| |
2007年6月号 No.707 |
| いまの日本にふさわしい
企業統治機構を
構築し直すべきとき
バブル崩壊後の日本の産業と金融の未曾有の危機を回避するために設立された株式会社産業再生機構が、今年三月その役目を終えて解散した。発足と同時に代表取締役専務に就任し、業務執行最高責任者として、企業の事業再生に取り組んできたのが、冨山和彦氏である。
現在の日本企業は、何を病んでいるのか、再生の手段として何が効果的か、そして企業の継続的発展のために、今経営者が、あるいは社会がすべきことは何か、冨山氏にお聞きした。
企業再生はトップから手をつける
― 冨山さんは、産業再生機構でいくつもの企業の再生に取り組まれてきましたが、経営が破綻し再生が必要な企業を見たとき、まずお感じになったことは何ですか。
冨山 規模の大小に関わらず、本質的な問題は同じです。借金漬けで首が回らないというのは、あくまでも結果に過ぎず、肝心の事業の方が傷んでしまっていることが問題です。バブル崩壊から十年の時間が経っていますから、財務的な問題を解決するだけの応急処置では、企業は再生できなくなっています。
産業再生機構ができたタイミングも遅かったかもしれません。結果的には、企業の病状が慢性化した状態で手を打つことになりました。しかし、その初期症状では、何が病気の本質か誰も分からなかったのも事実です。
― 企業の事業が傷んでしまった理由は、何だったのですか。時代に即応できず市場戦略に失敗したのか、それとも内部のモラール(士気)低下が原因だったのでしょうか。
冨山 事業戦略が市場から乖離してしまったのは、あくまで結果です。むしろ原因は、いまおっしゃった二つ目の理由、人間的要素です。市場やお客様の声に耳を傾けるべきだと頭では分かっていても、社内の意識が内向きになっていたり、明後日の方向を向いてしまったりして、本来の力が発揮できないのです。
― 人間にたとえると生活習慣病みたいなものですか。
冨山 まさにそうです。もともと持っている遺伝子が、生活習慣により悪い方向に発現するようなものですね。長い間過剰債務の状態で、冬籠り塩漬け状態を強いられていると、企業の病も進んでいくものです。
ですから、市場との乖離を埋めるといった経営戦略的な処方箋は間違っていないものの、これを施すためには、企業の病理を遡って、その病巣に手をつけなければなりません。
― 病巣について、経営者の資質に関わる部分はどの程度あるのでしょうか。
冨山 少なくとも直接的に手を入れて、最も効果があるのが経営者です。再生が必要な会社は、「なぜこの人がトップなの」という問題も含めて、病理の結果なわけです。
― 病気の会社の体質に相応しい人が経営者になってしまっているのですね。
冨山 あるいは、経営者の体質に病理が合ってしまう。つまり、病巣として最も病んでいるのが、経営者あるいは経営陣です。再生にはそこからメスを入れていきます。もちろん、現場や中間層も病んでいるのですが、トップから手をつけるのが筋です。失敗している企業は、その逆をやっています。
― いちばん若くて優秀な人から切ってしまうのですね。
冨山 もしくは、若くて優秀な人は、それ以前に辞めてしまっています。
― 結果として、どこにも買い手がない人ばかりが会社にしがみつくという状況になりますね。
冨山 最悪はそうなりますよね。ですから、まずトップ、ミドルの順番で首を切り、最後に現場がどれだけ余剰かという議論をすべきです。
トップ人事は
優秀な若手の内部昇格が鍵
― しかし、その順番でリストラをやろうとすると、抵抗がありませんか。
冨山 ええ。大別して二つあります。ひとつは、大企業の経営者の場合です。サラリーマン経営者は順繰りにトップになりますから、たまたま自分の首が切られるのはとても理不尽なことだと思うわけです。現在の状況をもたらしたのは、自分の責任ではなく、もっと以前の経営者の責任であると言いたいのでしょう。
もうひとつは、ミドルに手をつける段階です。彼らも長年苦労していますから、ようやくサラリーマン人生の中で余裕が持てると思った矢先、首を切られることが腑に落ちません。いままで懸命に内部調整、合意形成に努めてきたわけですから。
