CCI

   2007年8月号 No.709




新世紀への提言




柴田 文啓
(開眼寺住職)
 1934年福井市生まれ。福井大学工学部卒。横河電機株式会社入社後、医療機器事業部の立ち上げに従事。GE―横河メディカルシステム常務取締役、横河電機取締役、横河アメリカ社社長を歴任。アメリカNGOの日本支部代表として、東南アジアを中心に各国への医療支援活動を続けた後、99年に得度を受け、滋賀県の永源寺で雲水の修業を行い、2001年8月から千曲市八幡中原信濃十三番札所臨済宗「開眼寺」住職。PHP総合研究所特別研究員、社会福祉法人花工房福祉会理事長、坂城町中小企業能力開発学院運営委員等も兼ねる。
  

  


心の危機の時代に
伝統仏教が果たすべき
役割とは


 旧善光寺街道稲荷山宿から猿ケ馬場峠を越えて麻績宿に通う中原という小集落に、信濃国第十三番札所恵日山開眼寺はある。この寺の柴田文啓住職は、大手電機メーカーで役員を務めた後、仏門に入った。
 柴田和尚は、この寺で企業の新入社員研修を受け入れ、また各地に講演に赴き、家庭の大切さ、心の教育の大切さなどについて説く。
 日本社会は今、心の危機に瀕しているといわれる。この時代に、宗教が何らかの役割を果たすことができるとすれば、それは何であるのか。柴田和尚にお聞きした。


ビジネスマンとして体感した
日本の戦後復興


― 柴田さんは、開眼寺のご住職になられる前、横河電機にお勤めだったとお聞きします。どんなお仕事をされていたのですか。

柴田 私が横河電機に入社しましたのは、昭和三二年です。まだ日本が発展途上国だった頃ですね。産業がおしなべて上向きになっていましたから、電力の供給が追いつかず、電機産業はメーカーごとに休業日を決めて工場を操業していました。
 東京オリンピックがあった三九年頃から、日本は高度経済成長期に入り、日本各地にさまざまな企業の工場が建ち始めます。私はそうした工場のオートメーション化の仕事をしていました。横河でつくった機械をお客さんの工場に届け、半年から一年現地に滞在して、オートメーションのシステムを稼動させる、そうした仕事をやっていました。

― 海外に行かれたこともあったのでしょうか。

柴田 当時、日本で初めてのヨーロッパ向け輸出プラントが、旧ユーゴスラビア(現ボスニアヘルツェゴビナ)にありまして、そこへ一年ほど赴任しました。ちょうど東京オリンピックが開催されているときで、あの五輪を私は向こうで観ました。工場の竣工式には、チトー大統領ご夫妻もお見えになりました。

― 大統領がわざわざ出席されたのには理由があったのですか。

柴田 ナチス・ドイツの占領下にあった旧ユーゴスラビアで、抵抗運動をしたチトー氏を、この土地の村人が身をもって助けてくれたそうです。そのお礼に、大統領は工場を誘致し、村おこしを計られました。

― 海外は他にどちらへ行かれましたか。

柴田 アメリカとの縁は長かったですね。ヨーロッパから帰国後、日本経済は本格的な離陸を始めました。さらに高度なオートメーション化のために、コンピュータを導入したシステムづくりが盛んになり、私もこれに携わっていました。そんな折、上司から「これから横河は医療機器の分野に進出するから、その立ち上げをやってくれ」と言われました。そこでアメリカに赴き、営業・マーケティング・サービスの責任者として、GE(ジェネラル・エレクトリック)社と仕事をするようになりました。以来、GE社とのお付き合いは、横河電機での役員時代も含め、二十年に及びました。
 役員として務めたあとは、早く坊主になりたかったのですが、役員定年の直前に、社長から「アメリカにある医療専門NGOの日本支部の立ち上げをやらないか」との打診があり、これも何かのご縁と思って引き受けました。

確たる宗教観のあるアメリカ家庭

― 仕事でアメリカにいらっしゃる頃、アメリカという国を、柴田さんはどうご覧になりましたか。

柴田 初めてアメリカに渡ったのは、昭和五一年です。日本経済が破竹の勢いで成長していた当時、アメリカはベトナム戦争の後遺症で疲弊していました。あの頃のアメリカに立ち直る力はもうないのではないか、そう世間ではいわれていましたし、私も渡米まではそう感じていました。
 しかし、実際にアメリカに行ってみると、実に精神性のしっかりとした社会であること、とりわけ家庭が健全で、モラルがしっかりしていることに驚きました。

