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2008年8月号 No.721 |
| 真摯に「原因自分論」に
立てる経営者に、
道は自ずと開かれるす
佐藤満氏はホンダ時代、タイの乗用車シェアを五年で二・五%から二二%に、さらに輸入車部長としてジープチェロキーの年間販売台数を、三年で八〇〇台から一,三〇〇台へと大躍進させた。こうした実績を買われ、ヤナセ撤退後のフォルクスワーゲン・アウディ日本の社長となり、フォルクスワーゲンを五年振りに輸入車ナンバーワンに復活させる。九八年には日本ゼネラルモーターズ株式会社で日本人初の社長に就任した。
佐藤氏は、なぜビジネスの現場で勝ち続けることができたのか。その哲学と実践についてお聞きした。
国際ビジネスマンを
目指す契機となった旅
― 佐藤さんは、平安神宮の神主さんの家にお生まれになったとお聞きしました。どんな経緯があって国際ビジネスマンになられたのか、そのあたりからお聞かせください。
佐藤 大学卒業後、世界三八ヶ国を放浪する旅をした折の経験が大きかったですね。
― 三八ヶ国とはすごいですね。どんな旅だったのですか。
佐藤 横浜から船でナホトカまで行き、そこから陸路でハバロフスク、モスクワ、レニングラード、そしてフィンランドのヘルシンキに着きました。行きの切符はここまでです。後の移動はヒッチハイクでした。なるべく長く旅ができるよう、フィンランド、ノルウェー、デンマーク、フランスでは、農家に住み込みで働きました。そうして、ヨーロッパの東端イスタンブールまで旅を続けました。今度は折り返してギリシャ、イタリア経由でマルセイユまで戻り、そこから神戸港まで帰るつもりでいたところ、不覚にもローマで有り金全部盗られてしまいました。
― どうされたのですか。
佐藤 帰りの切符を京都の旅行代理店に送り返し、キャンセル料をローマに送ってもらって、その金で陸路を歩いて帰ることにしました。ようやく着いた金を持って、アイルランド、スコットランド、南へ戻ってフランス、アンドラ、スペイン、ポルトガルを巡り、どうせならアフリカへも行ってみようと、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビアと、北アフリカを横断する旅に出ました。
― ずいぶん思い切った選択をなさいますね。
佐藤 何とかなるものですよ。命まで取られるわけでもありません。
アルジェリアで一人の日本人に会いました。聞くと登山家で、アトラス山脈に登ってきたそうです。その夜彼と二人、モスクの脇で寝ていたら、彼のメガネが盗まれてしまいました。代わりを買う金がないので、道端に座り込んで要らない荷物を売ることにしました。早い話が物乞いですわ。ところが、驚いたことに通行人が全員金をくれるのです。彼とはチュニジアのチュニスで再会し、そこからまた二人で物乞いです。リビア、エジプト、レバノン、シリア、どこへ行っても金や食べ物を恵んでくれます。物乞いは三日やったら止められない、その言葉どおりですよ。
そして、私の人生を動かすある出来事がありました。バグダッドの旧市街で座り込んでいると、日本のビジネスマンが「少ないけど頑張って」と、ドル紙幣を渡してくれました。彼にとっては端金でしょうが、私にとっては大金でした。このときです。自分は人さまの金で何をやっているんだろう、いつまでもこんなことをしていてはいけない、世界を旅するなら自分も国際ビジネスマンになってやろう、そう考えましたね。
「原因自分論」への気づき
― 日本に戻られて、すぐにホンダに入社されたのですか。
佐藤 いいえ。商社勤務を経て、三十一歳のときです。最初の配属先は中南米課で、一年半後にはブラジルの現地法人に赴任しました。その後、中近東の担当になり、発電機などの販売で実績を上げました。
― タイの現地法人、ホンダカーズタイの社長になられたのはお幾つのときでしたか。
佐藤 一九八五年、四十二歳でした。
― タイではホンダの車は売れていたのですか。
佐藤 いいえ。当時タイには、トヨタの販売店が二〇〇店、日産が一八〇店ありましたが、ホンダは一店です。その一店も場所が悪いのに加え、売り場も小さく車二台置いたら終わりです。私が赴任したのは、設立から七ヶ月目でしたが、社員にまったく意欲がありません。