― 平たくいうと、根回しですね。
冨山 ええ。これは稲作農耕文化が日本の社会にもたらした宿命的な部分でもあり、ある程度避けられないかもしれない。でも、企業規模が大きくなればなるほど、また、お行儀のいい優等生が増えるほど、内部調整や合意形成に使うエネルギーが膨大になります。ミドル層はそうした仕事に日々追われ、自分はものすごく忙しいと思っている。「これほど会社に尽くしてきたのに」と抵抗するのも分からなくもない。しかし、こうした抵抗を乗り越えないと、企業再生は先へ進めません。
― ミドル層をリストラする際、誰を残し、誰を切るか、非常に難しい選択を迫られる場面があると思いますが。
冨山 ポイントは、トップを交代するときに、若手のやり手を内部昇格させることです。年齢は四十代半ばほどでしょうか。これが、日本の企業の場合ベストな選択です。そして、ミドル層から下のリストラは、その若手経営者にさせるのです。
― その新しいトップが、自分寄りの人材ばかりを残す可能性はありませんか。
冨山 自分が長期政権を担わなくてはならないと考えていますから、好き嫌いではやっていられません。今後の経営に最強のメンバーが選べます。むしろ、ベテランの人の方が、好き嫌いというより、しがらみに左右されます。本来、人事というのは、その人が未来に発揮する能力を測るべきものですが、長年同じ飯を食って苦労をともにすれば、過去の苦労の蓄積の量で人事をするケースが出てきてしまいます。
― 突然若いトップが誕生すると、彼の先輩にあたる社員が不満を持ち、組織として機能しなくなることはありませんか。
冨山 意外とうまくいくものです。どんな会社でも、とりわけ大きな会社ほど、四十代半ばにもなると、十年後の社長が誰になるか、社員の意識の中でほぼ絞られてきます。また、十年後の社長と目される人の器が、彼の上司より確実に大きなことは、当の上司も承知しています。ですから、トップを内部昇格させる限りにおいて、組織は納得して動きます。
そうやって、ベストな経営人事が組めたら、企業再生は半分成功でしょう。意思決定は早くなりますし、市場との乖離もあっという間に埋まります。業績は確実に改善します。なんといっても、現場に元気が出てきます。誰をトップに戴くかは、それほど現場のモチベーションを左右するものです。やはり「企業は人なり」ですよ。
オーナー企業再生には
決断力あるトップを
― 一方で、地方企業によくあるオーナー企業の場合はいかがですか。
冨山 経営者の代替わりの際、後継者が御曹子化してしまい、失敗するケースが多いですね。昔のように、優れた番頭が彼に付くのならいいのですが、労働市場が大都会の企業に流れる昨今では、それは望めません。地方の中堅中小企業にふさわしい人材が来ませんから、番頭格が次第に抜けて脆弱になり、あとに残るのは、頼りない殿様と足軽だけという状況です。
― ひと昔前の経営者は、番頭格を何人か残して、次の代に譲ったものです。そうした忠臣を育てることをしない経営者が増えているのではないですか。
冨山 やらないのと、やれないのと両方あると思います。もともと、オーナー会社の所有と経営が一致している仕組みにおいても、どう永続的な統治構造をつくるかといった知恵があったはずです。しかし、近代的株式会社経営を中途半端に志向するなかで、経営者はそれを散逸してしまったのではないでしょうか。
僕自身、オーナー経営自体を否定しませんし、何百年も続く企業体をつくるには、上場などしない方がいいかもしれない。ただし、所有と経営の一致は、腐敗や堕落を招くリスクもあります。これを回避するために、ときに番頭格の忠臣やメインバンクをうまく使ってきたわけです。オーナー企業の場合は、永続的に事業を継承するよう、どう統治機構を構築し直すかが課題です。戦後に創業した家業型企業の場合は、特にそうですね。
― オーナー企業を再生する場合も、やはり経営トップの交代が第一条件ですか。
