|
信州人のものづくりDNAを
呼び覚ませ
国内産業の空洞化が叫ばれて久しい。中国をはじめアジア諸国には、コストにおいて太刀打ちできないと嘆く日本の経営者も多い。しかし、コストのみがマーケットにおける優劣を決めるのだろうか。
シチズン時計株式会社は、二〇〇二年三月期には一二六億円の赤字決算だったが、二〇〇四年三月期には一九四億円の純利益を計上した。
見事なV字回復の要因はどこにあるのか。国内生産にこだわりながらも、結果を出し続けるシチズン時計の梅原誠社長にお話を伺った。
知恵を絞れば競争力は維持できる
― 国内産業の空洞化は、長野県経済にとっても深刻な課題です。一方で、シチズンさんは国内生産にこだわり、好業績を上げていらっしゃいます。また長野県とも非常に関わりが深く、グループ子会社四社(御代田町のミヨタ、シメオ精密、シチズン精機、飯田市の平和時計製作所)を長野県内に置き、生産を続けています。国内生産のメリットはどこにあるのか、お聞かせください。
梅原 我々がジャパンメイドにこだわっているのは、時計をはじめとする主力製品であり、すべてを国内生産で賄っているわけではありません。ヨーロッパ、北米、中南米、アジアで生産する製品もありますし、また開発設計についても一部は海外で行っています。我々をとりまくマーケットも国際的になっており、生産拠点を個々のマーケットに置いて、各々のマーケットが求める魅力ある製品を生み出していくことは当たり前の戦略だからです。
九十年代に日本人の賃金が急騰し、日本企業はこぞってその生産拠点を海外にシフトしました。長野県でも新聞やテレビの報道で、県内産業の空洞化を危惧する声が高まった時期ですね。
ではなぜ、我々はコスト上のメリットに眼をつぶっても、主力製品のジャパンメイドに固執したか。ものづくりの工程や生産現場が開発セクションのすぐ傍にあることが、我々にとってコストの問題以上のメリットだからです。
当グループでは、時計製品の開発、生産技術の開発セクションはすべて国内にあります。私は常々「頭で考えずに、つまり机上で考えずに、手足で考えてくれ」と社員に言います。とりわけ開発セクションは、現場に足繁く顔を出す必要があります。新しい生産工程やマテリアルや加工技術など、開発へのヒントは現場にこそあるからです。自らの手足を使い、モノに触って考える過程こそ、新しい製品や技術を生み出す源になります。そのためには、基幹製品の主要生産拠点を日本に置くことが、シチズンの基本的なスタンスなのです。
― とはいえ、人件費をはじめとするコスト面の課題をいかにクリアするかが問われますね。
梅原 自動化・機械化への知恵を絞って、生産において人の介在する工程ウエイトを小さくすれば、総コストに占める人件費の割合を圧縮できます。確かに設備投資額は増すかもしれませんが、日本人の開発力、設備保持、改善の優秀さをもってすれば、コスト競争力は十分に維持できます。それだけの知恵と、ものづくりへのこだわり、そして使命感を日本人はもっていますよ。
もちろん、日本人が世界中のお客様を相手に、各々のマーケットのニーズに応えたものづくりをそのマーケットの近くですることも大事ですが、同時に、常に日本の中で先端的な技術を用いて、改良と開発を繰り返すことで、日本人がこれまで培ってきたものづくりのDNAを継承していくことも重要です。日本人の日本人のための日本人によるものづくりの意義は、決して失われるものではありません。
究極の精度の追求から生まれた電波時計
― ジャパンメイドにこだわるシチズンさんが、時計づくりのDNAと知恵によって生み出した製品の代表に、電波時計がありますね。読者のために、まず電波時計とはどんなものかご説明願えますか。
