開帳の折には、善光寺がこのように開かれたお寺であることを、身近に感じていただけたら幸 いです。

市民の中に溶け込んだ
空気のような存在に

── この地域の中で、善光寺はどんな存在でありたいとお考えでしょうか。

内田  先ほど申し上げたとおり、1400年の間に地元の方には大変お世話になっています。地元あっての善光寺だと考え ておりますから、皆様への恩返しが第一です。善光寺には檀家がありませんので、普段日本や世界に目を向けることが多いのですが、改めて地元の方々に善光寺 の良さを発信していきたいものです。そのためにも、今回の御開帳でも、また普段からも、来ていただいた方が満足のいくお参りをできるよう、心を尽くしま す。また、びんずる市や盆踊りなどの機会を通じて、市民の皆さんとの関係を密接にしてゆきたいと考えております。
 長野市では今、旧市街地の空洞化が進んでいますね。人口が減るとともに、まちと人のつながりが薄くなっているように感じます。つい最近のことでも長野市 で起きたことをご存知でない方も多く、もしかしたら「私は長野市民だ」という感覚が、人々の間で薄れているのかもしれません。善光寺が、その良さを改めて 地域に発信することで、まちと人の結びつきが再び強まれば幸いです。
 極端な話になりますが、善光寺は地域にとって空気のような存在でありたいと私は思っています。空気というのは、私たちに必要なものなのに、普段はまったく気が付きません。善光寺も同様に、市民の中に溶け込んだ存在になりたいものです。
 しかし、善光寺の僧侶を取っつきにくい存在だとお思いの方も多いはずです。僧侶の中には熱烈なパルセイロファンもいますし、マラソン好きで「坊走族」を 自負している者もいます。ただ、袈裟を着ていると敷居が高いのでしょうか。こうした身なりが人々に安心を与えることは、長い時間をかけて先輩達が獲得して きた財産ですが、これが逆方向に働くと、市民との間の壁になります。そこを何とかしたいとの思いはあります。その点、今の若手の僧侶は真面目で純粋で、一 生懸命善光寺の将来のことを考え、地元に対して目を向けて、積極的に行動しています。そんな彼らを応援することが、私たち年寄りの役割だと思っています。
 今、長野市民であっても若い人だと、「牛に引かれて善光寺詣り」について知らない方が多いのです。この物語の存在を当たり前のこととして、若い世代に伝 えてこなかった私たちにも責任があります。そうした意味でも、善光寺がどういう存在なのか、もう一度丁寧に地元にアピールしなくてはいけないと考えており ます。

内田 道樹さんの横顔 内田 道樹さんの横顔
お嫁に行った娘さんに男の子が生まれ、お盆や正月などの機会に会うのを楽しみにしている。普段も娘さんを介し、お孫さんとメール交換しているとか。

 


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