郷土食はとても身近な料理です。だからこそ、誰にでも郷土食に関する想いやエピソードがあるはず。長野県出身の著名人、そして県内で活躍されている人たちに「郷土食」をテーマに語ってもらいました。
下伊那郡下條村出身
1973年NHK「銀座わが町」で俳優デビュー。現在はTBS「アッコにおまかせ!」、TSB「ゆうがたGet!」など活躍。
私の実家はスーパーを営んでいて、「田舎のデパート」とでもいうような何でも扱っている店でした。小さなころの記憶では、常に両親は忙しく働いていました。それこそ自分は親の寝ている姿を見たことがないほどです。そんな両親の姿を見て育ったので、配達に行くなどごく自然に手伝いをするようになりました。
私が郷土食と聞いてまず思い浮かべるのは、みりんと醤油で炊いた蚕のさなぎです。今では珍味と言われていますが、毎日のように食卓に並んでいました。またちくわカレーやさばの水煮を使ったカレーも定番でした。私が小さいころは白米もありましたが、麦飯が定番でした。白米を使った五平餅は親族が集まるときに出ました。それはやはり白米は少し貴重であったから、おもてなしの時に使われたのではないかと思います。郷土食とは違うかもしれませんが、家庭の味として大好きなのは桜でんぶやほうれん草などが入った太巻きです。
今でも長野から東京へ帰るときに用意してもらうほど好きですね。
思い返せば、郷土食にはたくさんの思い出があります。これを残していくには家族はもちろん、地域のつながりを見直すことが大事なのではないでしょうか。昔は地域に婦人会があって、さまざまな年代の女性が集まって味噌など作ったものです。人生の先輩であるお年寄りの知恵が確実に伝えていかれた場所を再び作っていくことが、郷土食の伝承に繋がると感じています。
信州の、とりわけ諏訪の郷土食といえば「鹿」だろう。なんせ肉食を禁じた江戸時代に、諏訪大社は「鹿食免」のお札を出していたほどなのだ。このお札を持てば鹿肉を食べてもバチは当たらない。
山国信州の巧みな工夫にちがいないが、この伝統を生かし、学校給食にジビエ料理を出してはどうだろう。フランス料理だけにおいしい鹿肉をまかせておくのは惜しい。
茅野市(旧諏訪郡宮川村)出身
東北大学建築学科卒業、東京大学建築学専攻博士課程修了、平成8~22年3月東京大学教授、同年東京大学名誉教授、平成22年4月工学院大学教授現在に至る。著書に『日本の近代建築㊤㊦』『丹下健三』『建築史的モンダイ』『建築とは何か藤森照信の言葉』ほか多数。建築作品に神長官守矢史料館(茅野市)、焼杉ハウス(長野市)、タンポポ・ハウス(東京都国分寺市)ほか多数。
小さいころから食卓にのる郷土料理のなかで、一番楽しみにしていたのはおやきです。「おやき」と言っても長野市や松本市のものとは違います。
よもぎを湯がいて、刻んで潰し、その湯も一緒にご飯と小麦粉と牛乳で和えてまあるく焼いたのがわが家の作り方。最後にゴマの入った砂糖醤油をたっぷりかけて食べる。小さなころの記憶にも残るくらい、ずっと食べている料理です。
飯田市出身&在住
ピアノと歌のみという演奏形態から想像できないほど幅広い音楽表現が高く評価されている。年100本近い公演を全国で展開。
長野市出身&在住
善光寺周辺の史跡案内や伝統行事の普及、絵解きの復興などを行っている。
長野市出身&在住
長野県ワイン原産地呼称制度の創設と普及活動が認められ県知事表彰を受ける。著書に『風と土のソムリエ』。
僕のお母さんはおやき、野沢菜漬け、山菜そばなど作ります。手作りなのでおやきに少し指紋の跡があったり、形がいびつだったりしますが、そういったものにお母さんの愛情を感じます。今は長野市でも定期的にライブをしますが、よく他県の芸人さんにおやきを差し入れします。そうすると最初はあまり反応良くないのですが、食べると「すごい美味しい!」と喜んでくれるのでとてもうれしいです。
僕にとって郷土食は、「食べるだけで故郷に戻ることが出来る」ものです。小さいころから食べているので、口にすると自分の原点に帰ることが出来るように感じます。
長野市出身
スマイルマークのようなニコニコ顔と高音ボイスが特徴の癒し系ピン芸人。舞台セットのようなサイズの小道具を駆使したほのぼのコントは一見の価値あり。