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過去の成功体験が通用しない
時代の生き方、地域のあり方
バブル崩壊後の十年を「失われた十年」と比喩して久しい。だが、失われた十年は、今や十五年になろうとしている。変わらなければならないことを誰もが知りつつ、どう変わるべきかその術を探りあぐねているのが今の日本かもしれない。
劇作家の平田オリザさんは、十三歳のころ世界一周を決意し、旅行資金を稼ぐため自らの意思で定時制高校に進学して日中働き、十六歳で自転車での世界一周を成し遂げた。現在は、劇作家として海外でも活躍する平田さんの目に、今の日本という国はどう映っているのであろうか。今、私たちの置かれている状況、そして変わる契機はどこにあるのかをお聞きした。
「伝わらない」経験の乏しい現代の若者
― 平田さんは、世界に向けて広い視野をお持ちで、日本社会を冷静な目で論じることができるお一人かと思います。今の日本社会に対して、どうお感じになられていますか。
平田 仕事柄コミュニケーションや言葉について気になることがあります。少子化などの影響で、若者が他者と接触することが少なくなりました。彼らは温室のごとき閉ざされたコミュニケーションの場で育てられています。一方で、現実の社会に出れば、生身の他者とコミュニケーションをとらざるを得ない状況が生じます。若者は温室の中で成り立つコミュニケーションと、社会の実態とのギャップに苦しんでいるのではないか、他者との接触を無意識に怖がってしまっているのではないか、そんなふうに感じます。大人になりたくない若者が増え、時に心の弱い人は引き籠もってしまう状況には、こうした背景があるのではないでしょうか。
少年時代、私が旅に出て感じたのは言語的孤立でした。最近のように、電話やメールが気軽に使える状況になく、手紙で日本とやり取りしていましたから、一日中誰とも話さない状態が続きました。しかし、もどかしさを感じながらも、「とにかく自分は生きている、存在している」ことを文字にしたため伝えてきた経験が、今の仕事に役立っています。一方、今の若者には、「伝わらない」「通じ合えない」という経験が決定的に不足しています。手段はいくらでもありますから、すぐに通じ合えてしまう、分かり合えてしまいます。さらに、そのコミュニケーションが自分にとって「分かり合える」仲間だけで成り立っているため、その外にいる他者に対する表現が生まれにくくなっています。
また、自分の目標が見つけられない若者が多いことも気掛かりです。高度経済成長期であれば、国家の目標、企業の目標、個人の目標は一致していました。上司の言うことを忠実にこなせば、給料も上がり、車も家も買えた時代です。個人は、社会が求める競争原理に乗ってさえいればよく、あまり自分の判断が求められることはなかった。
今は自分にとって何が幸せか自分で決めなくてはいけない。しかし、自己判断や自己責任の取り方について、今のところ学校では教えてくれません。成長型の社会から成熟型の社会へと、社会の構造が大きく変わったにも関わらず、教育のシステムは未だ競争原理のままです。こうした状況も、大人になりたがらない子どもを増やしているのではないでしょうか。社会の構造改革が必要だとは言われますが、精神の部分の構造改革、つまり自己判断や自己責任の原理にシフトしなければ、日本の社会は変わっていかないと思います。
子育てのノウハウも変容している
― 教育の現場にいる教師も、文部科学省に籍を置く行政官も、日本の高度経済成長期を経験した人が中心です。いい学校へ行き、いい会社に入り、まじめにコツコツ仕事すれば、幸せになれるという価値観から抜け出せないのでしょう。
平田 やはり大人が変わっていかないと精神の構造改革は難しい。しかし私から上の世代では、工業やものづくりに対して、大きな成功体験と強い自負があります。それが構造改革を妨げています。
工業立国においては、親や先生、上司の指示通りに動ける人間が、いい人間いい人材でした。しかしマスプロダクトの時代は終りました。第一次、第二次産業に従事している人でも、サービス業的な感覚、たとえば消費者のニーズを汲み取った商品開発が必ず必要になる。今後の社会では、アイデアとか発想とか柔軟性が求められる。しかも、自分のアイデアを説明できる能力を備え、結果に対して責任を取ることができる人材が優秀とされるはずです。しかし、こうした能力を伸ばす教育プログラムはまだ実施されていない。これも課題ですね。