冨山 やはりいちばんの病巣は経営者であり、そこに手を入れるのが最も効果的です。短期的には、トップを交代して経営を強力にすることですね。その際、トップに求められる素養は決断力です。会社の内部の人間も、判断力のある人間がトップに立つことを望んでいます。長年、専制君主的なオーナー経営に馴染んできたからです。もちろん、長期的には専制君主制を継続することには限界がありますから、後から通常の統治形態に変えていく必要があります。新たにトップに立った人間が、短期的には強力なリーダーシップを発揮しながら、人事や採用の場面で次第に組織に新しい血を入れ、長期的には自律して判断のできる人材を社内に育てていかねばならないでしょう。
― その過程は、現時点で成功を収めているオーナー経営者の世代交代と同様に、難しい課題ですね。
冨山 世代交代をうまくクリアできないために、本来のポテンシャルを発揮できない会社が多いと私は思います。
実は、中央と地方の格差も、経営者あるいはそれを支える人材の質の劣化に起因するところが大きいと思います。企業の基礎構造である現場の人たちは、地方でも中央でも格差はありません。むしろ格差が大きいのは、中堅層以上です。そこがうまく機能していないがゆえに、本来のポテンシャルが発揮できないのです。ここを解消していくことが、格差問題へのひとつの答えです。
また、経済成長と格差問題は二律背反の関係にあり、格差解消が経済成長を減速させるのではないかという懸念もありますが、経営的な人的資源がうまく配置されれば、経済成長を押し上げることにもつながるはずです。
関係性で効用を生む
日本企業の強み
― ところで、アメリカ的な年俸制度や、非常に精緻な成果主義を導入して失敗している企業が多いですが、それはなぜでしょうか。
冨山 第一に、従業員のパフォーマンスを評価するとき、それがすべて個のパフォーマンスに還元できるのかという問題があります。アメリカ的な評価は、評価項目をどんどん細分化していき、パフォーマンスを測ります。しかし、現実の日本の会社は複雑系です。相互作用、関係性によって仕事が動きます。とりわけ、サービス業や製造業は、集団が発揮するパフォーマンス、関係性による効用が大きいじゃないですか。実はそれが日本企業の強みでもあるわけです。そこに、アメリカ的な評価基準を持ち込むことに無理があります。
第二に、多くの企業は、成果を昇進の材料にしていますが、過去のパフォーマンスの成果が、その人が昇進した先における能力をどれだけ反映できるかという点で、やはり疑問です。たとえば、四割打者がバッティングコーチとして本当に優秀なのかという問題です。選手とコーチと監督では、仕事の内容がまったく違うのに、過去の成果のみを昇進の材料としていいのでしょうか。
所詮そうした制度自体に無理があるのだから、評価項目を因子分解できる範囲には限界があることを知り、評価する人の裁量で見極める余地を残すことも重要でしょう。ならば、年功序列の方がいい場合もあります。まず、評価のコストが安く済みます。また、極端な話をすれば、三五歳くらいまで、つまり職場に入って十年か十五年くらいまでは、年功序列でいいと私は思っています。その代わり、会社は人材育成に経営資源をしっかり使えばいいのです。
― 入社後十五年もすれば、同期の中で上に行く人とそうでない人の差が、会社の中で出てきますものね。精密に評価しなくても、周りが認識してくれるものです。
冨山 そう。その時期まで年功序列で行って、四十過ぎてから能力主義を導入すればいいのです。ただし、そこでいう能力と成果も、同じではありません。これからやる仕事の能力適正を見るべきです。数値化できるものには限界がありますから、最後は人が人を見るしかないですよ。
地方企業に地銀が果たす役割
― 再生機構が果たした役割は、今後も必要になると思います。とりわけ地方では、その役割をどこが担っていくべきだとお考えですか。
冨山 現実的な解として、地方で再生が必要な企業に送り込める人材を持っているのは、やはり銀行でしょう。その手法は、今もって大事だと思います。地方では、その多くがオーナー会社で、メインバンクが擬似株主なのですから。
― ただし、いまの金融政策の状況下で、銀行はメインバンクとして取引先を支援する余裕がなくなってきていませんか。
