CCI

   2006年 8月号 No.697




新世紀への提言



上之郷 利昭
 (作家・評論家・ジャーナリスト)
 1936年三重県生まれ。英国ロイター通信社、日本の新聞記者を約20年間勤める。77年に作家・評論家・ジャーナリストとして独立。ジャック・ウェルチ、ジョン・ヤング、本田宗一郎、松下幸之助、土光敏光、堤義明ら内外の経営者や注目企業を取材し、各種雑誌に記事を発表するとともに、幅広く講演活動を行う。経営的視点からみた歴史上の人物論にもファンが多い。
 著書は『取締役になれる人 部課長で終わる人』『西武王国』『新・西武王国』『中内功の闘いはこれからだ』『教祖誕生』『利家とまつの夫婦学』『スパルタの海』『コメと日本人と伊勢神宮』など多数。

  


時代の声に応えた
地道で着実な経営こそ実を結ぶ


 時価総額こそ企業価値だと言った堀江貴文氏、企業の存在理由は株主価値の向上にあるとした村上世彰氏はともに司直の手に落ちた。企業とは何か、経営とは何かについて、問い直されている時代である。
 高度経済成長やバブル経済とその崩壊を経験し、その後経営環境がますます複雑化するなか、日本の企業経営者は何を指針に進むべきか。
 長年にわたり国内外の数多くの企業やその経営者と接してきた上之郷利昭氏に、今経営者に求められるものについてお聞きした。

経営は最高の「総合芸術」である

― 上之郷さんは、多くの経営者や企業の栄枯盛衰をご覧になってこられました。経営とは、一言でいうと何であるとお考えですか。

上之郷 最高の「総合芸術」だと思います。経営者は、資金調達、人材確保、人材育成、原材料調達、開発力や技術力、生産、マーケティング等々といった経営にとって欠くべからざる要素を、総合的にしかも瞬時に判断し、プライオリティを決定してためらうことなく実践しなければなりません。そこには、自らの作品と向き合う芸術家と同じように、ある種の感性が求められます。

― 「総合芸術」として経営が上手くいったときとは、つまり財務状況が優れているということですね。

上之郷 いつの世にも変わらぬことは、会社を黒字にすることが経営者にとって第一の使命であるということです。どんなに立派なことを言っても、赤字にしたらその経営者はアウトです。
 しかし、黒字なら何をしてもいいかといえば、これは違います。古い例では、足尾鉱毒事件や水俣病に見られるような公害を出しては、企業はもはや存立しません。水俣病を起こしたチッソは、財務状況だけ見れば一流企業でしたが、今の時代それだけでは駄目です。

― CSR、つまり企業の社会的責任を強く意識する企業が増えましたね。

上之郷 はい。企業に求められる条件が、時代とともに新しく付加されているのです。現代においては、コンプライアンス、リスクマネジメント、社会貢献、環境対策等さまざまな要求が、市場からも顧客からも社会からも、経営者に対して突きつけられています。経営者はこれらを明確に認識し、そして対応して、しかも競合に勝てる力を身につけねばなりません。企業を存続させる条件は、ますます厳しくなっています。

時代の声に耳を閉ざした堤氏

― 上之郷さんは著書の中で、ダイエーの中内氏、西武の堤氏を取り上げられてきました。あるとき輝きを放った経営者が、何かをきっかけにつまずいてしまうケースが企業経営には多々ありますね。その最たる原因とは何でしょうか。

上之郷 それはもう明らかです。経営者の慢心以外にありません。たとえば、西武はもともと中小企業でしたが、それがあれよあれよという間に巨大化していきました。いつのころからか、堤義明氏に慢心が芽生えたのでしょう。堤義明氏は、「坊ちゃん、坊ちゃん」と言われて何の苦労もせずに育ち、二十七歳のとき社長となりました。言い方は悪いが世間知らずだったのかもしれません。父である堤康次郎氏は、会社にあって絶対的な権力者で、取締役たちは逆らえなかった。義明氏は康次郎氏の日頃の振る舞いを見て育ち、それを経営者のあるべき姿、会社のあるべき姿だと思い込んだのでしょう。

