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2006年 7月号 No.696 |
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経営トップに求められるのは、
知的創造力と不退転の決意
株式会社NTTドコモの前身であるNTT移動通信網株式会社は、一九九二年にNTTから分割される形で誕生した。同社の初代社長となったのが、大星公二氏である。
現在、営業収益約五兆円、株式時価総額ではトヨタとトップを争うグローバル企業となったドコモだが、創業時経営は赤字であった。
「経営は知的挑戦である」と言う大星氏は、どうやってドコモを成長させてきたのか、氏の知的挑戦の哲学と実践に迫った。
設立当初、ドコモは赤字だった
― 携帯電話が発売された頃は、端末が大きく重く、今のように普及するとはとても思えませんでした。大星さんはその頃から、携帯の将来性について予見されていましたか。
大星 携帯電話の歴史は、一九七九年の自動車電話の発売に始まりました。確かに、当時その重さは一キロ以上ありました。しかし、世の中の技術が、より軽く、より小さくすることを志向していましたから、「携帯」の名の通り、誰もが持つ端末になることは予想されました。
― バッテリーが小さくなるなど技術革新があり、端末は一気に小型軽量化しましたね。
大星 ええ。しかし、ドコモも端末メーカーも携帯の市場性を認識して、初めてバッテリーや端末の開発に経営資源を投入したのであって、当初は携帯に市場性があると思う人はほとんどいませんでした。
― 日本における携帯の市場性が明確に認識される以前に、携帯が通信手段として普及している前例が、国外にあったのでしょうか。
大星 世界で最も早く携帯が普及したのは、フィンランドやスウェーデンなどの北欧諸国です。こうした国には、地理的社会的環境の制約があったために、携帯に対する切実なニーズがありました。北極圏に近いため、ケーブルを敷設する必要のある固定電話は、メンテナンスに莫大なコストが掛かってしまいます。そのため、たとえショルダータイプの大きく重い端末であっても、携帯電話が普及する条件があったのです。また、香港も同様です。狭い土地にビルが濫立していったため、これに固定電話のケーブル敷設が追いつかず、比較的早くから携帯が普及しました。しかし、こうした地域は世界的にも特殊で、日本やアメリカなどでは、携帯に対して関心が払われていなかったのが実情です。
― 大星さんは、NTTドコモの初代社長に就任されましたが、ドコモ創業当時も、状況は同じだったのでしょうか。
大星 はい。ご存知のように、ドコモは一九九二年、政府の競争政策によりNTTから分割され新会社として発足しました。しかし、それまでNTTが十三年かけて獲得した自動車電話のユーザーは、百万加入にすぎませんでした。内部では移動通信事業に対する不信感がありました。社長が「自分の携帯電話は頻繁に不通になる」と言うと、担当役員は「無線だから当たり前ですよ」と答えていたほどです。当時NTTで常務を務めていた私も似たようなものでした。ドコモは、本体の事業とは関係がなく、収益にも貢献しないという理由で分割されたようなものでした。
分割が決まり、結果として私が社長に就いたわけですが、ドコモ発足当初、前年より売上は減少し、経営は赤字でした。もちろんドコモ社内でも「携帯電話は売れないもの」と諦念されていました。
携帯は「時間のニッチ産業」
― 大星さんが社長になられて、市場性がまったくないと思われていた事業が、劇的に変化します。何がきっかけだったのでしょうか。
大星 社長になった私は、携帯が本当に売れないものなのか、真剣に考えるところから始めました。ふと思い出したのは「ホモモーベンス」というキーワードです。生来、好奇心の強かった私は、大学時代から幅広い分野の雑学に触れていました。その中に、建築家の黒川紀章氏の「ホモモーベンス論」もありました。ホモとは人間のこと、モーベンスは移動することを意味します。黒川氏は人間が進化し、豊かになると、好奇心と新たな情報・可能性を求めて行動半径を広げると考え、今から二十数年前に、このコンセプトをもって都市開発計画にあたりました。