梅原 標準電波を内蔵のアンテナで受信し、時刻を自動修正する時計のことです。標準時を刻んでいるのはセシウム原子時計で、十万年に一秒の誤差しかありません。一九四九年に米海軍天文台で開発され、日本では日本標準時のテスト送信が一九八七年から開始されました。我々が電波時計の開発に着手したのが八九年です。その後、標準電波送信のインフラが国内で整います。九九年には福島県大鷹取谷山の電波送信所から、二〇〇一年には福岡・佐賀県境の羽金山の電波送信所から、年月・曜日・時分秒の時刻情報が発信されるに及んで、全国をもれなくカバーできるようになり、電波時計は普及しました。
― 開発の動機はどこにあったのですか。
梅原 究極の精度の追求です。オランダ人物理学者ホイヘンスが機械式時計を発明して以来三百五十年、時計づくりに携わる技術者は精度を追求してきました。しかし、機械式時計では限界がある。そこで生まれたのが、水晶振動子によって時間基準を得るクオーツ時計です。クオーツ時計は、その後水晶振動子をより高周波なものにすることで、年差五秒の精度まで実現が可能となりました。
七〇年代後半から八〇年代にかけては、我々国産時計メーカーがクオーツ時計で世界のマーケットを席巻してきました。しかし、九〇年代に入ると、スイス勢が巻き返しを始めます。特に九〇年代後半には、日本やアメリカのマーケットにおいて、スイス製の高級時計が優位を占めました。スイス時計は、そのブランド力により、肌に身につけることで得られる満足感、愛着を持ち主に与えました。
スイス勢を駆逐するための突破口のひとつは、時計の精度ではないか、クオーツ時計の精度を凌ぎ、究極の精度を実現できないか、我々はそう考えました。そこで、十万年に一秒しか誤差のない標準電波が出ているならば、これを利用しない手はないと、電波時計の開発に踏み切った次第です。
技術と美の融合が
ブランド価値を高める
― 製品化に成功したのはいつでしたか。
梅原 九三年に国産初の製品を世に送り出しました。これは、試験送信中の日本と、標準電波のインフラ構築で先行していたドイツ、イギリスの三タイプの周波を受信できる世界初の多局受信型モデルとなりました。
― 製品化で最もご苦労されたことは何だったのでしょう。
梅原 電波の受信をどうするか、受信したデータをいかに数値化するか、課題は山積みでした。とりわけ前者の課題、電波時計の象徴とも言えるアンテナを、いかにコンパクトに、かつデザイン的に違和感なく配置するかに技術者は苦労しました。標準時を送信する電波は非常に微弱です。アンテナを金属で覆ってしまうと、ノイズに紛れやすい標準電波だけを拾い取ることは不可能と、当時誰もが考えました。したがって、第一号製品では、アンテナを分厚いガラスの中に縦に配置しました。第二号製品では、時計の文字盤の九時側に外付けしました。
― 明らかにアンテナが組み込まれていると分かる構造だったわけですね。
梅原 ええ。しかし、顧客ニーズは「電波時計でありながら、電波時計らしく見えない」ところにあった。アンテナの受信感度を上げてなお、標準電波のみを選別する回路を考案したことで、フルメタル化に成功したのは二〇〇三年六月のことです。デザインの制約はなくなり、翌年には三針アナログタイプで世界最薄の七・一ミリ製品を発売できました。
― ファッション性も今後さらに追求されそうですね。
梅原 腕時計は衣服のようにTPOで使い分けることもできますから、持ち主のアイデンティティを表現するモノとして腕時計をマーケットに訴えていくつもりです。九〇年代後半のスイス勢の攻勢を目の当たりにし、洗練されたデザインやブランド力が、持ち主に満足感を喚起させることの重要さを我々も学びました。
― なるほど。日本の従来のものづくりが苦手としたのは、持ち主の感性に働きかけるブランドのつくり方ですものね。
梅原 しかし、悲観することはないと思います。西洋の画家も日本の浮世絵に学んだと言います。日本発の感性をうまくアレンジすれば、世界のマーケットで通用する製品はできるはずです。一方で、日本には世界に冠たる技術力があります。技術と美の融合こそが、ブランド価値を高め、お客様にとっての価値も高めることができるはずです。
身につける情報端末としての時計
― スタイリッシュな電波時計であるという顧客ニーズを満たしたことの他に、電波時計がヒットした原因はどこにあるとお考えですか。
