CCI

   2007年7月号 No.708




新世紀への提言




池井戸 潤
(作家)
 1963年岐阜県生まれ。慶應義塾大学文学部・法学部卒業。銀行勤務を経て、98年『果つる底なき』で江戸川乱歩賞を受賞し、作家でビュー。『空飛ぶタイヤ』(実業之日本社)は第136回直木賞候補となる。著書は他に『BT'63』『仇敵』『銀行総務特命』(講談社文庫)『株価暴落』(文春文庫)『シャイロックの子供たち』『オレたちバブル入行組』(文藝春秋)『MIST』(双葉文庫)『銀行仕置人』(双葉社)など多数。ミステリー小説の他にも、融資に関するビジネスも多く手がける。
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作家の仕事は、
マーケティング的には
プロダクト・アウトです


 トラックから脱輪したタイヤで母子が死傷した事件をモチーフとした池井戸潤氏の小説『空飛ぶタイヤ』が、昨年一三六回直木賞にノミネートされた。物語では、死亡事故で整備不良を疑われ倒産の危機に陥った運送会社社長が、社員と家族、自身の誇りを守るため、財閥系メーカーのリコール隠しに立ち向かう。直木賞受賞は惜しくも逃したものの、登場人物の苦悩や悲哀を深く描いた同作は、従来の企業小説とは一線を画す作品として高く評価されている。
 この作品は、どんな経緯で生まれたのか。また、同作からみえてくる日本企業の姿について、池井戸氏にお聞きした。


情報小説ではない企業小説を

― 池井戸さんの作品には、銀行をはじめ金融を扱ったミステリーが多いですが、『空飛ぶタイヤ』はミステリーというより、企業小説ですね。
池井戸 これまで書いてきた金融ミステリーが、書店の企業小説の棚に並んでしまうことが不本意でした。ならばいっそこれぞ企業小説という小説を書いてやろう、そう考えて書いたのが『空飛ぶタイヤ』です。

― 池井戸さんは、作家になられる前、銀行に勤務されていましたが、ご自身の作品に対して、「銀行員でなければ書けない」と評されることをどう思われますか。

池井戸 あまりうれしくないんですよ。金融ミステリーや企業小説は、もともと情報小説として読まれてきた経緯があるじゃないですか。書き手も情報を厚くすることを意図して書いてきたと思います。だけど、私はそう思っていません。純粋に小説として書いていますから。銀行にいたから銀行のことが書けるというのは、ある意味正しいのですが、そう言われてしまうと哀しいところもあります。
 作家というのは、企業と同じで、それぞれにオリジナリティがあるものです。だから作家になれるのであって、私が恋愛小説など書いても意味ないし、ヤクザの抗争を描いても意味がありません。つまり誰も書けないものを書かないと、作家としてはやっていけないわけです。そういう意味で、金融ミステリーというのが、私の立ち位置だったのですね。

― 『空飛ぶタイヤ』は、直木賞を逃しましたが、企業小説がノミネートされたのは快挙だと思います。

池井戸 決選投票までいったようですが、結果については仕方ないかなと思っています。読み手の先生方は、企業ビジネスとは無縁ですし、中小企業の経営者が身につまされている感覚を理解していただくには力不足だったかもしれません。

― 小説では、金策に走り回り、メインバンクに取引停止を申し渡され、倒産の危機を迎えた主人公の前に、救いの神が現れますよね。あのあたりの記述も、中小企業の経営者、あるいは中小企業を顧客にする銀行でないと、心情的にシンクロできない部分もありますね。

池井戸 そうですね。小説の中で主人公に融資を持ちかける「はるな銀行蒲田支店」のような銀行は、ある意味理想だと思いますが、現実はなかなか厳しいですね。

小説の結末が暗いのは嫌い

― 『空飛ぶタイヤ』のテーマは、どんな経緯で決めたのですか。

池井戸 ある自動車メーカーのリコール隠し事件があったとき、事件の収束のされ方、マスコミの報道のされ方に納得できなかったので、小説で書いてやろうと思ったのがきっかけです。
 当時のマスコミは、リコールを短絡的に仕組みの問題としか捉えていませんでした。そもそもリコール自体が悪いことではなくて、リコールを隠蔽することが悪いんですよね。人間がやっていることですから、間違いが起きることもある。しかし、間違いを犯したとき、これを隠すのと表に出すのとでは、そこにとてつもなく大きな差があります。リコールを隠す企業の体質にこそ問題があることに、もっと光を当てるべきなのです。

