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オンリーワンを貫けば、
地方にあっても世界で勝負できる
今、日本の地方は経済と雇用を支える手段を失っている。製造業は中国をはじめアジアに生産拠点をシフトし、農業にも活力がない。情報産業は中央ばかりが華やかである。どの産業をとっても、地方は日本経済の舞台の袖に隠れているようだ。
そんななか、地方から発信する経済のあり方にひとつの答えを出している企業がある。岡山市に本社を置く株式会社林原だ。研究開発に特化し、インターフェロン量産法の開発などで世界に知られる。
独創を旨としている同社の林原健社長に、地方と地方企業のあり方についてうかがった。
地元企業の採用はコネでいい
―― 林原さんは世界的知名度のある企業でありながら、岡山に根づき、あくまで地方にこだわっておいでですね。
林原 初代が林原商店を創業して以来一二〇年余り、私どもは岡山で仕事をさせていただいています。私もここで生まれ育ちました。岡山に愛着がありますから、東京へ出ようとは思いません。
これまで日本の地方都市は、新幹線や高速道路を建設することで、中央との時間的距離を短縮することに努めてきました。地元に人を呼び込もうとしたのでしょう。しかし、その目論見は逆効果でした。インフラが整うほど、優秀な人材が地方から流出しています。ほうっておいても人が集まる中央の真似を、地方がしても駄目なわけです。だから地方企業は率先して地元の人材を採用し、できる限り地方に人が根づくことを考えるべきです。また、大企業を真似て試験をする必要もありません。地方企業はコネ採用でいいんです。林原は岡山の人を最優先で採用するようにしていますよ。
― 気心も知れて職場の人間関係が良好な方が、企業の業績向上にもつながるかもしれませんね。
林原 ええ。地方に何十年とお世話になっていると、採用は単に人材調達ではなく、地域との関係を深めることにもなります。わが社に入社してくれたことで、岡山にとどまる人も増えるわけです。しかし、新卒中途に限らず、地元での就職を望む人があっても、彼らを満足させる受け皿が地方には少ないというのが現状でしょう。それでは地方に活気は生まれません。
― 林原さんでは、女性社員が出産などで一時的に会社を離れても、ほとんどの方がもとの職場に戻るそうですね。
林原 研究職の社員が多いものですから、研究を中断されると会社としても大きな損失です。仕事を続けてもらうのは、互いにとってメリットなのですよ。
― 地元のコミュニティへの貢献の度合いは、とても大きいですね。アメリカ的な能力主義を導入した企業は、コンプライアンスや内部牽制に大きなコストとエネルギーを使い、結果として業績も伸び悩んでいるケースが多々みられます。一方、終身雇用、縁故採用を続けている企業は、長野県でも好業績を上げているケースが目立ちます。
林原 おっしゃる通りです。今後、地元に帰って働きたいと思う人が増えたとき、地方の企業が地元出身者の中途採用枠を通年設けるだけで、その人にとっても会社にとっても、ひいては地方にとってもよい結果をもたらすと思います。
独自技術で米の大企業に勝利
― 林原さんが一九七三年に開発に成功されたプルラン(天然の多糖類)は、薬のカプセルや食品包装用のフィルムなどとして、さまざまな分野で利用されています。今やプルランのトップメーカーですね。
林原 トップというより、二番手がいないのです。かつてはアメリカがデンプン研究の先進国でした。私どもがプルランを開発する以前、アメリカの大企業との間で、高純度のアミロースの開発競争がありました。アミロースはデンプンから得られます。そこでアメリカは、企業と農務省の共同研究により、トウモロコシの品種改良をすることで、アミロース成分の多いトウモロコシを作ろうとしました。しかし、その研究では純度八〇%のアミロースが限度だったようです。