― 会社は自分のものであり、役員すらせいぜい番頭に過ぎないわけですね。

上之郷 その通り。番頭もしくは家老ですね。自分が殿様ですから、社員はすべて家臣、つまり自分の持ち物になるわけです。彼が犯した罪は、社員の名義に偽装して西武鉄道株を保有したことでした。外部の株主による会社支配を防ぐ目的で、東証が設けている上場基準をクリアするため、コクドが保有する西武鉄道株の持株比率を実際よりも少なく見せかけました。会社も社員も自分の持ち物であるとの思い上がった思考、公開性という要求に対する無頓着さ、これらは義明氏の慢心の表れでしょう。しかも、彼に対して諫言する人がいなかったのも不幸でした。

― 周りはすべて「御意」としか言わない、あるいは言えない人たちばかりであると。

上之郷 ええ。絶対的なカリスマである康次郎氏が亡くなった後を受けたために、社長就任間もない頃は、周囲の権力争いも激しかったことでしょう。辛抱強く時を待って、やがて義明氏は見事父親と同じ立場に立ちます。西武グループのトップとして君臨した彼の経営は、その思考も手法も前近代的といっていい。しかし、企業として利益を生んだ、その一点に関して彼は優秀な経営者でした。義明氏が退いた後の西武は、財務面では非常に魅力ある企業だったからです。皮肉な言い方ですが、トップただ一人が退いたことで、その後に優れた会社が残ったわけですから、義明氏がつくり上げたものは評価に値します。氏の失敗は、「総合芸術」を創造するために新しく付加された条件、つまり公開性等の企業倫理を果たせなかったことです。先ほども申し上げたように、その企業が黒字であることのみで、評価される時代ではありません。

最澄と空海の宗教観の違い

― 創業者が成功を収めた後に、どうやって二代目に引き継ぐか、これも企業にとっては重要な問題かと思います。

上之郷 おっしゃる通り、バトンタッチは経営者にとって最大のテーマです。創業者があまりにも偉大だと、これを継ぐものにどれほど能力があろうが、先代がつくり上げた組織をコントロールすることは難しい。たとえばダイエーにしても、中内功氏のような怪物だったから、裸一貫からあれほどまでの大企業に育てられたのであって、それをそのまま二代目に受け継げというのは酷な話です。

― 大企業に限らず、中小企業の経営者も、バトンタッチに頭を悩ませています。さまざまな企業をご覧になったなかで、参考になる事例はございましたか。

上之郷 二代目が一代目より優れているというケースは稀ですね。ですから、トップにとっては、いかに次のリーダーを育てるかということが非常に重要になってきます。そのためには、大勢の人間が共有できるミッション、ビジョンを明確にすることが必要ではないでしょうか。
 こんな喩えがヒントになるかもしれません。最澄と空海という二人の僧がいます。最澄は天台宗を、空海は真言宗をそれぞれ開きました。二人を比べたとき、個人としては弘法大師空海の方がはるかに有名です。しかし、最澄が比叡山に建てた延暦寺は、その後仏教・学問の中心となり、鎌倉新仏教の開祖たちも多くここで学んでいます。それは、最澄が開いた天台宗が、宗派性が強くなく、オープンだったことに由来します。最澄は天台宗を開くことで、宗教界における次世代のリーダーを育成したのです。一方、空海が開いた真言宗は、密教と呼ばれる通り、秘密の呪法の伝習・習得により悟りを開こうとするもので、閉鎖的な側面があります。空海は宗教家であるとともに、政治家としての顔もあり、密教のベールで自分が習得した医術を隠し、神秘を装って嵯峨天皇に取り入りました。

― なるほど。乱暴な言い方になるかもしれませんが、個人の功名をとった空海と、仏教界全体を繁栄させた最澄という対比ができるわけですね。

上之郷 後世から歴史を見た我々が知ることは、最澄自身が時代に求められた存在であったこと、さらに彼が選んだ天台宗が、時代に選ばれた宗教であったという点です。
 ちなみに最澄は、藤原氏が仕立てた桓武天皇のブレーンでした。奈良時代末期、政治的変動のなかで、称徳女帝が死去し、専権をふるっていた道鏡が追放されると、藤原百川らは、それまでの天武天皇系の皇統に代えて天智天皇系の光仁天皇を即位させます。さらにその後、藤原氏が据えたのが桓武天皇です。当時の社会は政教一致でしたから、宗教家が政治のブレーンです。最澄の能力を早い時期から見込んでいた藤原氏は、彼を中国へ留学させ、いずれ桓武が即位したときのブレーンに仕立てようとします。