― 平田さんご自身、日本がすでに高度成長社会の中にあった時代にお生まれですよね。世の中がおしなべて成功体験に浸っている時代にいながら、少年期に自分でお金を貯め、世界を旅するなど、当時としては異質な子どもだったのではないですか。
平田 私が育った街には、東大駒場キャンパスがあります。この商店街で過ごした子どもたちは、学校の成績がよければ、末は東大に行くものと、親に育てられました。それが無意識に私を息苦しくさせていたのだと思います。自分にだけ拓けた世界がないはずはないと、私は考えていたのでしょう。
私と同じ一九六二年生まれには、芸術家になった人が多くいます。一方で犯罪者も非常に多くて、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤、新潟監禁事件の佐藤宣行、池田小学校事件の宅間守、和歌山カレー事件の林真須美被告、すべて私と同世代です。彼らは、自分の王国を築き、そこへ入ってくるものを阻止しようとして罪を犯しました。
― それも高度成長期に育った子どもの一側面であると。
平田 ええ。私たちの親の世代は戦中派で、物のない時代に少年少女時代を過ごしました。自分たちが苦労したので、子どもたちには何でもしてあげたいと願う世代です。高度成長期に入り、日本は歴史上初めて、親が物質的な苦労なしに子育てできる社会を迎えました。物がない時に、親が子どもを我慢させることはできます。買い与えようにも物がないわけですから。しかし、物がある時に、親が子どもに我慢させるには、別の説得力が必要です。そうしたノウハウがない時代に育った子どもは、極端に過保護になる可能性があります。その中から犯罪に走る人が出るのも、確率としてあります。
私たち劇作家や芸術家も、一面では自分の王国を築く仕事です。王国を築く場所が芸術の世界だったから救われたとも言えます。私の両親は世の中の親とは違っていたし、また、たまたま私が芸術に出会えたことが、私にとって幸いでした。
価値を相対化できる感覚が必要
― いちばん感受性の強い時期に、世界をご自身の眼でご覧になったのは、今の平田さんにとって大きな宝になっていますか。
平田 さまざまな価値観に触れることができたおかげで、自分のことも、日本という国のことも相対化して見ることができるようになりました。私の経験から言えば、世界の中で自分の位置を捉え直す視点や感覚を、若い時期に身につけることが、これからの日本人にとって必要かもしれません。
― しかし実態としての日本社会は、鎖国然とした側面を多々持ちます。これを打破するのは並大抵のことではないと思います。
平田 確かに、護送船団に乗り合わせているがごとく、自由競争が入り込む余地のない場面があります。社会の随所に、自由競争を妨げる障壁が残っていますね。高度経済成長期には、国全体が右肩上がりでしたから、多少の歪みに目をつぶっても社会は機能しました。しかし今の日本にはそんな余裕はない。競争力のない分野、不適切な人材には、緩やかに退場してもらわないと、国際社会で太刀打ちできませんよ。健全な競争原理に基づいた社会を、私たち日本人はもう一度築かなければならないと思います。これは教育の問題でもあり、経済界産業界の問題でもあると思います。だからこそ、若い人たちに、多様な価値観に裏打ちされたグローバルスタンダードを、システムとして経験してもらいたいのです。
― グローバルスタンダードを身につけるために、どんな方法があるでしょうか。
平田 たとえば大学で、青年海外協力隊のような海外でのボランティア活動を制度化してもいいですね。たとえ半年でも、発展途上国で肉体労働をしてみれば、日本の富が世界のどのような経済構造の中で成り立っているかが体で実感できるはずです。義務化は反対ですが、少なくとも、医者や弁護士、教師、国家公務員などを目指す人間は、必修化してもいいのではないですか。そうすれば、もう少し日本もいい国になると思いますよ。