確かに豊かな社会になると、人の行動半径は広がります。海外旅行に行く日本人の数は増えています。ホモモーベンス論は的を射ていたのです。では、行動半径が広がれば、どうなるか。盛んに動き回ることにより、必ず時間の隙間ができます。その隙間の時間を利用して、人は新聞や本を読むことで知識・情報を得たり、音楽が聴きたくなったり、あるいは出先から連絡できる手段も欲しくなります。つまり、隙間=ニッチ産業は伸びるはずで、携帯はその最たるものになると考えたのです。私は、携帯を「時間のニッチ産業」と定義しました。決して売れないものではない。携帯は絶対に売れると確信したのです。
― 本来売れるべきものが、なぜ売れなかったのでしょうか。
大星 そこが問題です。何か購買意欲を抑圧する要因があるはずだと考え、私はCS(顧客満足)情報、つまり顧客から寄せられた苦情処理票をもとに分析を始めました。
マーケティングには、ABC分析という手法があります。何か問題が生じた際には、これを解消するための優先順位を決することが重要です。まず、問題の原因を分類し、多い順にA、B、Cと並べます。そして、最大の原因であるAから三つないし四つを解消すれば、問題の八割は解決します。およそ七百枚の苦情処理票には、料金や重量など、さまざまな不満要望がありました。私自身、当初は料金が高いことが最大のネックであると考えていましたが、分析の結果は違いました。
― 携帯が売れない最たる原因は何だったのですか。
大星 そもそも電話がつながらないという不満です。使えない地域が多く、また通話できてもすぐに会話が途切れてしまう。これでは、普及するはずもありません。
ではなぜつながらないのか。通信の専門家である社内の技術者たちでさえ、その原因についてよく考えず「無線だから仕方がない」と言います。そんな時、私のような門外漢が、案外新鮮な発想をするものです。
先ほどもお話ししたように、NTTの移動通信事業は自動車電話から始まっています。そこで、コスト効率を考え、道路に沿って通信ネットワークを構築していたのです。自動車電話だけなら、これで事足りました。しかし、電話を自動車から出して、携帯するとなると勝手が違います。自動車が通れない場所に入れば、通話が途切れます。そのことに誰も気づかなかったのです。
「線から面へ」トップの決断
― 自動車電話にとって合理的な通信ネットワークが、携帯電話にとっては、ある意味欠陥だったわけですね。
大星 その通りです。ネットワークの張り方が悪かったのです。道路だけをつなぐ線のネットワークが、通信を阻害している。ならばこれを面に変えようと私は考えました。北は北海道から、南は沖縄まで、電波が届くようネットワークを張ることができれば、必ず携帯は普及するはずだと、「線から面へ」のコンセプトを打ち出し、ネットワークの再構築を決断しました。
― たいへん大きな投資になったのではありませんか。
大星 主要な都市圏をカバーするための初期の投資で、相当かかりました。ネットワーク再構築を役員会に諮ったところ、「百億の赤字を抱える会社にそんな余裕はない」と皆から反対されました。「必ず需要はあるから、借金すればいい」と説得しても誰も耳を傾けません。
議論していてもらちがあかないので、私の独断でこう宣言しました。「借金をしてでも、一年でネットワークを整備する」。当然、役員から反発され、「赤字がさらにかさみ、会社が潰れたらどうする気か」と詰問されました。「その時は社長を辞める」それが私の答えです。不退転の決意で、一年でネットワークを整えた結果、その効果はてきめんでした。
― そこまでの覚悟が大星さんにはおありになったわけですね。
大星 ええ。日本の多くの社長に欠けているのは、失敗したら責任を取って潔く退くという覚悟だと思います。日本の経済が長い間低迷してきたのは、市場の変化に対応し、自らが変化し、チャレンジするトップが少なかったからです。失敗と引責を怖れ、多くの社長がそのポストにしがみつき、チャレンジしてこなかった。しかも赤字になっても、不況などを理由に持ち出して、自ら責任を取ることをしない。日本の社長ほど楽な商売はありません。こうしたことが、日本経済をダメにしたと私は思います。