― ニューヨークやワシントンの情報だけで、アメリカ社会を知ることはできませんよね。アメリカでは、保守的でありながらも確固としたメンタリティをもった地方の社会が、下支えになっているように思います。

柴田 まったくその通りです。アメリカでは、ミルウォーキーとアトランタに長く滞在しましたが、アメリカ人はみな定時に帰宅するんです。日本が経済大国といわれるようになったのは、日本人が昼夜働き詰めで頑張ってきたからですよね。アメリカ人とはなんて働かない国民だと初めの頃は思ったものです。でも実際は、彼らはどんなに仕事が忙しくても、家族と食事を取るために家に帰っていたのです。残った仕事は、子どもを寝かしつけてから、再び出社してこなしていました。
 また、ビジネスマンとしての資質は、日本人のそれと一対一で対抗したら、アメリカ人の方が上でしょう。まず、体力があります。仕事熱心です。そして合理的です。それを支えているのが家庭なのでしょうね。そして、しっかりした家庭の背景には、キリスト教があります。

― アメリカ人は、民族が違う子どもを養子にとっても、立派に家族をつくります。

柴田 私の知り合いには、サリドマイドの子を養子にして、実の子と一緒に育てておられる方もいます。そこには、本当の意味の宗教が根づいているのでしょう。

六五歳にして雲水の道に

― 柴田さんが僧侶の道に入ったのはお幾つのときですか。

柴田 六五です。お話ししたNGOの日本の代表になったとき、私は六二歳で、坊主になるにはそろそろ体力が心配でした。そこでその職を四年務めさせていただいたところで後任に譲り、雲水(禅宗の修行僧)の道に入りました。

― 雲水の修行は非常に厳しいものだとお聞きします。

柴田 そうですね。雲水というのは、今の日本のなかでも非常にユニークな存在です。指導教官は、修行僧を問答無用で殴ります。お経の読み方がたるんでいる、掃除の仕方に腹が据わっていないなど、殴る理由はいくらでもあります。私も四回殴られました。こんなことを文化として認めているのは、雲水だけではないでしょうか。良し悪しの問題ではなく、これは七百年続いた研修システムで、それなりの意義があるのです。厳しい教育の目的は、まず、「我」を無くすことです。どんな理不尽なことを言われようが、指導される側が教官に刃向かうことは一切認められません。怒鳴られ殴られ続けて、次第に自分のなかの「我」が消えていくのです。
 厳しい指導には、もうひとつ意義があります。それは時間を有効に使うということです。作務でどれほど疲れ果てていても、夜中にこっそり起きて、あるいは作務の合間にこっそりお経を覚えたものです。そうしない限り、修行についていけません。自然と時間の使い方も身についていくわけです。

― そもそも仏門に入ろうとした理由はなんだったのですか。

柴田 私の両親は福井の出身で、私も大学時代まで福井で暮らしました。福井は仏教が盛んな地です。わが家は真宗で、両親ともに非常に信心深く、私も子どもの頃から仏教に親しんでいました。福井には曹洞宗の大本山永平寺もあります。大学卒業を控えて、単位もすべて履修し、卒論も終えた私は、永平寺にひと月ほど座禅しに行っておりました。
 東京へ出た後も、どこかで座禅会をしていないかとあちこち探したところ、加藤耕山老師というすばらしいお坊さんに出会うことができました。そのご縁があって、人生最後はこの方の真似事でもいいから坊主をやってみたいと、サラリーマン時代からつねづね思っていました。

― 実際に積年の想いが叶い、僧侶として毎日を送られていることを、どう思われていますか。

柴田 たいへんよかったと思います。ビジネスマンとしての私は、日本経済の成長の只中にいて、欧米に追いつけ追い越せと自分に鞭打ってきましたから、家族と一緒に食事をしたことは数えるほどしかありませんでした。出家したのには、企業戦士として家庭を顧みなかった反省もあります。今、日本社会は心の危機だといわれますが、その原因をつくったのは、我々の世代かもしれません。確かに仕事も大事だけれども、もっと大事なのは家庭です。

― 近代の日本は、明治政府のもと富国強兵を推し進めましたが、「強兵」については太平洋戦争で消滅しました。その後の日本は、残った「富国」に死に物狂いで国の存亡を賭けたような気がします。日本の高度経済成長は、産業の力だけでもう一度欧米社会にチャレンジしてみようとした、その結果とみれますね。

柴田 はい、その通りだと思います。

― そのチャレンジによって、富こそ欧米社会に追いついたものの、心の問題が立ち遅れてしまったようです。

柴田 福沢諭吉が言った脱亜入欧は、日本人の欧米社会に対するコンプレックスの裏返しとみれます。今もそのコンプレックスは日本人の中に残っているようです。今やその呪縛から逃れてもいい頃ではないでしょうか。