― 小説の中で、リコールを隠蔽するために用いた手法は、実際にその自動車メーカーがやったことだったのでしょうか。

池井戸 編集担当者が持ち込んでくれた、当時起きた複数の脱輪事件等の新聞資料をもとにしています。あの小説を書くうえで配慮したのは、モチーフにした会社がやったことよりも悪いことは書かないということです。補償金で口封じをするなんていうのはもちろんフィクションですが、たとえば、運送会社から事故車の部品返還請求があっても自動車メーカーが応じなかったことは、新聞報道されています。

― 部品強度の数値を改ざんしたことにも裏があるのですね。

池井戸 このことも新聞で報道されました。他社の数値の方が優れているにもかかわらず、故意に自社の部品の強度を強く見せかけたのも、あの事件の折に報じられています。

― 小説の中では、リコール隠しをした自動車メーカーに対し、グループ企業が救済すべきかどうか議論を繰り返すところもリアルでした。

池井戸 現実の事件では、財閥グループ三社が支援を申し出ます。『空飛ぶタイヤ』は、現実をトレースする形で進行しますが、途中から現実を追い越し、最終的には、小説の中の自動車メーカーは、グループ会社から見放されます。
 連載時は、この小説にどんな落ちをつけるか悩んでいましたが、ある編集者と飲んでいたとき、彼が「池井戸さんが、こうあるべき、と思う結論が読みたい」と言ったのです。確かに、結論まで現実をトレースしたら、被害者や事故を起こした運送会社は救われません。たとえ勧善懲悪と言われようが、この小説にはこの結論しかありえませんでした。

― そこで読者も胸がすくわけですね。『空飛ぶタイヤ』に限らず、池井戸さんの小説は、読後感が清々しいのが魅力です。

池井戸 暗い結末が嫌いなんですよね。サクッと気持ちよく終わるのが、僕はいいと思っています。
 現実の脱輪事件では、原告勝訴の判決に対し、経営のトップは「検察及び警察に猛省を促したい」とコメントしました。ああいう感覚を社会が許さないことを、彼らは分かっていなかったのです。顧客に迷惑を掛けておいて、反省の色もないのは、どうかと思います。

コンプライアンスを履き違えた
日本企業


― リコール隠しの自動車メーカーは、なぜ企業としてのモラルも失うようになってしまったのでしょうか。

池井戸 元来、誇り高い財閥系ですし、ブランドだけを頼りにする勘違いやエリート意識が培養されてしまったのかもしれません。

― コンプライアンスをテーマにした『空飛ぶタイヤ』をお書きになった池井戸さんの眼に、日本企業におけるコンプライアンスはどう映りますか。

池井戸 日本の企業はコンプライアンスを勘違いしているようです。コンプライアンスの考え方は、今から十年ほど前に出てきましたが、当時適当な訳語がなく、その後「法令遵守」という訳がつきました。これは誤訳ではないでしょうか。法令を守ることなど当たり前です。誤訳した瞬間に、日本におけるコンプライアンスは崩壊したと言っていいでしょう。

― 説明責任等も含まれるでしょうし、法令遵守では範囲が狭すぎますね。

池井戸 法律さえ守って、裁判で勝てればいいという問題ではなく、法人として社会に負うべきもっと広義の責任やモラルが含まれるはずです。あの小説で言いたかったことのひとつは、罪を犯した企業がコンプライアンス違反なら、その企業に融資する銀行もコンプライアンス違反だということです。

― では、日本の企業、とりわけ中小企業の経営の質についてどうお考えですか。

池井戸 中小企業は、構造的に悩んでいらっしゃるところが多いのではないでしょうか。大企業と取引する場合でも、営業力、人材、交渉力が不足しているがために、収益が伸びない企業が多いと思います。

― 大企業は大きな利益を上げる一方で、取引先の中小企業に対しては非常に厳しい取引条件で臨んでいますものね。

池井戸 中小企業の側にもそれを是正していく力がないのも現実です。

― かといって、中小企業が次々潰れていけば、大企業も困りますが。

池井戸 営業を取引先との人間関係のみに頼り、提案力やサービスの質の向上を図らないなど、努力不足で存在価値が希薄な中小企業が多かったことも事実です。これらが淘汰されるのは、ある意味仕方のないことだと思います。

