
「子供の頃、実家の店にはおやきや団子のほか、バタークリームで作ったケーキなどもありましたが、それを食べることはできなかった。そんな経験からか、小学校の卒業文集に店は継ぐけど洋菓子がやりたいと書いたんです。今になってみれば、父の店をそのまま継がなかったのは残念な気もしますが」。
実家は父親が終戦後開いた「玉屋」(問御所)。長野銀座A‐1地区再開発事業のため、現在の店は二〇〇四年いっぱいで閉める予定です。
高校卒業後一年間家業を手伝った後、洋菓子づくりを勉強するため東京の専門学校へ。卒業後八三年に東京代官山のフレンチ洋菓子店に就職し、次々と変わるシェフのもとで腕を磨きました。八年後には同店のシェフを任され、フレンチの基本を大切にしたケーキや、ソースをかけて仕上げるレストランデザートを追求。その後、請われて入ったイタリアンレストランのドルチェ部門でも腕をふるいました。
「長野で本物のおいしさを提供したい」と長野に戻って自分の店をオープンしたのが、〇一年十一月。長野ではまだ珍しかったケーキも多く、オープン当初から反応は上々。東京でのレシピそのままから、地元の好みに合わせて微妙にさじ加減を変えるなど工夫を凝らし、着実にファンを増やしてきました。
「店を継いで欲しいという気持ちは全然なかったね。自分の好きな道を行けばいいと思ってた。好きなことを一生懸命やるのが一番だよ」と話すのは、玉屋名物「くるみ団子」の生みの親である父親の喜作さん。「戦時中に食べた味を思い出し、試行錯誤の末に作り上げたもの。試行錯誤は面白いね。ものづくりには夢があるよ。職人の仕事は夢を追う仕事だね」。新しい団子のアイデアもいまだ尽きることなく、ますます意気軒昂です。
「もっと広いスペースにして、喫茶部門を充実させたい。ソースをかけて、温かいものは温かく、冷たいものは冷たくして、その場で召し上がっていただけるメニューを提供したいんです」と店づくりの夢を語る修司さん。長野ならではの食材を使い、和の感覚を採り入れた新しい洋菓子も手がけてみたいという夢も持っています。
「『ラ・バル』の意味ですか、フランス語でボール(玉)。はい、玉屋からとりました(笑)」。親から子へ、職人の心は店名とともに、しっかりと受け継がれています。