― つまり、次の政権にとって、最澄はなくてはならない存在であったと。

上之郷 はい。最澄の能力を認めたからこそ、藤原氏はその財力をもって最澄を助け、平安京を守護する位置に比叡山延暦寺を築かせました。
 かたや空海は、最澄が中国へ行く船に紛れ込んで海を渡ったようです。現地についても中国語が堪能だったのは、空海の方だといいますから、エリートの最澄に対し、空海は世渡りが上手く逞しい山師だったのでしょう。それが密教を開いたことにつながっていきます。

使命の明確化が組織を強くする

― 最澄はスタンドプレーこそなかったものの、上手に組織や人材を育て、結果として巨大な天台宗の一派を残したわけですね。自分が第一線を退いた後も、末永く自分が築いた組織を維持したという意味では、徳川家康もそうでした。二人には生まれつきの能力があったのでしょうか。

上之郷 堅固な組織を残したという点で共通していても、最澄の場合は主導的に動いていません。最澄と天台宗の一派との関係は、夏目漱石とその門下の関係と同じです。漱石自身は文学界にことさら影響力を持とうとしたわけではありませんでしたが、彼が生み出した文学が、時代に選ばれ、自然と優秀な門下生が集まってきました。同様に、奈良仏教に飽き足らなかった優秀な若者が、仏教の本質を求め最澄のもとにやってきた。後に彼らが自然と育っていったのであって、最澄が天台宗一派の発展を強く意図したわけではありません。最澄の評価は、社会に資するための宗教のオリジナルを開いた点にあります。
 一方、家康は組織づくりのために、さまざまな政治的画策をします。短期政権に終わった信長や秀吉を反面教師として、自分の後にどんな無能が出ても揺らがないシステムをつくろうとしました。有力な外様の周りを譜代で囲むように配置したのもその例です。参勤交代や改易といった制度は、三代家光のときからですが、その礎は家康がつくりましたね。

― 現代に目を向けますと、トヨタでは、「番頭」や「家老」が社長になっても、豊田家は存在感を示し続けています。非常に稀有な例だと思います。

上之郷 確かに最近、奥田氏、張氏、渡辺氏と、豊田家の外から社長が出ており、豊田家は「君臨すれども統治せず」を貫いて、表舞台には出てきません。世界的に見ても、トヨタは分析研究する価値のある企業だと思います。かつて奥田硯氏はトヨタ成功の秘訣について、「つまらないことの積み重ねをずっと続けてきただけですよ」とおっしゃっていました。つまり、地道な改善活動の蓄積だというのです。確たるトヨタイズムがグループのなかに貫かれているからこそ、豊田家以外から社長が出ても、組織は揺らがず成長するのかもしれません。

― トヨタの場合、連結対象のグループ企業だけでなく、いわゆる下請けもトヨタの成長とともに伸びています。

上之郷 あれほど高収益を上げながら、経営者が慢心していないところも、トヨタらしさかもしれません。時代も組織のあり方も違う最澄、家康、トヨタに共通するものを挙げるとしたら、それはミッションの明確化です。それぞれの時代と社会環境のなかにあって、三者は自らが何をすべきかきちんと認識しています。

経営にとって現場こそがすべて

― 豊田家は、家康同様三河の出身ですが、経営者の資質と地域性との関連はあるのでしょうか。

上之郷 愛知は「大いなる田舎」といわれるほどですから、三河は「豊田様」といえる土地柄だったことは確かです。全国からの流れ者の集まりである東京では、そうはいきません。トヨタがあったから地域経済が成り立った三河と、トヨタのような一社に頼らなくてもよかった東京とでは事情が違うと思います。
 重要なことは、自分たちの組織の何をもって、時代や社会の存在価値とするかを明確にすること、組織の構成員がそれを当事者として理解し実践できる環境を整えることです。
 つまり、組織のミッションをその構成員に浸透させるためには、トップは現場を疎かにしてはなりません。現時点で経営が上手くいっていることに慢心して本業を怠けていると、後でブローが効いてきます。メーカーならば、新しい製品が出なくなります。