新任の社長として、日本のメーカー、商工会議所、銀行、保険会社などに挨拶に行きましたが、どこへ行ってもみな態度がでかい。「ホンダはこんな小者を社長にしたのか。タイで商売する気はないな」と言わんばかりです。このおっさんたちをいつか見返してやると思いましたね。
― しかし、そう簡単には売れませんよね。
佐藤 ええ。そもそもリーダーである私が、経営理論を構築したり、お客様満足度に精通したり、QCD(クオリティ、コスト、デリバリー(納期)の略)や社員の心理について勉強するなどの努力を怠ってきたのです。だからまず、経営に関わる様々な本、特にマーケティングに関する本を、本社の海外人事に頼んで取り寄せました。しかし、家に帰って本を開いた途端、睡眠薬を飲んだように寝てしまうのです。瞬く間に一ヶ月、二ヶ月と過ぎていきました。
世の中あらゆる不平等がありますが、一日二四時間だけは平等に与えられています。その二四時間、自分は何をやっていたのだろうか。家に帰った後、自分の一日を振り返ってみることにしました。これを二週間続けてみたところ、私は自分の目的に適った時間の使い方を全くしていませんでした。接待をしても、その相手が日本人では車は売れません。どうせやるなら、タイの有力者を招いて、新車のカタログを渡し「知人に配ってくれ」と頼めば、潜在顧客が増えていきます。そんなアイデアすらなかったのです。つまり私は、優先順位を逆にした生き方をしていました。
そこで水曜日と金曜日をノー残業デーにして、接待も三回に二回は断り、百冊溜まった本を読みました。一生懸命読んで、参考になる箇所は手帳に書き出し、今度はその手帳をバイブルのように読み込みました。すると、経営の先達たちが、揃って私に言うのです。「佐藤さん、あんたが諸悪の根源や」。車が売れないのは、私のせいでした。私の口から出ていたのは、景気が悪い、店の場所が悪い、店舗数が少ない、宣伝費がない、そんな言葉ばかりです。責任をすべて他人や環境に押しつけていました。本気でホンダを売りたかったら、考え方を改め「原因自分論」に立たなければならなかったのです。
名を残した経営者、リーダーは、すべからく原因自分論に立っています。商売がうまくいかない原因を環境や他人のせいにしたとたん、企業の成長は止まります。先達が口を揃えて言うことに間違いはない。ならば、これに真摯に耳を傾け、実際の戦略に落とし込むことが、私の役割責任だと知りました。
伸びる企業は、社員教育ができている
― 原因自分論に立った佐藤さんは、具体的に何をなさったのですか。
佐藤 まず、優秀なリーダーになる努力をしました。優秀なリーダーは、赤字を黒字にします。お客様を創造し、拡大します。先を見てしかるべき手を打ち確実に実績を上げます。当然決断力もあり、チームの力を最大限に発揮させる能力があります。
― トップ自ら変わろうとなさったのですね。
佐藤 変わる努力をしました。よく考えて言葉を発し、社員を何気なく激励し、社内をよく回り率先して目配り気配り心配りをしました。もうひとつ、米フォード社長リー・アイアコッカ氏の「失敗したとき鏡を見よ、責任者はそこにいる」の言葉に感銘した私は、早速鏡を買ってポケットにいつも忍ばせました。自分の周辺で起こる不具合を見聞きしたら、必ずその都度ポケットから鏡を取り出しじっくり見ます。
― 原因自分論の実践ですね。
佐藤 社員の電話の受け答えがまずいとき鏡を見ます。そもそも私が指導していないから、電話対応が悪いのです。名札のつけ方が悪いときもそう。今月も計画未達成なのも、在庫が溜まっているのも、金利の支払いが多いのも、お客様からクレームが来るのも、トイレ清掃が行き届かないのも、外に雑草が生えているのも、責任者は明確です。つまり、トップが率先垂範して細かいことまで気を配り、一つひとつ繰り返し教育したら会社はよくなるのです。
― 販売についてはどんな手を打たれたのですか。
佐藤 差別化戦略です。我々が他社の真似をしても、資金力、ノウハウ等あらゆる面で敵いません。だから、業界でやっていることのすべて逆をやりました。つまり、新車以外宣伝は一切しない、正札で売る、売掛債権を絶対発生させない、大口注文の話には乗らない、セールスマンではなくセールスレディーを中心にする。
― 社員はついてきましたか。