私どもはと言えば、大企業と同じことをやっていては、勝ち目はないわけです。当時林原の研究開発の目的は、デンプンを自在に加工し、いろいろな糖をつくることでした。そもそもデンプンとはぶどう糖が複雑に連なったものです。これをほぐして一直線の単純な構成にしたものがアミロース、さらに単体に分けたものがぶどう糖です。林原は普通のデンプンを効率的にほぐす酵素を探すことにしました。目的の酵素を生み出す微生物を求めて、各地の土を集めました。幸運にも、酵素イソアミラーゼを生み出すシュードモナス菌を発見でき、林原はアミロース研究において、アメリカに勝つことができました。
― 日本の一地方の中小企業に敗れたことは、その企業にとって衝撃だったでしょうね。
林原 これまで莫大な投資をしてきたにも関わらず、一夜にして全く別の方法で高純度のアミロースが生み出されたわけですからね。その大企業は、アミロースの基礎研究を放棄したと、後日聞きました。以来、この分野の研究に関して、二番手がいないのです。
その後、新しく発見したイソアミラーゼなどを使って、まずマルトース(麦芽糖)をつくりました。これが医療の輸液として使われたことで、林原は赤字から脱したとも言えます。さらに、マルチトール(甘味料の一種)など、マルトースから派生した製品が相次いで開発され、私どもの糖のレパートリーは一気に広がりました。
― プルランもそうした過程で生まれてきた商品ですか。
林原 プルランという物質自体は、以前からあったものの、当時プルランがフィルム状で存在するとは知られていませんでした。これを発見したのは全くの偶然です。結果的には、マルトース、マルチトール、プルランといった一連の研究成果で、酵素によるデンプン分解から、新しい糖質製品を開発するという、私どもの独自技術が、きちんと事業に結びつくことが証明されました。
― デンプン質からできたプラスチックとして、プルランの市場は今後も伸びていきそうですね。
林原 食べられるプラスチックですね。自然に分解されますから、廃棄においても問題にならない。石油と違って原料枯渇の心配もありません。今後、石油化学製品と大差ないプルラン製品を低コストで発表するつもりです。その折には、従来の何十倍何百倍の需要が見込まれます。石油化学製品の二割はプルランに代わるでしょう。
地道な基礎研究が
思わぬ副産物を生む
― 林原さんの主力製品のひとつトレハロースは、テレビCMですっかりお馴染みになりました。
林原 私どもは原材料メーカーであり、末端商品は扱っていませんから、あのCMはトレハロースを売るためではなく、トレハロースという糖を消費者の方に認知してもらうために流しています。生物の細胞の中にもある天然糖質です。トレハロースは非常に安全で、人間にとって縁の深い糖でありながら、そのことがあまり認知されていませんでした。現在、さまざまな利用分野のあるトレハロースですが、この糖質が使われていることは、安全なのだと消費者の方に理解していただきたくてCMをつくりました。
― 食品はもちろん化粧品にも使われているとお聞きしました。今後もトレハロースの利用範囲は広がっていきそうですね。
林原 現在までのところ、トレハロースは甘味料の延長線上で伸びてきています。今後は、トレハロースがもつ甘味料としての特徴以外の性質を生かした分野に用途を伸ばしていきたいと思います。
― まさに「夢の糖」であるゆえんですね。トレハロースにも、アミロースと同じような開発ドラマがあったのでしょうか。
林原 いえ。研究を始めたのは、一九八〇年代の後半です。トレハロースの働きはそれ以前から知られていましたから、これを作ろうという挑戦もあったものの、トレハロースはぶどう糖同士の結びつきが強く、デンプンから直接作ることは不可能とされていました。当社でも、最初からトレハロースを作ろうとしたわけではなく、「砂糖のような性質で、甘さが少ない糖」を作ることを目的に、アミロースの時と同様、新しい酵素を求めて新しい微生物を探していました。これもまた幸運なのですが、岡山市内で採取した土の中に、デンプンに反応させるとトレハロースを生み出す菌が見つかったのです。これを発見したのは、入社して数年の若い研究者でした。
― 林原さんの何が、こうした幸運を生むのでしょうか。
