CCI

   2007年4月号 No.705




新世紀への提言




上野 千鶴子
 (東京大学大学院教授)
 富山県生まれ。京都大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程修了。京都精華大学助教授などを経て、1993年より現職。  ジェンダー研究、セクシュアリティ研究の他、文学、心理学、社会学、教育学、文化人類学、社会学全般を研究対象とする。
 著書に、『女という快楽』(勁草書房)、『スカートの下の劇場』(河出書房新社)、『ナショナリズムとジェンダー』(青土社)、『老いる準備』(学陽書房)、『当事者主権』(共著、岩波新書)、『生き延びるための思想―ジェンダー平等の罠』(岩波書店)などがある。

  


差別なき雇用の柔軟化が
もたらす日本社会の可能性


 柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」発言が、ずいぶんと世論を賑わせた。ジェンダーフリー、フェミニズムという言葉はすっかり耳馴染みとなり、国会議員の発言に対し、外野席から非難することは容易い。しかし、自分たちの身近な世界で、ジェンダーについて考えることはそう多くないのではないか。
 たとえば、あなたの会社には、女性管理職がいるだろうか。女性が管理職としての道を選ぼうとしたとき、障害となる環境はないだろうか。また、ジェンダーフリーの視点を家庭に向けた場合はどうだろう。
 ジェンダー研究者の上野千鶴子氏に、現代の日本社会、とりわけ企業における女性の現状と課題についてお聞きした。


結婚にセキュリティを求めるのは幻想


― この冊子の読者は、主に企業や商店の経営者の皆さんですので、会社組織においてジェンダーをどう考えればいいのかお聞きしたいと思います。その前提として、歴史的に女性の社会的地位はどう変遷してきたのでしょうか。とりわけ産業革命は女性の社会的な地位をどう変えたのでしょう。

上野 一般に近代化は個人の解放だといわれますが、産業化が女の地位を高めたか、それとも低めたかといえば、私たちジェンダー研究者の答えはイエス&ノーです。社会的には女の地位は上がりましたが、経済的には妻の地位は下がったからです。
 一九五〇年代まで日本は農業社会でした。農業人口が三〇%、農家世帯率が五〇%ありました。農家の嫁は重労働ですが、主婦としての地位は高いですね。農業も含めて自営業者の主婦の地位は一般に極めて高いです。たとえば、京都や大阪など商工自営業者比率が高い土地では、主婦の地位が高い。母ちゃんなしでは商売が成り立たず、主婦が経済決定権を握っているからです。しかし、雇用者になったとたん、妻の地位は転落します。
 一九六〇年代になると、雇用の大衆化とそれに伴う既婚無業の女性(専業主婦)の大衆化が始まります。日本の産業化の最終的な完成は六〇年代ですから、この時代には妻の地位は低下しました。ただし、社会的には男女共に上昇が起きていますから、女性はかつての重労働からは解放されたといえます。
 現在の日本で、妻の家計に対する自己決定権がどの程度あるか調べた統計があります。自分の裁量で使えるお金がいくらほどかというと、その上限は五万円でした。せいぜいその程度の意志決定権しかないのですから、自分の財布を持たない女がどういう地位の低下を起こしたかは推して知るべしです。

― 上野先生は、現在の結婚制度についてどうお考えですか。

上野 よく続いているなと思います。

― 続いているのは、一夫一妻制が互いに好都合だからでしょうか。

上野 そう考える人々が多いからでしょう。結婚は、人類学的には「生まれた子どもの所属を決める制度」と定義されます。しかし、現代の日本社会において、結婚は産育の期間よりもずっと長期にわたる契約になりますし、また子どもを産まないカップルも多いですね。だから私は、今の日本社会における結婚を「自分の身体の性的使用権を特定のたった一人の異性に生涯にわたって譲渡する契約」であると定義しています。
 こうした契約をする人がたくさんいる理由のひとつは、精神的にも肉体的にもセキュリティを求める人が絶えないからだと思います。ただ、それが幻想であることは、不倫という契約不履行や離婚という契約破棄が絶えないことからも推察できます。