梅原 やはりその正確さでしょう。正確な時間を携えていることは、時計の持ち主に安心感と心のゆとりをもたらしますし、何と言っても時報と全く同時に秒針を刻む時計をつけていることは気持ちがいいものです。さらに、ソーラーセル(太陽電池)により室内光などわずかな光でも発電するエコ・ドライブ(シチズンの登録商標)を搭載したことで、電波時計は「永久に正確な時を示す腕時計」となりました。電波時計市場に参入する国内メーカーも増え、シナジー効果も次第に出ています。
― 今までの時計の正確さとは、単体のメカとしての正確さに由来するものでした。メカの精度を極限まで高めることで、精度を追求してきましたからね。しかし、電波時計の場合、正確な時間は別にあり、これをデータとして受信する。つまり、時計に求められるのは、受信機としての精度です。電波時計の成功は、時計のパラダイム転換ですね。腕時計は今後、時間を読む道具であるにとどまらず、高度な受信機能あるいは発信機能をも備えた情報端末としての機能を重視したものになるのでしょうか。
梅原 おっしゃる通りです。我々はアメリカ市場において、マイクロソフトが二〇〇四年に開始した情報配信サービス「MSNダイレクト」に対応する腕時計「WRIST NET」を、現地の大手時計メーカー、フォッシル社と提携し生産を開始しました。腕時計は受発信機能を備えた携帯情報端末としての可能性を大いに持っています。
― 携帯電話も情報端末として進化しています。新たなマーケットが拓けたことで、新たなライバルも出現しているのではないですか。
梅原 ええ。携帯電話市場は我々の最大の敵であり、実は一方で我々にとって最大のスポンサーです。携帯電話に搭載される部品には、時計づくりを基礎技術とした精密工業のノウハウが活かされています。シチズン時計グループも、携帯電話向け、LED、バックライト、カメラモジュールを生産し、事業の柱となっています。とはいえ、「携帯電話があれば時計はいらない」と、腕時計をしなくなる人が増えている。複雑な思いです。しかし、腕時計は常に身につけている、しかも肌に直接触れている。ここに携帯電話との差別化の道があるはずです。
たとえば、将来腕時計で発信技術が使えれば、自然災害時の緊急信号発信などにも応用できます。地震により人が瓦礫の下に閉じ込められた場合でも、腕時計から持ち主の情報が発信されれば、救命活動もよりスムーズになるかもしれません。さらに、腕時計の持ち主の健康状態を常時モニターするなど、医療用としても可能性を秘めていますね。
相互信頼こそ組織活性化の原則
― 梅原さんが社長就任後、シチズン時計グループはV字回復を果たしました。業績を大幅に向上させた要因はどこにあったのですか。
梅原 九〇年代以降、時計業界は熾烈な価格競争を繰り広げ、これが企業体力を奪いました。当社も二〇〇二年三月期に一二六億円の赤字を出し、前社長は「泣いて馬謖を斬る」の言葉どおり、心を痛めてリストラに踏み切りました。グループ全体で約二割の人員が会社を去りました。しかし、刻々と変化するマーケットに対する危機感を欠き、明確なブランド戦略がないまま、価格競争に飲み込まれたのは経営の責任です。この反省に立って、リストラにより緊張感が生まれたことを契機に、私はグループ全体の求心力を高めることに努めました。まず、ビジョンを明確にしました。自分たちが到達すべき分かりやすい目標を掲げ、これを全員が共有し、皆が同じ思いで目標に向かって進めるよう、構造改革を今も行っている最中です。
― そのビジョンとは。
梅原 「八・五・八」の経営目標です。数字はそれぞれ、営業利益率八パーセント以上、株主資本利益率五パーセント以上、従業員一人当たりの付加価値生産性の伸び率八パーセント以上を表わしています。ビジョンを達成することについて、社内のどのセクションも公平です。三年前にこの目標を掲げ、到達へ向けて皆で努力しています。
― どうやって、ビジョンを社員さんに浸透させたのでしょう。