佐藤 そんなことは不可能だと言いました。しかし、エラーが怖くてプレーしなかったら何も生まれません。私は、この会社をタイで最もお客様志向に立った会社にしようとしました。ホンダがやることが微々細々にいたるまですべてベストだったら、お客様は感動します。感動があるところに顧客は創造されます。ディズニーランドがいい例です。タイならばバンコクのオリエンタルホテルです。この超五つ星ホテルは、社員の笑顔、醸し出す雰囲気、感じのよさ、迅速性など、ソフトウェアがハードウェアの数倍上を行っています。一方、車会社はハードに依存し過ぎです。商品の競争力がなくなったとたん、売上は落ちます。だから、ソフトにベクトルのすべてを注力すれば、必ずうまくいくと私は考えました。
― 宣伝や値引きに使うお金があれば、ソフトを磨く教育に使う方が、より効果的で安上がりですものね。
佐藤 そう。伸びる企業とは、潜在能力の高い人材を募集する力のある企業です。そして人材を定着させる企業です。さらに、彼らを教育する力を備えた企業です。まさに企業は人なりです。ですから、企業の規模が社長の器以上にはならないのもまた真なのです。
業績格差は経営者格差に起因する
― 教育のように地道な努力を怠り、状況を打開するために即効性ばかり求めたのでは限界がありますね。
佐藤 すべからく問題意識のないところに、知識は身につかず、知恵も生まれません。私自身、問題意識を持って東京モーターショーを観察してみたら、会場が華やかなことに改めて気づきました。女性がきれいな服を着て商品の説明をしています。ならば我々はその一歩先を行こうと、セールスレディーの制服を日替わりで変えました。月曜日はソシアル、火曜日はクラシック、水曜日はスポーティ、木曜日はカジュアル、金曜日はセクシーといった具合です。
― それも間違いなく差別化戦略ですね。
佐藤 大きな話題になり、テレビニュースやビジネス誌がこぞって取り上げてくれました。広告宣伝費なしでホンダ車をPRできたのです。
一般的に商売の鍵となるものに、ブランド力、商品力、販売力、価格競争力があります。企業の力とはこれらの掛け算です。すべて一〇なら一〇,〇〇〇です。すべて五なら六二五です。つまり、自らの弱点を見つけ、そこに経営資源を集中させて強化すれば、総合力はたちどころに上がります。
― タイのホンダでは何に注力したのですか。
佐藤 ブランド力です。タイで最も影響力のあるプミポン国王陛下に、ホンダ車に乗ってもらおうと考えました。私は、宮内庁長官に面談し、国王に車を献上したいと申し出ました。幸いなことにこれが許され、さらに数ヶ月後の陛下の誕生日に、タイの全テレビ局が中継するなか、プミポン国王がそのアコードに乗って宮殿を出られたのです。
― とてつもない宣伝効果ですね。
佐藤 翌日だけで八百台受注しました。業績格差とは、戦略格差であり、経営者格差です。経営者が何をするかで、業績が変わります。経営者に明確なビジョンがあり、これを具体的な戦略に落とし込むことができ、地道にPDCA(Plan,
Do, Check, Action)を回せたら、企業は必ず伸びます。自助努力をする者には、必ず追い風が吹きますよ。
― たとえばホンダ本社輸入車部長のときは、どんな努力をされて売上を飛躍的に伸ばされたのでしょう。
佐藤 全国で実際にジープチェロキーを売ってくれたセールスパーソンに私が直接電話をして、感謝の意を伝え、また売ってくれるようお願いしました。
― 相手は、本社の部長直々の電話に感激するわけですね。
佐藤 気分がよくなれば、また売ってくれます。これが大きな波になっただけの話です。相手の目線に立つことがいかに大事かということです。
経営とは環境適応業である
― 輸入車部長としての実績が、業界の目にとまり、佐藤さんはフォルクスワーゲン・アウディ日本にヘッドハンティングされます。社長として迎えられるとはいえ、経営再建の責を追うことはかなりのプレッシャーだったのではないですか。
佐藤 人生一度きりですから、チャンスがあれば掴むべきです。私はそう考えます。
― 赤字企業をどうやって立ち直らせたのでしょう。