冨山 そこは金融庁も含めた議論を重ねる必要があります。株式会社という存在について、理屈だけアメリカの概念を入れても、現実的には無理があります。オーナー色のない上場企業をモデルとして、会社と株主、銀行との関係をデザインしても、現実的には日本の会社の九九%がオーナー色のある企業ですから、まったくナンセンスです。圧倒的多数の会社は、メインバンクが我慢することで成り立っているのが実情です。地域の非公開オーナー企業を取引先に多く持つ地銀については、その擬似株主機能はもっと積極的に評価すべきですよ。
― 取引企業と地盤を同じにする地銀だからこそできることがあるのですね。
冨山 だから地銀については、規制でがんじがらめにするのではなく、企業再生に一定の裁量権を持たせるべきです。そうすれば、地銀も腹を括って商売するでしょうし、オーナー側も真剣に事業に打ち込みます。その緊張感が、地方経済を押し上げると思いますよ。
そもそも地方の企業と地銀は、どちらもその土地から逃れられないという意味で、すごく長い時間軸を共有しています。時間軸が同じだから、企業再生の際も、地銀なら本来の健全な企業統治を構築することもできるはずです。
若い世代の冷静な客観性が
次代を拓く
― 確かに、一握りの上場企業と圧倒的多数のオーナー経営企業を同じ物差しで測ることはできませんね。
冨山 そうです。結果、メインバンクの後ろ盾を得られず、国内の生産は次々アジアにシフトし、中堅中小が築いてきた技術も流出しています。
― どうして日本の金融は、そうした判断をしてしまったのでしょう。
冨山 日本企業の経済効用がどうやって生まれているのか、あるいは、日本企業のオーナーシップについて、あるがままに見つめてこなかったからです。日本企業の実態を冷静に見据え、本当に変えるべきもの、変えなくていいものを、自分の頭で考えて選択してこなかったのだと思います。オーナー企業は前近代的で、株主統治の上場企業は近代的だという歴史観に凝り固まると、日本企業の強みを見失います。
そもそも、なぜ株式を上場して、資本を広く浅く集める形態が発展したのか、その背景を考えてみてください。それは、国内に十分な資金がなかった十九世紀のアメリカで選択された方法です。一方、日本の場合は、銀行をつくり、そこに預金を入れてもらい、その資金で事業を運営してきました。ヨーロッパに目を向けると、グッチなどブランド企業はみなオーナー会社です。ヨーロッパの産業は、資本主義的でないものが伝統的に多く、しかもブランドが確立していたため競争力もあり、さらに帝国主義時代に植民地を通じて得た資本蓄積があるため慌てて資金を集める必要がありませんでした。オーナー会社が存続する合理性があったのです。つまり、何が先進で何が後進などという基準はないんですよ。単なる選択の問題です。
でも、日本は第二次大戦後、アメリカに先進的なモデルを求めて、無自覚にアメリカ型資本主義を導入しました。しかし、情報格差がなくなった現在、アメリカだけが先進的ではないと、若い世代はみな理解しています。
― 関係性で経済的な効用を生む日本企業の経営スタイルも見直すべきだということですね。
冨山 ええ。たとえば、間違ってもアメリカにトヨタのような企業は生まれません。逆に、社員一人ひとりに相当の裁量権を与え、個の最大限の発揮を期待するグーグルのような企業は、日本からは絶対に出ないでしょう。どちらが偉いかという問題ではなく、特性の問題です。
― そういう意味では、これからの若い世代が持っている可能性は大きいですか。
冨山 ええ。むしろ下の世代の方が、情報力もあり、客観的でクールな議論ができます。だから、企業に限らず早めに社会のリーダーの世代交代を進めることです。少なくとも、社会のあり方を決める場に、若い世代を積極的に混ぜていくことが必要です。そして、バブル崩壊前の猿真似でもなければ、アメリカの猿真似でもない、いまの日本を前提とした企業モデル、社会モデルを構築することができれば、新たな可能性も生まれてくると思います。
― いま私たちは、まさに時代の転換点に立っているのですね。本日は、たいへん有意義なお話をいただき、ありがとうございました。
|
|