
「私は細胞一つ一つまで信州人だった。今までそんなこと思ったことはなかったのですが。長いこと信州にいて信州の本を千六百冊も作ってきたから、やはり抜きがたいものがあるんですね。だから信州以外の本は作らない。そして会社維持だけのための本は作るまいと誓ったんです」。
一九七五年に郷土出版社(松本市)を創業し、地方出版界を疾走してきた高橋さんが解離性大動脈瘤に倒れたのはキャリア絶頂期だった二〇〇〇年二月。大手術の結果、幸い一命は取り留めたものの、記憶障害など深刻な後遺症に悩まされる身に。そんな状態が二年ほど続く間に会社から一切身を引き、「気がついたら何もなくなって」いました。
静岡で療養中に引き受けた原稿校正の仕事が格好のリハビリとなり、気力も体力も徐々に回復。再び出版への意欲に燃え、一生住むつもりで静岡に事務所を立ち上げたものの、「もうひとつ身体の底から力が湧いてこない」自分に気がつきました。そして〇四年二月、新天地で再スタートを切ったのです。
野沢北高校時代に同人誌を作って以来、出版一筋。「どんな状況にあっても、信州の本を出していきたい。ただそれを押し通していくだけ」と迷いはありません。
高橋さんを本作りに突き動かすのは、そのままでは埋もれてしまうものを本にして世の中に残したい、という思い。「地域にこだわって出版すれば、先人の足跡は歴史に残る。私は「一村一冊運動」をやろうと思っているんです。市町村のお国自慢を次々に本にしようと」。温めている企画は五百にものぼるという本作りの話を始めると、少年のように表情が輝きます。
「たとえば太平洋岸の山も谷もない都市のような風通しの良い地域には、郷土の文化は育たないと言います。長野県は今や文化の面でも峠や山が削られつつあり、よっぽど頑張って努力しないと独自性は保てない。だからこそ地方出版で頑固に頑張ろうと。長野県でしか通用しないと他県の人に冷笑されて結構。信州人が喜んでくれればそれでいいんです」。
苦しかった時をふり返り、「よもや再びこの仕事ができるとは思わなかった」と高橋さん。そしてこう続けました。「早飯だったのが今はゆっくりかみしめて食べている感じ。以前のように無理はできないけれど、いいじゃないか延長戦で。そう思ってるんです」。