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   2010年8月号 No.745




橋田 壽賀子
脚本家

1925年生まれ。
日本女子大学卒業後、49年松竹株式会社に入社。
59年脚本家として独立後は、数多くのヒットドラマを生み出す。
代表作に「おしん」「春日局」(以上NHK大河ドラマ)、「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)など。
93年には理事を務める橋田文化財団において橋田賞を創設。
主な受賞(章)に、NHK放送文化賞、紫綬褒章、勲三等瑞宝章など。
  

  


これからも初心を忘れず、
周りに感謝しながら、
ホームドラマを書き続けます


 さる6月12日、長野商工会議所女性会は、脚本家としてご活躍される橋田壽賀子先生らをお招きし、座談会を開催しました。今回のビューポイントはその座談会の中から、橋田壽賀子先生からいただいた貴重なお話の一部をお届けします。

テレビドラマほど
素敵なメディアはない



「なんで脚本家をやってらっしゃるんですか?」「小説を書いたらいかがですか?」と聞く方があります。
 小説というのは、自分の書いたとおりが本になりますから、そこに自分が書いたもの以上の何かはありません。ところがテレビというのは、俳優さんが演じてくれることで、自分で書いた台詞じゃなくなるんです。おっしゃる方によって、「ありがとう」の一言が全然違います。私は自分で書いた脚本をお渡しすると、後のことは演出家や俳優さんにお任せしています。だからドラマになったのを観ると、この台詞にこんな想いを込めてくれたんだと、必ず新しい発見があります。これほど楽しい商売はありません。いろんな人の力が一緒になって、脚本家の思惑以上のドラマになる。これはすごいことです。
 私は大学を出て映画会社の脚本部に入社しました。映画の世界で脚本家への扱いは理不尽でした。脚本家が書いたものに、演出家と俳優さんが全部手を入れます。まして私が入社した当時は完全な男社会で、女になど書かせてもらえません。爪弾きにされた挙げ句、秘書になれと言われ会社を辞めました。
 辞めた後がまた大変でした。ドラマの脚本を書き、テレビ局の玄関でディレクターを捕まえ売り込むのですが、まず読んでくれません。なかには意地悪な人もいて、ずいぶん嫌な思いもさせられました。そのときの経験があるから、私は今、下積みで苦労する人にいちばん優しくするよう心がけています。
 やっと書かせてもらえたのが、TBSテレビの「おかあさん」でした。びっくりしたのが、私が書いた台詞が一字一句直されないで、全部映像化されていたことです。「これがテレビなら、私は一生テレビの仕事をしよう」と、それからテレビ一筋です。小説はベストセラーになっても読んでくれるのは、100万人1千万人くらいです。テレビドラマなら視聴率次第で何千万人の人が観てくれます。自分の想いを伝えるのに、こんな素敵なメディアはないんですね


結婚を機に脚本家として
運が向いてきた


 それでも安定して食べていけるほど仕事がありませんでした。だから40歳のときテレビ局のプロデューサー(岩崎嘉一さん)と結婚しました。亭主の月給を当てにしたわけです。でもその人と一緒になってから、脚本家として運が向いてきました。今あるのも亭主のおかげです。
 私は一人っ子で両親も早くに亡くしたので、ずっと一人ぼっちで生きてきました。でも亭主には家族があったんですね。しかもマザコンで毎週のように母親に会いに行きます。面倒だから、実家のある沼津に家を建てちゃいました。亭主が足繁く実家へ行ってくれれば、さぞ家事も楽になるだろうと考えていたら、あに図らんやお義母さんが毎日のようにうちに来て、家事全般に注文をつけます。嫁のすること一事が万事気に入らないのですね。でも結婚したおかげで、ものすごく勉強になりました。それまでの私なら、姑に何を言われたら嫁は腹が立つか、そんなこと思いもよらなかったですから。
 お義母さんの言うことは絶対で、お義母さんをたてなくちゃいけなくて、でもこう言われると腹が立つ、とはいえ口答えはできない。そんな人間模様を「となりの芝生」に書いたら、ずいぶん反響があってヒットしました。だからお義母さんにも感謝しています。実は「おしん」の姑も、お義母さんがモデルです。結局本人は最後まで気づきませんでしたが。
 結婚して経済的な余裕もできました。亭主の月給で食べていける保証がありますから、私は好きなものが書けます。やはりいちばん感謝しているのは亭主です。1992年に財団法人を設立しましたが、これもテレビ局を定年後私の事務所の管理をしてくれた亭主が、地道に蓄えてくれたお金を基金にしたものです。
 おかげさまで85歳になった今も、こうして書かせてもらえています。10月からは「渡る世間は鬼ばかり」の第10シリーズがスタートします。また、同じくTBSでこの秋に、戦時に日本からアメリカへ移民した家族の物語「JAPANESE AMERICANS(仮)」が5夜連続で放映されます。20歳で終戦を迎えた私にとって、戦争と平和はドラマを書くうえで大きなテーマです。交戦国アメリカで辛い目に遭いながらも家族を守り抜いた移民の姿を通して、ほんとうの家族とはどんなものかこのドラマで伝えたいと思っています。こちらも楽しみにしてください。
 これからも初心忘るべからず。テレビドラマを初めて書かせてもらえた喜びを忘れずに、一生書いていきます。


橋田壽賀子先生へ
女性会会員からの質問


― 長野のまちにどんな印象をお持ちですか。

橋田 長野駅に降りたとき、なんとなく文化の匂いがしたんです。私が住んでいる熱海では、すでに失われてしまった匂いです。浅薄で雑多で貧しいものとは距離を置く、しっとりした文化の匂いが、長野には残っているようです。ほんとうにいいまちですね。


― 先生の健康の秘訣を教えてください。

橋田 50歳のとき膝を悪くしてから、水泳を始めました。以来毎日800メートル泳いでいます。歩くのもいいですね。とにかく健康には運動しなきゃだめですよ。ただし、私は痩せません。親からもらった体だからと諦めています。
 食べ物は何でもいただきますが、お肉はめったに食べません。たっぷりの野菜と青いお魚と海藻、納豆や豆腐などをできるだけいただくようにしています。


― 執筆のお仕事と家庭をどうやって両立されていましたか?

橋田 主人の前では原稿用紙を広げない約束でしたから、家で一人になれる時間を見つけて書きました。その点、亭主が飲兵衛だったのは助かりました。
 ええ格好しいだから、家事も手を抜くのが嫌でした。文句など言われてなるものかと、意地になってやりました。主人が亡くなった後は、全部自分の自由時間でしょ。そしたら仕事しなくなっちゃったんですよね。時間が制限されているときの方が、ずっと仕事ができました。結婚しているときの緊張感が、私の場合プラスになっていたんですね。
 お仕事を持っている女性は皆さんそうだと思います。一日のうち「この時間しかない」というとき仕事できるのがいちばんで、主婦でいるときにはちゃんと主婦をやる。結婚生活は仕事にとっても良いプレッシャーではないですか。
 それからご主人には、嘘でもいいから「あなたのおかげで仕事ができます」とおっしゃってください。そう言われると男は嬉しいんですよ。相手を気持ちよくさせて、自分もいい気持ちになってお仕事なさってください。




  




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