― 景気に左右される体質も、半分は自己責任ということですね。

池井戸 それに、財務的にいい加減な会社が多いですね。その会社の本当の実力を示す決算書をもっている会社が少ない。加えて、金融機関も、実体を反映していない決算書だけを見て格付審査をしている側面もあります。せめて、在庫と売掛金と受取手形だけでも、実際にあるものだけを決算書に載せれば、ずいぶん変わると思うのですが。

視座の高さで
会社組織の見え方は違う


― 『空飛ぶタイヤ』では、銀行という組織は人事がすべてだとお書きになっていますね。

池井戸 それはある意味、事実ですね。銀行は官僚的だとよく言われますが、それは官僚組織においてもまた人事が関心事だからです。官僚も行員も、より上に行くことにエネルギーを費やしています。

― 人事にしか興味がないというのは、その組織にいる人間にとって非常に悲しいことではありませんか。

池井戸 負けている人は悲しいでしょうが、勝っている人は楽しいはずです。勝っている人にしか見えない組織の眺めがあるからです。銀行では、上に上がれば上がるほど、別な地図が与えられます。入行時に白地図を渡された新人が、次第に出世するにしたがって、どんどん新たな大陸を発見していくようなものです。そして、最終的に役員に昇りつめた人間だけが、組織のすべてを見渡せる地図を手にします。

― 山の上に行かなければ、眺望が開けないのと同じですね。

池井戸 今は出世などどうでもいいと言う若い人が多いですが、サラリーマンとしての視座の高さを放棄するのは、最終的には損でしょう。サラリーマンである以上、より高い視座を得ることにチャレンジしなければならないと思います。最初から「自分は趣味に生きる」なんて言うなら、銀行などに行くべきではありません。そんなことは出世競争に負けてからやればいいのです。

― 彼らにとっては、負けたときの予防線なのでしょう。

池井戸 それに、仕事のできる奴は、飲み屋でくだを巻いたりしませんね。酒を飲んでいるサラリーマンの会話に耳を傾けていると、その話のトーンで彼らの役職がたいがい分かります。話し方にその人の視座の高さや発想の仕方が表れてしまうんですよ。

読者が共感できるキャラ設定が
重要


― 『空飛ぶタイヤ』は、一般のサラリーマンがわが身に置き換えて読むには格好の小説でした。今後も企業小説をお書きになっていくのですか。

池井戸 『空飛ぶタイヤ』があまりに反響が多かったために、出版社から他にも同様の小説を書いてくれというリクエストがあります。テーマはいくらでもあります。企業に限らず、夕張市に代表される地方自治体の破綻もテーマになります。ただし、これらをセミマクロ的に書いたのでは、読者はまったく共感できないでしょう。視点を変え、読者の生活レベルに即して書けば、相当いろんなものが書けると思います。

― 企業や自治体の組織的な問題点をベースに置きつつ、その中で翻弄される一個人や家族を描いていくというスタンスですね。

池井戸 そうです。そういう人物を配置しないと、多くの読者には読みにくい。長い小説になればなるほど、読者に身近な人物を配置しないと、ついてこられなくなります。感情移入できない小説ほどきついものはありませんから。今回の小説で言うと、沢田という登場人物に対し、読者は初め「感じ悪い奴だ」と思っているわけです。ところが、悪い奴を悪い奴のまま書き続けると、善悪が二極化した単純構造の物語になってしまい、退屈極まりないのです。だから、沢田に視点を与えて、その日常や心の動きに深く入り込んでいくことで、それまで彼に対して敵意を抱いていた読者に、「こいつ、俺と変わらないじゃん」と気づいてもらう。人間を一面的に書くと、千枚以上ある小説はまず読めないですね。優れた長編は、類型的な人物を出しても、必ずその人物を丹念に書き分けていますよ。