林原 私どもの研究は、当初想定したものがその通りにできることはまずありません。しかし、目的をもってやっていれば、何かが途中で生まれてきます。時間がかかり、ムダに見えることも多いかもしれませんが、林原の製品は、こうした過程で生まれてきた、いわば副産物がほとんどです。トレハロースも、最初からこれを作ろうとしていたら、定説に縛られてできなかったでしょう。私どもはトレハロースを意識しながらも、トレハロースにこだわりませんでした。基礎研究の継続があったからこその幸運です。
― その後、安価かつ大量にトレハロースを生産できる技術に目途がつくと、林原さんはトレハロースに関する世界中の用途や関連特許を、すべて買い取ったとお聞きします。かなりのエネルギーと時間を要したのではありませんか。
林原 はい。トレハロースは、最初から国際的な商品にすることを念頭においていた商品でしたから。ユーザーの立場になれば、新製品を開発する度に、いちいち特許問題に煩わされていてはたまりませんし、せっかく安価で優れた製品を開発したにも関わらず普及しません。私どもとしては、お客様にそうした煩わしさなしに、林原のトレハロースを使っていただいた方が、より用途が広がるわけです。
誰も手をつけない研究を狙う
― 林原さんが、長期的な研究を継続できる要因はどこにあるのでしょうか。
林原 当社は創業以来家業であることを貫いています。上場している大企業の場合、株主に納得してもらうためには、数年で成果が出る研究しかできません。しかし、研究には十年、二十年の時間をかけないとできないものがあります。こうした研究には大企業は手を付けないので、私どものような上場していない中小企業は、ここを狙えばいいのです。時間がかかっても自由にできる研究をやり、成果が出たら大企業にバトンタッチします。末端製品までつくる必要はありません。上場しないことにはさまざまなハンディもありますが、研究開発型の企業にとっては、家業という経営形態が大きなメリットになると私は思います。
― しかし、長年の研究が日の目を見ることができるか否かの判断は難しいでしょうね。
林原 それはトップの判断です。研究を長年続けても、結果は「ゼロか百か」です。プルランの時もそうでした。発表した時は反響が大きかったものの、初めは期待ほどには売れませんでした。社内からは事業を止めるべきだとの声もありましたが、私は続けることを選択しました。BSE問題が起きてから、薬や健康食品のカプセルを植物性のプルランに代える動きが一気に加速したのは、運としか言いようがありません。これは成功した例ですが、研究開発には失敗が付き物です。成功したケースは数知れぬ失敗の上にあるものです。
― 研究テーマの設定や方向付けは社長が決められるのですか。
林原 はい。テーマの設定いかんで会社の命運は決まります。選択を間違うと、どんなにいい人材、仕組みがあり、時間や資金を注ぎ込んでも結果は出ません。研究開発の基本は、他が手をつけていないテーマを選ぶこと、数年で結果が読めるような研究には手を出さないことです。テーマ選びの議論は研究者と活発に行いますが、意見は聞いても決めるのは私です。人はとかく失敗した時のことを心配するものですから、彼らにも不安はあるでしょう。その結果テーマ選びにも臆病になってしまいます。だから私が決めます。その代わり結果の責任はすべて私がとることを明確にします。その上で、研究者たちに新しいテーマに挑戦させます。最初に人材について話がでましたが、こうした未知の分野に挑戦することの積み重ねが、学歴などに関係なく研究者を育てますよ。そして、よい研究によりよい商品が生まれれば、営業マンも育つものです。
「人間とは何ぞや」を追求する
― 酵素や微生物、バイオといった中核事業以外に、林原さんはさまざまな事業を展開されています。なかでも、ゴビ砂漠の恐竜化石やチンパンジーを研究する林原自然科学博物館はユニークな活動のひとつですね。
林原 私どもの発想の原点は生命です。生物への興味と探求なしには、林原の研究はありえません。活動領域がライフサイエンスにまで及んだのは、自然な展開でした。