子どもが幼いことが
離婚の抑止にならない


― 結婚を、「次の世代を育てましょう」という契約として定義することはできませんか。

上野 その通りですね。結婚は夫婦間の子育て契約でもあります。日本のカップルの婚姻目的のほぼ大半は、家族をつくること、つまり子どもをつくることにあります。日本のカップルの八割が、婚姻一年以内に子どもを産みます。また、できちゃった結婚が六組に一組というデータもあります。裏を返せば、子どもをつくる決心をしないと結婚する理由がないということでもあります。
 しかし、高齢化と少子化とにより、結婚の期間は長期化しているのに、子育て期間は相対的に短くなっています。子育て期間の約二十年間を同志として過ごすことと、その後の約三十年間を同じ相手と過ごすことは、別の選択になってきました。つまり、子育てが終われば、家族のリストラが可能になるということです。これまでは同志だったが、目的を果たしたのだから、関係を清算しようと考える人が男女ともに出てきました。

― いわゆる熟年離婚ですね。

上野 また、現在の離婚の動向には、別の新しいトレンドがあります。子どもが小さいことが離婚の抑止力にならなくなってきているのです。子育てのためには、男女がパートナーとなり、ある程度持続的な関係をつくった方がいいだろうという価値観を男女が共有していたはずなのですが、そのセキュリティも幻想であり、実際には子育て期間の離婚が増えています。

― 子どもが幼いときに離婚すれば、その子どもは困難に直面しますから、できれば契約は継続した方がいいわけですよね。

上野 性的契約ぐらいは不履行でもたいした損害は発生しませんが、子育ての契約関係に関しては、子どもという第三者が利害の当事者になりますから、難しいですね。DVや虐待家庭の場合だと、婚姻関係を継続することの方が、子育てにマイナスになることもありますからね。

― 契約という社会的行為以前に、子育てには次の世代をきちんと育てるという生き物としての責任や義務があるように思うのですが。

上野 契約というのは夫婦間のことであり、子どもに対しては責任です。しかし、その責任を放棄しているのは、データを見ると残念ながら圧倒的に男親ですね。
 子どもに対する責任が、その子を産んだ二人の当事者にのみ負わされている現代の日本社会の状況の中で、今の父親は時間的にも経済的にも労力においても子育てから逃げています。その結果、「子どもを育てる責任は親にある」といったとき、家庭というミクロの世界では、女親たった一人に重圧がかかります。これでは少子化が進行するのも当たり前です。男親も女親も同じく子育てに携わるのが理想ですが、女親だけが負担せざるをえない現状では、介護と同様に、第三者が家庭の中に介入することも今後必要ではないでしょうか。


雇用の柔軟化は避けられない趨勢


― お話を家庭から仕事、会社へ移したいと思います。フェミニズムを実践しようとする人物が会社を起こすとしたら、どんな人事制度をつくるでしょうか。たとえば、上野先生ならどんな会社をつくりますか。

上野 会社というものを、利益の最大化を目指す組織と定義するならば、やはり効率を重視しなければなりません。子どもを産み育てるという女性の役割は、経営者にとってマイナスとみなされがちですが、男も子育てに参加するならハンディはイーブンのはずですね。
 ただ、現在の企業活動は女性マーケットに訴求する必要がありますから、女性のニーズを正確に掘り起こすためには、そのニーズに最も身近な人を実際に雇うのがいちばんでしょう。たとえば、未婚で子どもを持たない女は、既婚で子育てしている女の生活実感が分かりません。多様なマーケットに訴えかけるためには、子育て前、子育て中、子育て後というように、社員を多様性のある構成にして、それぞれが働きやすい条件を整えます。高齢者や外国人についても同じことが言えますね。

― 日本の企業は、ここ十年ほど人事制度で試行錯誤してきました。雇用調整もドライに行うアメリカ型の制度を入れてはみたものの失敗し、結局のところ能力主義の考課は入れつつも、終身雇用をベースにしています。

上野 終身雇用でよかったというのは、男性に限ります。しかし、今やその男性ですら、終身雇用を良しとする傾向にありません。十年ほど前、松下電器産業で人事制度の改革がありました。当時三十代の男性正社員に、退職金なしでその時払いの成果報酬を受けとるか、年功給のまま将来退職金を受け取るかという選択肢を示したとき、答えが半々でした。一企業と生涯にわたる雇用契約を結びたくないと考える男性正社員が、松下でさえ半分いたわけです。今の若者は、企業丸抱えの人生を送りたくないと思っています。
 雇用の柔軟化自体は、グローバルな趨勢であり、避けることはできないし、その必要もないと私は考えます。九時から五時まで週に四十時間という定型的な働き方自体が、歴史の産物にすぎませんから。ただし問題なのは、雇用の柔軟化に伴う不当な差別です。雇用条件を柔軟に選択でき、中途採用や転退職も容易で、しかも賃金等で不当な差別を受けなければ、女性に限らず男性の中にも、正社員になることを積極的に選択しない人は少なくないでしょう。雇用者としての女性は、終身雇用にしてくれと要求しているわけではなく、非正規雇用に伴う不当な低賃金や身分差別に対して不満を抱いているのです。