僧侶は宗教家本来の仕事を
再認識すべき


― 柴田さんは、開眼寺でのお勤めのほか、講演活動もなさっていますね。どんなところで話されることが多いのですか。

柴田 企業や、小中学校のPTAから声をかけていただくことが多いですね。今、教育に関して、学校の責任を問う向きもありますが、私は、子どもの教育の責任は、百%家庭にあると思います。そんな話を親御さんに申し上げています。

― 確かに、子どもの躾は親の責任ですね。ただし、今の日本は、子どもを躾けるべき大人も、心の危機を抱えているように思います。問題の根には何があるとお考えですか。

柴田 本当の宗教がなくなってしまった点だと思います。仏教であれ、キリスト教であれ、日本社会あるいは日本人の心に、宗教がなくなってしまったことが問題ではないですか。
 アメリカでは、毎日曜日教会は満席になります。日本で定期的に檀家さんや信徒さんを前にお話をしているお寺がどれだけあるでしょうか。きっと数えるほどです。また、仏壇も最近の家庭には見られなくなり、毎朝お線香をあげたり、お供え物をしたりする習慣が残る家庭も少なくなりました。ああいうことを子どもはしっかり見ているものです。それも一つの大切な教育であると思います。
 子どもの心の教育をするのは、両親であり、祖父母です。では、何に基づいて子どもの心の教育をすべきかといえば、宗教の思想と教えに基づいて行うべきです。ではその思想とか教えを両親・祖父母に正しく伝えるのは誰かといえば、仏教の場合は僧侶です。戦後、人々が経済復興にのみ心を奪われたのと同時に、私たち僧侶が葬式や法事などにかこつけて、真の宗教活動をなおざりにしてきました。その結果、多くの家庭に、真の宗教がなくなってしまったのではないでしょうか。その意味から、私たち僧侶の責任は大きいと思います。

― 今政府が取り組んでいる教育改革も、道徳教育の必要性を説きながらも、その中身についての議論がなされていないように感じます。

柴田 戦後、日本の学校教育から「宗教」というものが排除されました。誰からの圧力かは知りませんが、残念なことです。宗教とは何かといえば、それは哲学ですよね。人間が、明るく楽しく、周りの人々に迷惑をかけずに仲良く生きていくための教えです。
 今、世界宗教といわれるものは、みな、千年以上もの歴史を経て、世界の多くの文明を造ってきた思想です。宗教イコール偶像崇拝とか、葬式とか、間違った概念でとらえられています。もちろん葬式は大切な儀式です。しかしその儀式は亡くなった人のためにするのではなく、遺族の心のケアのためにされるものです。大切な人を亡くした遺族の心の痛手を一日も早く取り除き、残された人々が亡き人のよき思い出とともに力強く生きていくための儀式です。宗教とは、「今」を生きている我々が、いかに人間らしく、より価値のある人生を送ることができるかの教えです。私たち僧侶が、そのことをちゃんと伝えないものだから、日本の家庭から宗教は廃れていったのです。現在、真の宗教活動をされている僧侶や寺院はあります。しかし、全体の何%ぐらいでしょうか。きっとさみしい数字だと思います。
 これから日本では、もういちど本当の宗教を興さないといけません。それには時間がかかるでしょうが、今すぐ始めなければたいへんなことになると感じています。

二十一世紀は「共生」の時代

― 葬儀は遺族の心のケアであると同時に、亡くなった方にまで継承されてきたその家族の歴史なり価値観を、遺族が引き継ぐ機会であるようにも思えます。そうした見えざる資産を、次の世代にも継承していくことは、今を生きる私たちの責務でしょう。今の日本社会には、家庭においても、あるいは企業においても、これを責務だと考えない人が多い気がします。

柴田 はい。今、そういう認識をもつ人はほとんどいないのではないでしょうか。

― すると、やはり日本人に宗教を再び根づかせるのは、とてもたいへんな作業かと思いますが。

柴田 崩れるのに四、五十年かかりましたから、再び築くのにもそれと同様かそれ以上の時間がかかるかもしれません。だからこそまず私たち僧侶が、宗教家の仕事とは何か再認識すべきですね。