佐藤 赤字は悪であることを徹底して教え、交際費はゼロ、宣伝費は三分の一でやれと言いました。自らも経費節減に努め、またどこの部署が、いつどれだけ経費を使っているか、すべて洗い出しました。いわば「見える化」です。PDCAを回すには、問題の在り処を明らかにし、現状分析を正確にすることです。次に、経営者と社員との温度差をなくすことです。そのためには、トップが日ごろから社員に問題意識、関心を持たせるための行動をとることです。一瞬で市場環境を変えることも、ドイツから送られてきた車に変更を加えることもできませんが、経営者にできることはいくらでもあります。企業が落ちぶれる過程は決まっています。必ず上から腐るのです。
そうして社内の意識を変えた上で、私がとった戦略は、店舗数を増やすことでした。車の販売実績は、モデル×店舗数×セールスマンの数で決まります。経営には、成功のためのツボがあります。この場合は店舗数。これを的確に探し当て、経営資源を集中すれば必ずうまくいきます。
― どうしたらそのツボを的確に把握することができるのでしょうか。
佐藤 常に問題意識を持って、感受性を磨く訓練をし、何か発見をしたらすぐに具体的な行動に移すことではないでしょうか。
― フォルクスワーゲン・アウディ日本の再建に成功され、今度は世界のGMの日本法人社長になられます。ここではいかがでしたか。
佐藤 かつて「GMにとっていいことは、アメリカにとっていいことだ」と嘯いていた企業が、今衰退しています。これは何を意味するか。会社とは、潰れる運命にあるのです。これを肝に銘じ、潰さないように努めることが、経営者の役割責任です。経営とは、いわば環境適応業です。環境変化に適合できる企業は生き残る、そうでない企業は潰れていく、それだけのことです。結局、GMはお客様が求める車をつくらなかった。GMの技術力をもってすれば、現在の原油高を見越し、世界一燃費のいい車をつくることができたはずです。しかし、それをしなかった。だからGMは不景気になった。
― 先を見越した経営ができていなかったのですね。
佐藤 将来最適を念頭に置いた戦略が打てなかったために、時代や環境の変化に適合できませんでした。BIRICs(Brazil,
Russia, India, china)などという言葉が生まれる前に、インド市場に打って出たスズキはこの対極にあります。仮に今千台の車がインドで売れたら、半分がスズキ車です。スズキの国内生産台数・販売台数は、トヨタに次いで二位です(〇八年四月、月間)。鈴木修氏が経営者として将来最適を考え、決断をして、地道な努力をしてきた結果ですよ。
人生は「イエス」から始まる
― GMを辞められた後も、企業診断や経営コンサルタント、講演などにお忙しい身でありながら、農業もやられ、養蜂も趣味にしていらっしゃるとお聞きしました。そのバイタリティはどこからくるのですか。
佐藤 人生は「イエス」から始まる、これが私のモットーです。いろんなことをやってみることです。人生の豊かさとは、選択の幅の広さです。自ら選択の幅を広げていくことが、生きがいにもつながっていきます。
それから、経営に関する講演の仕事をさせていただく身として、聞き手に対する役割責任は、いつもエネルギッシュでいることだと思っています。だから、私は一日に一二、〇〇〇歩歩きます。年間二四、〇〇〇キロを自転車で走ります。数年前は四国八十八ヶ所巡りで一、四〇〇キロを歩ききり、熊野古道もほとんど歩きました。今は西国三十三ヶ所巡りに挑戦しています。これが終わったら坂東四十四ヶ所に行き、その後はスペインのカミノ・デ・サンティアゴを歩きたいと思っています。そのときにスペイン語ができたら便利だなと思い、スペイン語の勉強を始め、ついでにポルトガル語とタイ語も勉強し直しています。
― あらゆることに前向きですね。そこに佐藤さんの経営論の強さがあると思います。
佐藤 確かにプラス思考ですね。そして実践家なんですよ。
― だから経営論の各論が明確で、経営指導に関しても具体的な提案ができるのでしょうね。佐藤さんの生き方は、経営者のみならず、若者にも刺激を与えると思います。
佐藤 年配の方であろうと、若い方であろうと、何か自分に不都合なことがあったとき、他人のせいにする人は成長しませんね。やはり原因自分論です。
― この冊子の読者が、自分自身を見つめ、そして問い直す、たいへん貴重な機会を頂戴しました。本日はありがとうございました。
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