育休は女性にとって研修期間


― 会社に対する意識が大きく変容しているということですか。

上野 正規雇用者は九時から五時までの定型的な労働以外に、長時間の残業や休日出勤など、仕事以外の暮らしに割く時間やエネルギーがいちじるしく制限されますから、自分の人生を丸抱えで会社に売ることを良しとしない人々は増えてきていますよ。夜だけ働くことも、週に三日だけ働くことも、自ら選択することができれば、そうする人はこれから増えるでしょう。ただ、正規雇用から降りたとたんに、極端な賃金格差が発生するという現状は是正される必要があります。
 もうひとつ重要なことは、雇用の柔軟化は世帯収入(インカム)のマルチプル化(複数化)と結びついているということです。正規雇用で暮らすことは、シングルインカム・ソースで暮らすということでしょう。会社がこけたら世帯の全員がこけますから、リスクが高いですね。
 しかし、自分の労働やスキルをそれぞれ複数の企業に切り売りする、つまりダブルジョブにして、週三日の労働を二つ組み合わせれば、そうしたリスクが小さくなります。シングルインカムで食える雇用者の労働市場のパイは今後伸びないと予想する学者もいます。これからは日本でもマルチプル・インカムで暮らす、いわゆる持ち寄り家計で暮らす世帯が増えるでしょう。夫婦でダブル、もしくはトリプル、クワトルの収入があると、いい生活もできますし、結果として家族の結束力も高まると思います。

― 社会的に限りなく男女の差別を解放していったとしても、出産直前から出産後数カ月の女性は仕事の戦線から離れざるをえないという生物的な特徴は残ります。経営者として、このハンディをどう克服すればいいのでしょうか。

上野 三カ月くらいは長期休暇のうちだと考えればいいんです。徴兵制があった頃のことを考えてみてください。隣の韓国には徴兵制があり、男は強制的に二四カ月の長期休暇をとらされます。それに比べたら、数カ月の産休や育休ですむ女の方がましだという議論もあります。しかも、休暇中に子育てを経験することにより、新しいニーズ、新しい視野、新しい発見を会社に持ち込んでくれることを考えれば、これは経営にとってもメリットですよね。育休は研修期間の一種だと思えばいいわけです。

― 現在、長野商工会議所では、最高五年間まで介護または育児休暇がとれる仕組みになっています。やむを得ぬ事情で長期間職場から離れざるをえなくなったとき、自分には戻る場所があると信じられることが、その人を支える可能性があると考えたからです。フレキシブルな生き方を可能にできるようなシステムを経営者が整えながら、終身雇用で暮らしたいと考える人には窓口を開けておくことも必要だと思います。

上野 おっしゃる通りです。育休制度が導入される前は、産休以上の長期の休みを取ろうとしたら、女性は職場を全部捨てなければなりませんでした。育休制度の恩恵は、復帰の保障があるということですね。
 一方で、ある会社で戦力になっていた女性が、育休や介護休暇を取った後で、再就職をしたいと思ったときに、他の企業がハンディなしで中途採用するようになれば、一企業が再雇用制度を売り物にする必要もないわけですよね。終身雇用を維持するから中途採用が難しいわけですよ。今以上に雇用の流動化が進めば、同じ会社に戻ることが保障されなくても、どこかに自分の能力を評価して採用してくれる企業があるという確信と信頼が持てますので、女性は不安に思う必要がなくなります。

― 確かに新卒より中途採用の方が、優秀な人が採れるのは事実ですし、とりわけ地方の中小企業では、その方が現実的です。

上野 それに育児期が終わった四十代の女性は、いちばん精神的に安定していて、社会性もあり、家庭とのバランスを取って働けます。企業にとっては大きな戦力ですよ。


同一労働・同一賃金は雇用の基本


― 今後、日本社会が女性に対して行わなければならないことは何でしょう。特に企業経営者は何をすべきですか。

上野 答えはものすごく前からはっきり出ています。男女賃金差別の是正です。基本は同一労働・同一賃金です。しかし、企業および日本の経営者団体は決してやらないでしょう。女性労働者が最も搾取できる雇用者だからです。

― 年功序列の弊害は分かります。いちばん給料をもらっている世代、つまり四十代後半から六十歳までの管理職に仕事をしない人が多いですね。本人は社内の政治的な根回しをしているから、自分は管理職だと勝手に思い、実務は全部部下にやらせて、一日中お茶を飲んで煙草を吸って、新聞を読んでいるだけです。