経済活動以外での
コミュニティの重要性
― 今の日本社会の歪みを感じつつ、若者はその社会に対して無言でおとなしくみえます。
平田 私たちの世代以上に、今の若者は、「社会の役に立ちたい」という優しい気持ちを持っています。しかし、その想いを実現するための回路を見つけられないがために、自分の夢を早々に諦めてしまう傾向にあります。八〇年代後半以降、完全な消費社会にシフトして、バブル経済とその崩壊が日本人の精神構造を相当傷つけてしまいました。日本社会の中に、一方で拝金主義があり、その反動として一方でNPOなどによる社会参加も盛んになっている。そのギャップが激しく、若者は心の中で整理がつかずにいます。
また、組織に対する不信感が若者の間で強くなりました。九〇年代後半から、日本経済界のモラルハザードが表面化し、若者の心にボディブローのように効いたのだと思います。「本当に正しいことはなんなのか。金儲けのうまい奴だけが得するのではないか」そう感じ、モラルの崩壊が緩やかに進行しているのかもしれません。
― 世の中の矛盾に対する折り合いのつけ方が分からないのですね。
平田 「人間はパンのみに生きるにあらず」といった道徳心、宗教心が時に人を救います。経済活動以外のところで、もうひとつのコミュニティを持つことが、人間にとって重要なのです。しかし、日本ではずっと企業社会が中心になり、もうひとつのコミュニティの場としての地域社会が崩壊寸前ですし、これに代わるものがなかなか現われません。
自分のことが自分でできない
民族は滅びる
― 日頃大学で学生と接している平田さんは、若者たちにどんな言葉を投げかけているのですか。
平田 学生たちを刺激する意味で、「日本は滅びる」とよく言います。自分のことを自分でできなくなった民族は滅びるという意味です。ローマ帝国がまさにそうでした。今繁栄を誇っているアメリカも、グリーンカードをエサにして、市民権を得たいと願う若者をイラク戦争へ送り込んでいます。
日本の場合はどうか。私は「むき甘栗」を例に学生たちに話します。味付けをして皮を剥いた状態の甘栗がパッケージされて売っています。あの甘栗は機械ではなく、中国の方が手で剥いているそうです。自分で甘栗を剥かない民族は滅び、何らかの形で社会構造は大きく変わるでしょう。六十年前に日本が一度滅んだ際、世界に多大な迷惑を掛けた時とは違い、今度はキチンと変われるのか、潔く滅んでいけるのか、その正念場に今の日本は立っています。
― 潔い滅び方について、もう少しご説明願えますか。
平田 もともと農業国だった日本が、日清・日露戦争、第一次世界大戦を通して一気に工業化し、その影で農村は崩壊しました。そこで、農村の不満の捌け口を大陸に求め、最終的に日本は破綻しました。国内の構造改革の失敗のツケをすべて海外に回してしまったのです。二千年来農業国であったことへのノスタルジーが引き金でした。
現代の日本も同じです。ものづくりへのノスタルジーが、構造改革を誤る要因になりかねない。これからの日本がやるべきことは、今後消費社会を迎える中国をはじめアジアの人たちに良質なサービスを提供することです。何が付加価値であるかを把握し、豊かで質の高いサービスを提供することです。国際社会の中で名誉ある地位を築くためには、過去の成功にしがみついていてはいけません。
日本語の相対化で見えてくるもの
― 社会構造が激変した時、コミュニケーション手段としての日本語も、変わる可能性はありませんか。
平田 日本語も国際化せざるをえないと思います。日本語は世界の他の言語の中にあって、ある意味特殊な言語です。一国の中で一億人以上が同じ言語を操りながら、海外でこれほど通じない言語は他にありません。また、コミュニケーションのあり方も独特です。欧米型コミュニケーションでは、自分の価値観を言葉で説明し合います。こうした対話型の「説明し合う社会」に対し、日本は「分かり合う社会、察し合う社会」です。
― 他者とのコミュニケーションを描く舞台の仕事で、あるいは大学の教授として、平田さんはどう日本語に向き合っているのですか。