現在、遺伝子研究による生物学が注目を浴びていますが、生物は遺伝子のみで解き明かすことはできないと私は思います。たとえばヒトの遺伝子とチンパンジーのそれとは、誤差ほどの違いしかない。ではなぜヒトは進化したのか。教育こそヒトの進化を決定づけたのではないでしょうか。ヒトは五百万年前にチンパンジーとの共通祖先から派生しました。ヒトの祖先が、たまたま厳しい環境に置かれたために、二足歩行を余儀なくされ、知能が発達し、その後教育により文化が継承されたと見ています。それを実証しようと、チンパンジーの研究を始めました。彼らを人間と同じ環境に置いた場合に、何世代も経れば、ヒトもしくはヒト以上の能力を身につけるかもしれないのです。
― とてもロマンのある話で、確かに株主の顔色を窺わざるを得ない大企業ではできない研究ですね。
林原 私ども生物を研究する者にとって最大にして最後のテーマは、「人間とは何ぞや」です。旧態の社会経済の価値観が矛盾を孕み、閉塞感が表面化している今、我々も一個の生命であるという認識を取り戻すことは意味のあることだと思います。
― 一見関連性がないように見える研究が、本業の研究に最終的に集約してくるわけですね。
林原 研究とは本来そうしたものだと思います。これから人類の歴史が始まって以来、もっとも豊かな時代を私たちは迎えるでしょう。このままいくと平均寿命が百歳を超える日も遠くないでしょう。そうなった時、人間はただ生きるだけでなく、元気で若く美しく生きたいと思うはずです。私どもでも、天然由来の画期的なサプリメント商品を発表する予定ですし、今後こうした方向に沿った商品は次々に生み出されていきますよ。
地方でも新しいものは創造できる
― 林原さんでは、JR岡山駅前に広大な土地をお持ちで、自ら再開発に携わるとお聞きしています。
林原 岡山駅はすべての交通の結節点になっているにも関わらず、ほとんどの人がこの駅を素通りしてしまいます。岡山駅で降りる人が、たとえ数%でも増えれば、岡山市はがらりと変わるはずですし、東京や他の地方の物まねをしない限り、再開発は成功すると思います。
― 日本の地方都市で、新幹線の駅前にこれほどまとまった土地があり、行政の干渉を受けずに、民間が自らのセンスとリスクで駅前開発をできるケースは、ここ岡山だけではないでしょうか。本業で独創を貫いてきた林原さんのことですから、どんなものができるのか想像すらできません。
林原 簡単に思いつかれてしまうものなら、すでに誰かがやっているでしょうから、それでは困りますよ。
― ますます完成が楽しみになってきました。ところで、今後の日本経済について、どんな見通しをお持ちですか。
林原 私は全く悲観していません。日本人の気質とそこから生まれる技術は、今後もその優位性が揺らぐことはないでしょう。ものを作るという経済の根幹の部分で、日本は生きていけるはずです。日本は、明治維新から必死になって欧米の技術を取り入れ、太平洋戦争ではアメリカを敵に回して戦ったアジア唯一の国です。戦争でたくさんの犠牲を払いながらも、日本を一流国に押し上げた技術者の多くは生き残り、戦後中小零細企業に技術の種を蒔きました。その技術が今も脈々と受け継がれ生きています。それが中国や韓国とは違うところです。
― 確かに日本の中小企業の技術力は世界に類を見ないものです。
林原 ですから、地方にいるから新しいことができないというのは、言い訳に過ぎません。新しいことをするための道具はそろっています。進歩したいろんな技術を組み合わせて新しいものを創造すれば、場所はどこでも構わない。東京である必要は全くありません。
そのためにも、新しい技術を上手く利用して新しいものを創造する教育を、学校や家庭でもっと施してほしいですね。そうした環境が整えば、若い人は地方から出て行きませんし、地方は活気づくはずです。
― 今の地方を打開する意味で、とても意義のある提案をいただきました。本日はありがとうございました。
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