経営とは、知的挑戦である
― 携帯の普及を抑えていた要因の第二は、ABC分析によると何だったのでしょうか。
大星 料金に対する不満です。当時、携帯電話は高価なのでレンタル制でしたが、初期導入費用が非常に高く、十万円の保証金と新規加入料六万円が必要でした。これに月々のレンタル料、通話料などが加算されます。高いから売れない、これも事実でした。売れないから量産効果が働かず高いままです。それなら、先に値段を下げればいいと私は考えました。ここでもまた社内の反発にあいました。「赤字なのに値下げするとは何事か」と言うのです。しかし、経済学の価格弾性理論にいう通り、価格が下がるにつれて、需要は上がるはずです。ここでも社内を強引に説得しました。
まず私が疑問に思ったのが、十万円の保証金です。これほど高額な保証金を取る必要があるのか、私には理解できませんでした。根拠を聞くと、高価(当時十四万円ほど)な携帯を持ち逃げされた時の保証だと言います。しかし、よく考えてみればおかしな話です。携帯を持ち逃げされたのなら、電波を止めてしまえばいいのです。つながらない電話を欲しがる人などいませんから。そう指摘すると、皆はたと膝を打ちました。十三年間、誰もこのことに気づかなかったのです。ずっと続いている制度や習慣は、疑いもせず受け入れてしまいがちです。私は、まずこの保証金を廃止しました。
その後、新規加入料も徐々に値下げしました。値下げ直後は赤字でも、すぐに販売台数が伸びて黒字に転換しました。黒字になったら、また値下げする、その繰り返しです。また、ネットワークの再構築と先行値下げのほかに、委託販売による販売チャンネルの拡大なども行った結果、携帯の普及は加速度を増し、爆発的に売れるようになりました。
― 先行値下げに関しても、トップの英断が好結果を招いたわけですね。
大星 私は常々経営は知的挑戦だと言っています。科学的・論理的に裏付けされたさまざまな知識・データを集め、これを体系化して自らの知識とし、よく考えれば必ず答えは出てきます。今、最も経営トップに求められるのは、こうした知識をエネルギー源とした知的創造力です。コストダウンだけでは、競争力に限界があります。ならば、需要を創出するのがトップの努めです。知的創造力を生産的に発揮して、新たな市場、需要を創り出すことが、企業を継続的に成長させます。
さらに、知的挑戦というからには、経営トップはチャレンジしなければいけません。確度の高い予測ができたら、ハイリスク、ハイリターンであっても、大胆に挑戦しなければ結果は決して生まれません。
iモードでドコモを
情報処理企業へ転換
― iモード導入は、まさに画期的な知的挑戦だったと思います。
大星 量産効果で安くなった携帯がますます伸びていき、ドコモに限らず各社とも右肩上がりの急成長をしていた時期でした。社内も大喜びでしたが、私は一人危機感を感じていました。早晩、普及は飽和状態になると予想されました。新規利用者の増加が頭打ちになれば、一加入当たりの収入単価が下がり、やがてドコモの総売上も減少します。さらに、他社との間の値下げは過当競争になるばかりです。安売り競争を続けていれば、デフレスパイラルに陥ります。そこで、端末の軽量化を図ったものの、こうした技術ではすぐに他社に追いつかれました。技術的競争で優位に立つだけでなく、他社を完全に振り切れるドコモの携帯にしかないビジネスモデルが必要となりました。
― 通話機能だけの携帯では、差別化できないと判断されたのですね。
大星 ええ。携帯が売れているといっても、電話機が売れているだけで、これは水道の蛇口を売っているようなものです。各家庭に蛇口が付けば、蛇口はもう売れません。新しく売るものがなくなります。「もしもし、はいはい」という音声だけではだめなのです。私は通信の専門家ではありませんでしたが、ずっとコンピュータに携わっていたので、携帯で情報処理をし、音声以外のものを流せないかと考えました。そのコンセプトである「モバイル・コンピューティング」を初めて世に打ち出したのは、平成八年七月十九日付日経の新聞広告においてでした。これをもって私は、ドコモを電話屋から情報処理屋へ商売替えしようと目論みました。