― 活字離れが進んでいると言われますが、作家のお立場からどう思われますか。

池井戸 本は売れないし、読まれていません。ミステリーの場合は、三十万部程度をヒットさせるのが上限じゃないでしょうか。

― 出版社も本屋さんも経営が厳しいでしょうね。

池井戸 そう思いますよ。新刊を図書館で借りられるのも問題だと思います。本が売れずに作家が食えなくなれば、結果的には図書館も困るのに、なぜそんな利益相反行為をするのか分かりません。新刊が新刊として価値をもっている期間は、タダ貸しは止めてほしいですね。それが許されるなら、作家は国から補助金をもらいたいくらいです(笑)。

― 本が売れない時代とはいえ、毎日のように新刊が発行され、なかには出版の価値を疑うようなものもある気がするのですが。

池井戸 出版も商売なので、書店に並ぶ以上、一定数の読者がいます。ケイタイ小説や、ブログがそのまま本になったものを非難する人もいますが、現にあれを面白いと思う読者もいるわけで、活字文化の文化度について言い出したらキリがありません。もしかしたら、そうした読者が、他の本も手に取るようになるかもしれませんし。
 ただし、読者の二極化が進んでいるのも事実で、読む力が落ちている層は、日常的に短絡的な思考をする傾向にあるかもしれません。

次作は未来を舞台にした
エンターテイメント


― 池井戸さんは、小説という手法を使って、今後何をしたいとお考えですか。

池井戸 何か一点明確な目的のようなものがあるわけではなくて、作品の性格によって、それぞれ訴えかけるものは違います。
 ただし、私が書くものは、エンターテイメントなので、極論すれば面白ければいいわけです。ただ、今の時代、面白さは非常に高度化していて、昔みたいに単純な面白さでは絶対に受け入れられません。犯人は誰だみたいな本格ミステリーや、水戸黄門的な勧善懲悪など、古典的なパターンでは、売れるのは難しい状況です。また、何が面白いか評価する基準も細分化していますね。だから、自分が面白いと思ったものをその都度書くことにしています。マーケティング的には、完全にプロダクト・アウトの発想ですよ。
 一般にメーカーさんがやっているのは、マーケット・インですね。顧客が何を求めているか考えて、事業戦略を立てます。小説の世界にもその発想がないわけではありませんが、結局自分が面白いと思うものでないと、うまく書けないんです。万遍なくいろんなテーマに興味をもって書き分けていき、特定の色眼鏡で見られないスタンスを維持する方が、作家として長生きできると思います。

― 作家の立ち位置というお話が初めにありましたが、池井戸さんが若い女性を小説の主人公にするようなことは、今後ありませんか。

池井戸 夜の十一時頃まで幼い子を抱えてカラオケを唄う若い母親の心情ならギリギリ書けるかも(笑)。でも、街でしゃがみ込んでしゃべっている女子高生の内面を書くのは無理ですね。彼女たちが何を考えているのか、どうしても分かりません。
 今までの日本社会は年代別のギャップしかなかったけれど、今の社会は生活レベルや考え方といったカルチャー・ギャップが激しくなっている気がします。たとえ同年代であっても理解し得ない人たちが増えてきている。

― それは、女子高校生という枠ではひと括りにできないわけですね。

池井戸 ええ。原因は所得の差なのか、教育の差なのか、それとも家庭環境に起因するのかは分かりませんが、世代的なギャップというだけでは捉えきれない溝があるように思えます。

― 確かに、ひと昔前には同じ日本人に対して感じることのなかった違和感が、今の私たちにはありますね。今後日本の社会はどうなっていくと思われますか。

池井戸 このまま日本の人口は減少し、たぶん四十年後には一億人を切るでしょう。たとえば人口が八千万人になった日本を想定すると、経済的に極端な二極化社会になっていると思います。そして、足りなくなった労働力は、移民で賄っていたりするかもしれません。コンビニの店員などもすべて移民だったり(笑)。通貨はたぶんアジア経済圏で統合されていて、地方自治体の破綻は、現在の比ではない。東京の都心やその他大都市圏は生き残るでしょうが、東京の郊外や地方都市は、ゴーストタウンのようになってしまっているかもしれません。

― そんな世界を舞台にした未来小説も書けそうですね。

池井戸 実は今書いているんですよ。二〇〇五年に二十歳になり、以来四十年間フリーターをやって、六十五歳を迎えた男が主人公の物語です。彼のような人生を送った人間が、果たして近未来の日本で生き残れるかというのがテーマです。

― これも面白い小説になりそうですね。出版されるのが楽しみです。本日はありがとうございました。


  




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