中澤善智さんは常に「どんな目的で、どんな姿勢で、何をすべきか」を、とても大事にしています。それは、中澤さんが若くして株式会社ダイコクを背負って立つことになった経緯と深い関係があります。
先代社長だったお父様を突然の事故で失った中澤さんは、当時35歳。その数年前に東京から帰省し、住宅建築の予備知識なしに家業の工務店に入社し、営業を通じて地域の人々が住まいに寄せる思いを知り、普請の現場や設計の勉強を通じて住宅建築を学んでいる真っ最中でした。ようやく家づくりの全容が見え、日々の仕事が充実してきた矢先の事故。父を失った悲しみをかみしめる間もなく、「経営」が中澤さんの肩にのしかかります。効率が優先され、すぐれた技術を持つ大工や職人が腕を発揮する場面が減り続けている住宅建築の世界で、工務店の生き残りは非常に厳しくなっていたのです。
あえて「家づくりで生きていこう」と腹を据えた中澤さんは、そのために何をすべきかを徹底的に考えます。そうして出した結論が、「信州の木で、信州の職人がつくる、信州の暮らしに合った家」を提供する会社に生まれ変わることでした。
家づくりと商売は
相反するものなのか?

▲先代の時代から建前などの大事な場面で身にまとってきた印袢纏(しるしばんてん)。現在も株式会社ダイコクの心意気をお客様や地域の人々に伝える、シンボリックなユニフォームだ
それは故郷を見つめ直し、住まいの本質を問い直すことからの発想でした。地元金融機関もその思いに共感し、融資に応じてくれました。折しも環境がキーワードとなり始めた時代の中、中澤さんは自分が進む道への追い風を感じながら、「信州の木の家」のモデルハウスを建築します。携わる職人たちの誰もが「久々の腕の見せどころ」と、上機嫌で力を発揮してくれました。
「ところが、最初はまったく反応なし。いい家づくりと商売は相容れないものなのかと絶望し、眠れない日もありました」。しかし3ヶ月が過ぎた頃からモデルハウスを訪れる人が少しずつ増えてきます。「しかも決まって長い時間を過ごし、最後に一言、『いいね』と…。胸が熱くなりますよ。思いが通じた、と」。
地域に生きる
お客様と同じ目線で

▲先代以前から中澤家に伝わる大工道具の数々を、今も大切に保管している
提供する住まいの理念にも品質にも自信を見せる中澤さんですが、「つくる側のエゴになってはいけない」と、自らを戒めることも忘れません。社員全員で設計やデザインを学ぶ機会を持ち、暮らしの感性をはぐくみ、地域の行事に参加して、お客様と同じ目線を大切にした住まいづくりを続けています。社長である自身の思いがブレることなく社員全員の思いと重なり、家づくりに反映され、そしてお客様に信頼される…そんな工務店として、地域に生き続けることが中澤さんの願いです。