― なぜ宗教家はそれを怠ってきたのでしょうか。

柴田 競争原理がなかったからだと思います。たとえば、檀家制度を維持しようとすればするほど、仏教は衰退すると思います。今の檀家制度のもとでは競争原理が働きません。新興宗教があれほど伸びているのは、彼らが競争原理で動いているからです。伝統仏教も、自ら檀家制度を改革し、信者さんが自由に菩提寺を選択できるようにするべきです。信頼と尊敬ができ、人生のあり方や心の問題を親しく相談できる僧侶の存在が、仏教の再興を促すでしょう。僧侶側もその期待に応え得るだけの修行と勉強が求められるのは当然のことです。

― 今後、いわゆる伝統仏教は再興できるでしょうか。

柴田 しなければいけないと思います。二十世紀まではキリスト教の時代でした。物事を論理的に捉えるキリスト教が世界に広がったからこそ、文明は発達しましたが、この文明はすでに限界にきています。世界人口がますます増加するなか、このまま地球の資源を浪費したら、地球はあっという間にパンクします。人類が資源を大切にしなければならないことは、仏教でなら説明できます。仏教では、すべてのものには仏性が宿ると教えます。ごはん一粒も粗末にしてはいけないという子どもへの教えもそこから来ています。資源にも仏性が宿っていますから、粗末にすべきではありません。
 また、相手の価値を認める仏教は、キリスト教徒であれイスラム教徒であれ相手を尊重します。「共生」の思想があるからです。民族が違う、宗教が違うという理由で争っていたのでは、いつまで経っても戦争はなくなりません。混乱する世界に必要なのは、「共生」という考え方です。

― 二十一世紀は仏教の時代にしなければならないということですね。

柴田 ええ。ケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイさんが「もったいない」という思想を世界に提唱しましたが、あれはもともと仏教の思想から生まれた言葉です。マータイさんがその思想の重要性を説く前に、なぜ日本人自らがそうしなかったかを思うと、日本人として恥ずかしく思います。仏教には世界の人々の心に響くものが、必ずあると思うのです。

― しかし、現在世界で仏教徒は少数派です。なぜ仏教はそうなってしまったのでしょう。

柴田 共生・共存の言葉どおり、仏教は基本的に争うことを善しとしません。世界の宗教のなかで、宗教戦争をしていないのは仏教くらいです。反面、拡大するという意味において、一神教より弱いのだと思います。しかも、砂漠で生まれた宗教は、強くなければ生きていけません。アフガニスタンというかつてはすばらしい仏教国だった国が、瞬く間にイスラム教の国になったのも、そうした背景があったからでしょう。しかしながら、共生を旨とする仏教が、二十一世紀の主力な思想にならなければ、この地球は成り立たないことも、私は事実であると思うのです。

家庭で、企業で、心の教育を

― 今の日本社会において、仏教は、そこに含まれる哲学を伝えることに失敗しているように思えます。

柴田 ええ。戦前は、定期的にお寺に来ていただいて法話をしたり、各家庭に坊さんが出掛けて近所の人を集め法話をしたりしたものです。
 今日本では、昔では信じられないような企業犯罪が起きています。たとえば、三井物産でディーゼルエンジン排ガスの触媒のデータを偽造したという事件がありました。会社が技術者に偽のデータを作らせたのです。昔の技術屋は、たとえ会社が要求しようとそんなことはしませんでした。偽の実験データを出すなど、技術屋としての魂を売り渡すに等しい。

― ただ儲かればいい、企業間競争に勝てばいいという前に、人間としての基本的な倫理がないと、社会は成り立ちませんものね。

柴田 そうですね。仕事に対する魂がなくなってしまっては人間失格ですね。

― 新入社員の研修では、どんな話をされているのですか。

柴田 たとえば諸行無常とは何かを説明しながら、人間がよりよく生きるためには、哲学が必要だと話しています。また、座禅を組む際は、これは自分を見つめ直す大切な機会だとお話しします。

― 当世の新入社員は、柴田さんの目にどう映りますか。

柴田 とても素直な方ばかりですよ。ただし、これまでの人生で、家庭でも学校でも心の教育を受けていないのでしょう。その分、私が心の問題についてお話しさせていただくと、彼らは、真綿が水を吸うように、理解してくれます。
 ですから企業でも、新入社員に仕事のハウツウを教えることも結構ですが、心の教育もしてほしいと思います。私が勤めていた横河電機では、横河正三会長が「おてんとうさまに顔を背けるようなことをするな」とよく話していました。自分の良心に恥じるようなことは絶対にするなという意味です。そうした心の教育が、家庭でも企業でも大切なのではないでしょうか。

― 心を伴った成長ができたとき、人も社会も、本当の意味で成熟できるのかもしれませんね。本日はありがとうございました。


  




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