平田 教育者としては、日本の子どもたちに対話の能力、つまり自分のことをキチンと説明できる能力を身につけさせてあげたいと考えます。一方で、文学者、演劇人としては、日本型コミュニケーションの美しさを守る務めもあります。キリスト教とイスラム教という二つの一神教が正面切ってぶつかり合う今の社会情勢の中で、日本的な「分かり合い、察し合う」コミュニケーションが、世界の平和に貢献できる可能性もあると思うからです。
― たとえば英語と日本語で文法構造が違うのは、もともと英語圏の人間と日本人とでは、その発想が違うからだと思います。その違いを補い合うことは可能ですか。
平田 おっしゃる通り、言語の文法構造の違いは、これを操る人間のコンテクストの違いに由来します。しかし時間をかければ、その違いを認め合うことはできるはずです。
今までの日本の国際交流の仕方は、完全に欧米に合わせるか、それができないと知って、コミュニケーションを放棄してしまうか、その繰り返しでした。そうして、私たちは知らず知らずのうちに、欧米人のコンテクストを前提とした経済や教育のシステムの中で生かされ、気がつくと自分の文化や言語が劣っている、だから日本は駄目だと卑屈になってしまったりした。そうならないために、自分の文化や言語を相対化する必要があります。英語やフランス語だけでなく、たとえばアジアの言語を学ぶことで、もうひとつ別の価値観を知り、自分たちの言語を相対化できるのではないでしょうか。
「帰りたくなる」まちづくり
― 今の日本に、精神の構造改革が進む兆しはあるのでしょうか。
平田 たとえば、学校の成績が悪くても、表現力に優れている子どもならば、それを生かして人生を豊かにした方がいいのではないか、そう考える親御さんが都市部では多くなりました。これもひとつの兆しです。
ただし、人口三十万人から五、六十万人程度の地方都市は息苦しいという感覚が、若者の中にはあります。社会での成功のパターンが限られていて、子どもが生きにくいのです。どんなに頭のいい子どもでも、料理が得意だったら、フレンチのシェフになった方がいいじゃないですか。その方が生涯賃金も高いわけですし。長野の方に失礼な言い方になるかもしれませんが、地方では格好いい大人が少ない、そんな大人がいても、その種類が極端に限られているのではないでしょうか。
― 手に職をつけることに、地方で暮らす親たちは、まだ価値観を認めていないのかもしれません。
平田 残念です。しかし地方も変わらざるをえなくなります。今の若者がUターンを決める基準は、ふるさとに仕事があるか否かではなく、ふるさとに生きがいがあるか否かです。若者が生きがいを見いだせる自治体はどんどん元気になっています。反対に、工業団地と住宅地を作れば若者が帰ってくると未だ信じて疑わない自治体は、スパイラル状に衰退しています。
大事なことは住むことに誇りをもてるまち、帰りたくなるまちづくりです。その核となるのは、文化や芸術を育む土壌だと私は思います。私が教えた学生も、文化政策に熱心なまちの出身者は、すすんでふるさとへ帰っています。このまちならば、新しいタイプの成功パターンも認められると、彼らが期待するからです。まちの最終的な競争力は文化によって決定するということです。
また、生まれ故郷だから地方に帰るという時代ではありません。自分のふるさとに生きがいが見出せなければ、若者は別の地方で暮らします。今や住民が自治体を選ぶ時代です。したがって、文化政策に限らず、子どもを育てやすい環境づくり、自然環境の保全などに力を入れる自治体とそうでない自治体とでは、今後二十年で競争力に圧倒的な差が生まれるはずです。
終身雇用が崩れた今、地方に帰るチャンスは、学校を卒業した時点だけではなく、何度もあります。結婚前、子どもが生まれた時、子どもが学齢期に達した時、仕事をセミリタイア、あるいはリタイアした時、その時々に応じた受け皿になるよう、地方の自治体は環境を整えた方がいい。子どもも、若者も、働き盛りも、高齢者も「帰りたくなる」まちをつくれば、地方はきっと活気づくはずですよ。
― 確かに、住民の暮らしも含めた佇まいそのものに魅力があり、文化的な気品があるまちに、これからしていかなくてはなりませんね。本日はお忙しいところありがとうございました。
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