― 社員に危機感がなくなり、弛緩してしまうのでしょうね。

上之郷 上手くいっている企業とは、上が下を適正に評価できる企業です。駄目な経営者は、自分が現場で苦労を積んでいないから、現場で苦労して働く人を評価できません。

― こんな話を聞いたことがあります。キヤノンの御手洗さんは、東北の小さな工場で働くたいへん優秀な社員の誕生日を記憶していて、次に工場に行った時にささやかなプレゼントをされたそうです。

上之郷 御手洗さんは現場を見る目があったのでしょう。プレゼントを渡された本人だけでなく、周りの人間も「地道にやっていれば、このトップは見ていてくれる」と感じるはずです。社員の士気は自然と上がりますね。石川島播磨重工業や東芝を次々再生していった土光敏夫氏は、「偉大なる工場長」と称されました。いかに経営者にとって現場が大切かということです。
 今、東京のハイヤー・タクシー業界では、日本交通という会社が独り勝ちの状況です。現在の社長は三代目ですが、当初この業界には全くの素人でした。彼は社長に就任すると、朝各営業所を回り、「皆さん、ご苦労さまでございます。僕は何も分かりませんが、よろしくお願いいたします」とドライバーたちに頭を下げたといいます。社員たちは、「この若造社長はやる気だな」と感じ、全社の士気が上がったのだそうです。

― マネジメント能力以前に、経営者には人を動かす力が必要だということですね。

上之郷 柴田勝家が建てられなかった墨俣城を、秀吉が一夜にして建ててしまったのと同じですね。社員にいかにモチベーションを持たせるかということです。では、人は何で動くか。「感動」という言葉があるように、人は感じて動くわけです。決して理屈では動かない。つまり「理動」ではないのです。

― すると、後継者を育てる場合も、現場を見せることがいちばんの教科書になりますか。

上之郷 現トップが後継者のためにできることは、現場で働く己の背中を見せることですよ。自分からやりにくいのなら、周りの人間にさせればいい。親の苦労を他人に言われれば、子は感動するものです。ですから、後継者を育てるには、周りの人間を育てることも重要でしょう。家康の創業の精神を受け継いだ家光がいたから、徳川幕府は十五代続いたともいえます。すると、家光の乳母として仕えた春日局の功績は大きいですね。さらに春日局を見出した家康はやはり偉大です。

社員を大事にする企業こそ存続する

― 現場と人を見抜く力は、いつの世の経営者にも必要ですね。そのうえで、次の時代に成功する経営者とはどんな経営者でしょうか。

上之郷 マネーゲームに走らない経営者です。つまり、地道にものづくりや商売をやっている企業の経営者です。今はIT長者、株長者などといわれますが、これまでにも突出して成長した業種はありました。しかし、浮かれたところはすべて駄目になっています。それはバブル崩壊をみても明らかでしょう。
 確かに、旧来の日本的経営において、株主の地位は低かったかもしれない。株主になって儲けようなどと考える者がいなかったから、マネジメントが無能でも存続した企業が多かったかもしれません。しかし、アメリカ式の経営手法を導入し、そのよさを取り入れながらも、日本は旧来の日本的経営に戻るでしょう。雇用についても同じことがいえます。終身雇用を捨て、多くの企業で不良資産処理のために人材を切りました。それにより立ち直ったところもあったでしょうが、反面、家族や子供が企業を信用しなくなりました。このしっぺ返しは必ずきます。

― 確かに、終身雇用や年功序列に甘えてしまった日本経済の側面もあります。しかし、数百年続いている老舗企業では、どの企業をとっても雇用調整を一切していなかったという話もあります。

上之郷 そもそも多くの日本人は、社員を冷遇し株主を厚遇することがすなわちアメリカ的経営だと思い込んでいる節がありますが、実際はそうではありません。中小零細企業を含めると、日本の全企業のうちオーナー企業の占める割合は九三%ほどです。アメリカはこれより多く九五%です。そのほとんどが地方にある優良企業で、社員を大事にしています。東京だけが日本でないのと同様に、ニューヨークだけがアメリカではないのです。株主価値の高さのみをもって、企業の価値を計れるわけではなく、企業のあり方とは何か、つまり、日本的経営のよさを残しつつ、時代が要求する新しい価値をどのように取り込んでいくかが、経営者の課題です。

― 長野県内にも地道な経営をしている企業が数多くあります。そうした経営者へのエールをいただいたように思います。本日はありがとうございました。


  




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