梅原 折に触れ「八・五・八」と繰り返し言い続けました。そして、目標達成のための方策について徹底して議論させ、意見を交換させ、一人ひとりに当事者意識を持ってもらいました。
― 「我が社は変わった」と実感されたのはいつでしたか。
梅原 まだですね。構造改革は道半ばです。回復といっても、その要因の半分は市場の回復に拠っています。現在は、病身だった会社がようやく癒えかけたところであって、私は「八・五・八」では満足しません。「八・五・八」達成後は、さらに高い目標を掲げ、企業価値も高め、エクセレントカンパニーとなることが我々のテーマです。
― グループ全体で士気が上がり、会社が活性化してくると、新しい付加価値を生み出す土壌も豊かになりますね。
梅原 社員がネガティブになり、相互不信に陥っては、組織は潰れます。対して、皆がポジティブになると相乗効果が生まれます。相互信頼こそ組織活性化の原則です。
「改善」向きの長野県人気質
― 戦後、日本経済は終身雇用制度を基調として歩んできました。しかし、企業の存続のためには、リストラも止むを得ない状況も一方であります。梅原社長は現在、終身雇用制度についてどうお考えですか。
梅原 あくまで企業存続の最終手段としてリストラを認識し、社員の雇用を守ることは経営の責任です。また、自らの仕事がお客様とマーケットに直結していることを常に認識して仕事に取り組む社員は、必ず付加価値を生んでくれます。そうした社員の育成に努め、極力人は切りたくありません。
しかし、年功序列式に賃金が上昇することには疑問を感じます。子どもが自立した後は、多少の貯えがあれば、賃金が以降も増える必要はないのかもしれない。この点について雇用者、被雇用者間で了解が得られれば、むしろ終身雇用制度は企業にとってメリットの方が大きいと考えます。
勤続年数の長い社員は、自らの仕事に対する知識やノウハウや誇りを持っているだけでなく、会社の製品や事業、会社そのものに対する愛着が強いものです。こうした従業員を抱えることは、固定費の負担を補って余りある美点だと思います。
― グローバルスタンダードの名のもとに、雇用制度や人事考課制度を旧来のものから改めて、失敗している企業も出ています。梅原社長がおっしゃるように、終身雇用を守り抜くことと、ものづくりの現場を見直すことが、日本の製造業の中で見直されている気がします。
梅原 製造業に関わる日本の全労働者人口の二三パーセントほどなのにも関わらず、製造業は日本のGNPの二六パーセントを稼いでいます。国にとって製造業は経済の支柱です。製造業が大事であると言う時、それは、そこで働く人々とものづくりの現場が大事であることを意味するのではないでしょうか。
― 長野県経済においても、広く日本の経済においても、その強みはものづくりにあります。一時輝きを失いかけた製造業ですが、ものづくりを元気にすることが経済を活気づける原動力になるかと思います。
梅原 日本は資源のない国です。食糧も外国に依存しています。日本経済が外貨を得る手段としても、製造業の重要性は高いですね。
― シチズンさんは長野県にグループ子会社を複数お持ちです。製造業の地盤として、長野県のよさはどこにあるのでしょうか。
梅原 第一に、東京からの地理的距離の近さがあります。第二に、人的資源の優秀さです。これは長野県人の県民性によるところが大きいと思います。長野県人はスマートに努力します。
― 勤勉だということですか。
梅原 ええ。私の出身地である岩手県の人も勤勉ですが、多少性質が違うようです。岩手県人はどちらかというと一人ひとりが、個の中で地道に努力します。長野県人は人的なネットワークの使い方がうまいですね。仲間と議論を戦わせながら道を探ります。ゆえに、生産工程や設備の改善などには長けています。長野県人のように日本全国で働いたら、日本経済はもっと成長するでしょう。
― 長野県のものづくりの系譜に受け継がれてきたDNAを再評価し、これをいかに現場に活かすかが問われているのですね。本日はありがとうございました。
|