真田十万石 佐久間象山

~松代のあらまし~

松代藩真田十万石の城下町で有名な松代町(まつしろまち)は、長野県長野市の南東部に位置する自然豊かな町。北には千曲川が流れ、三方を山に囲まれた5キロ四方のエリアに、古代から近代までの歴史的文化遺産がぎゅっと集まっています。

特に江戸時代、真田幸村の兄・真田信之が1622年に上田から移封され、松代藩の初代藩主となって以来、10代にわたりおよそ250年間を真田家が統治しました。今もあちこちに武家屋敷が建ち並び、真田家が築いた文化風土を色濃く伝えています。それぞれの御屋敷の庭園には泉水(池)、泉水路が流れ、その一部は文化庁指定の登録記念物となっています。

「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれた、「まるごと博物館」の城下町。
歴史と文化が人々の暮らしに溶け込み、ゆるやかに時間の流れる松代のまちを、徒歩でのんびり、レンタサイクルで効率的に―。
思い思いのスタイルで、ゆっくりまち歩きに出かけませんか。

■歴史に見る松代町

<古代>

水も緑も豊富な松代には、古くから人が暮らしていました。大室や東条には古墳群が点在しています。「東条」「西条」といった地名は、荘園時代の名残として今日に伝わっています。

<戦国~江戸>

戦国時代、松代は川中島合戦の舞台となりました。武田信玄が上杉謙信との戦いに備え、山本勘助に海津城(松代城)の縄張り(城の基礎設計)をさせたといわれます。その後、武田-織田-上杉-豊臣-徳川と支配者が変わりましたが、徳川家康が天下を取った江戸時代、上田から松代に移封された真田信之が、松代城を中心に本格的な都市計画を行い、今日の松代の基礎を築きました。松代城は「日本の名城100選」に指定されています。

<幕末~近代>

幕末には松代藩出身の佐久間象山が尊王開国を唱え、新しい時代の先駆けとなりました。
明治期に入ると、松代で日本初のフランス式機械製糸場・六工社が創業されました。官営の富岡製糸場へ伝習工女として出向いた横田英(富岡日記の著者)らの技術指導によって、多くの製糸場が創業。品質の良い松代製糸が海外にまで輸出され、松代の産業振興に大いに貢献しました。
明治から大正にかけ、松代清野出身の松井須磨子が日本初の本格的な近代舞台女優として活躍。「カチューシャの唄」で一世を風靡しました。
太平洋戦争末期には大本営を移設するために、松代周辺の山に地下壕が掘られました。本土決戦の最後の砦として計画されたものの、完成を待たずに終戦となりました。

■住民によるまちづくり

昭和41年、埴科郡松代町は長野市に合併。平成5年の高速道長野インター誘致をきっかけに、住民によるまちづくりの機運が高まりました。行政の後押しを得、平成16年には築城444年目にして松代城を復元。同時に、「松代イヤー」として長野市を挙げて大々的に「遊学城下町松代、エコール・ド・まつしろ」キャンペーンを開催。松代ブランドの確立がはかられるとともに、年間80万人の観光客が訪れ、松代は「観光のまち」として全国に知られるようになりました。
さらに昨今では長野新幹線の金沢延伸を機に、100万人の観光客が訪れるまちにしようと、地元ではさまざまなまちづくり活動が活発化しています