― モバイル・コンピューティングという言葉は、当時は耳に馴染まない言葉だったと思います。大星さんは、どこからそのコンセプトを導き出してきたのですか。
大星 第一に、コンピュータに関する知識です。米国インテルの創設者ゴードン・ムーア博士は、一九六五年にコンピュータの急速な発展を予見していました。その論の通り、誰でも気軽に使える時代が目の前に迫っていました。第二に、未来社会に関する知識です。豊かになり、モノがあふれてきた時、人は何を求めるか。ダニエル・ベルが唱えた「ポスト・インダストリアル・ソサエティ」、マッハ・ルーブの言う「ナレッジ・インダストリー」、アルビン・トフラーの「第三の波」などに、共通した答えがありました。モノが充足したら、人は精神の豊かさを求めます。精神の豊かさとは、たとえばインフォメーション、ナレッジ、エンターテイメント、コミュニケーションなどではないでしょうか。携帯端末を手軽に持ち運べるコンピュータ端末にして、人生、生活に充実をもたらすこれらの要素を提供すれば、圧倒的な差別化が図れると私は思いました。
― とはいえ、前例がまったくない事業に、なぜ確信をもって挑めたのですか。
大星 いえ、実は同様の前例はあったのです。ソニーのウォークマンがそうです。ウォークマンが売れていたのは、モノとしてのウォークマンではなく、ウォークマンが提供する音楽=エンターテイメントが消費者に受け入れられていたからではないでしょうか。iモードも端末を買うのではなく、そのサービスを買ってもらうのです。
「ボリュームからバリューへ、ボイスからノンボイスへ」とうたった私たちのコンセプトは、私の発想を実際のサービスに具現化した社員や、端末メーカー各社など多くの方々の努力があって、平成十一年二月にiモードとして結実しました。モノが充足した成熟社会では、情報化が進み、コミュニケーション、情報、知識、エンターテイメント等への潜在的需要が顕在化するという私の読みは当たり、iモードは現在四千六百万加入という巨大なマーケットになっています。
新技術の影の部分をガードする責務
― 当初は携帯で文字を入力するのは面倒な作業だと考えていましたが、今では手放せないものとなりました。
大星 かつてポケベル時代に、公衆電話のプッシュボタンを物凄い速さのブラインドタッチで押し、メッセージを送る女子高生がいるのを見て、少なくとも彼女たちには必ず受け入れられると考えていましたし、メーカーがブラウザソフトを開発してくれたおかげで、携帯は急速に浸透しました。iモード成功の背景には、日本のものづくりの実力が大きな要素となっています。
― 海外では、iモードは普及しているのでしょうか。
大星 普及の速度は日本に比べて遅いですね。日本文化と欧米文化との違いかもしれません。とりわけヨーロッパ文化は、iモードのような、プラクティカルなコミュニケーション、エンターテイメントに価値を置かないような気がします。ドコモの商売としては、日本文化のあり方は悪くないのですが、今の携帯電話の激しい使い方を見るにつけ、このままでいいのだろうかと思う時もあります。技術革新には常に光の部分と影の部分があります。たとえば核技術は、平和利用すれば人類にとって欠くべからざるものですが、使い方を誤れば人類は滅びます。同様に携帯のアプリケーションも、今や娯楽的要素にばかりウエイトが置かれ、あるいは携帯を通したコミュニケーションばかりが先行し、影の部分が強くなってきた気がします。親は子どもに携帯を持たせない。持たせたとしても料金は数千円以下と決めるなど、家庭におけるルールが必要でしょう。既にドコモも、子どもが使用する携帯は、使用料が一定金額に達すると使えなくするなどのサービスを提供しています。影の部分をガードする仕組みをドコモが自主的に設けることが、携帯やiモードを開発し、世に送り出した者としての社会的責任であると考えます。
― 本日は経営者にとって、非常に意義あるお話をうかがえました。ありがとうございました。
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