上野 サラリーマンでもっとも長時間労働をしているのは、三十代だというデータもありましたね。彼らの給与を時間給計算したら、すごく割が悪い。仕事をしない管理職の生活を、三十代社員や女性社員といった低賃金労働者が支えているわけです。それは世代的にもジェンダー的にも社会的不公正ではありませんか。

― ただし、それが不公正だといって、経営者の立場で直ちにこれを壊せるかといえば、難しいのも現状だと思います。彼らへの賃金は、彼らの家族を支えているわけですから。

上野 移行期をどうするかという問題はもちろんありますが、これからの世の中で、シングルインカム・ソースで家族を支えていくことが可能かと考えてみてください。一千万円の年収のある夫と専業主婦の組み合わせでなくても、夫婦共働きで夫が六百万、妻が四百万稼いでも年収一千万円になります。前者の組み合わせはこれからどんどん少なくなるでしょう。
 私たち研究者は、ある不公正がどうしたら変わるのかを考える時に、その不公正がどう成立したかを考えます。日本型雇用といわれる年功序列や終身雇用は一九五〇年代に一部の大企業から始まって、日本の企業に燎原の火の如く広まりました。成立に十年もかかっていないのです。しかも日本の伝統ですらなく、その起源が一九二〇年代のアメリカにあることもわかっています。この制度の恩恵を受けられる大企業の正規雇用者が全労働者のうちどの程度いるかといえば、一七%程度です。決して多くありません。終身雇用の歴史は浅く、だから意外に簡単に変えられるかもしれません。
 格差是正と言いますが、だれもが正社員になることが解決ではありません。いわゆる正社員型のライフスタイルをスタンダードにしなくてもいい時代が来ています。マルチプル・インカムになれば、自らリスクマネジメントもできますし、ジェンダー差も縮まります。さらに、目一杯稼ごうとする人も、そこそこ稼いで私生活を充実させようという人も、自分のライフスタイルに合わせて仕事を選択できますから、価値の多元化も進みます。ただし、このシナリオを明るいものとするためには、正社員とそれ以外の非正規雇用者との間の、不公正といえるまでの賃金格差を是正することです


厳正に管理職としての
能力が問われる時代


― 上野先生のシナリオを進めようとすると、いちばん無能な社員が終身雇用にしがみつきませんか。優秀な人材ほど組織から去っていくのではないでしょうか。

上野 過渡期にはそうでしょうね。日本は企業社会主義といわれてきた国ですから、移行期にはソフトランディングが必要だと思います。しかし、いずれドラスティックなリストラをしないと、生き残れない日本企業が多いことも事実でしょう。すでに管理職の淘汰が始まっていますから、年功だけで管理職が務まるほど甘くはないでしょう。
 雇用の柔軟化が進み、中途採用が盛んになれば、雇用者は能力のない管理職のいる職場には居つきません。管理職には、自分の部下のモチベーションを高めて、優秀な人材を離職させないよう、本来の管理職としての能力が求められるようになります。これまで管理職はポストではあったが、能力ではありませんでした。今後は厳正にその能力が問われるようになり、結果として経営者にもメリットになるのではないですか。

― 最後に、これから日本のフェミニズムはどこにいくのでしょうか。

上野 ここ数年、雇用の柔軟化のあおりを最も食らって、女をとりまく状況は悪くなっています。今後の見通しについては、安倍政権が長期化するか否かにかかっているでしょう。安倍政権は女性にとってはバックラッシュ政権です。小泉政権は、ネオリベ改革のもとに一定程度女性が有利になるような改革を進めてきました。しかし、安倍政権はどうやらジェンダーフリーが大嫌いなようですね。政権基盤が安定すれば何をやり出すか分かりません。男女共同参画基本法も、きっと改廃したいと考えているでしょうね。

― 教育基本法の考え方の中にそのベースはありますからね。

上野 ええ。私は歴史に対してはオプティミストになれません。歴史がいつも良い方向に動くとは限りませんから。さらに今後グローバリゼーションが進めば、国際社会における日本の相対的地位は低下するでしょう。しかし、国民の政治的選択しだいで、少子高齢化のなかでも日本をゆとりのある社会へ移行させるというシナリオもないわけではありません。

― 今までの日本社会が築いてこられなかった価値を、これからどう見出していくかが、企業経営者にとっても重要になりそうですね。本日はありがとうございました。


  




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