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原始の人間のものづくりの感覚が
産業の可能性を拓く
伝統産業と呼ばれるものづくりが担い手不足などを要因に、産業としての勢いを失っている。そんな中、手漉き和紙の技術を生かしつつ、和紙の伝統に革新を起こした人がいる。和紙ディレクターとして世界的に注目を集める堀木エリ子さんだ。
堀木さんは、巨大和紙や立体和紙を開発し、空港のターミナルやホテルのエントランスをはじめ、さまざまな公共施設や商業施設において、光によって幻想的に表情を変える空気感を創造している。堀木さんの仕事から、日本の新しいものづくりのあり方のヒントを、私たちは学ぶことができるのではないだろうか。
職人の尊い技を進化させるために
― 空間を和紙で演出する堀木さんのお仕事は、衰退を始めていた伝統産業にまったく新しい命を吹き込んだという意味で、従来にない偉大な仕事だと思います。このお仕事を始めるきっかけからお聞かせください。
堀木 もともと、和紙に魅せられてとか、デザイナーやアーティストになりたくて、この世界に入ったわけではありません。和紙職人さんの技を見て、なんと尊い仕事だと衝撃を覚えたことが契機でした。私は銀行勤めから、和紙の商品開発を行う会社に事務経理として再就職しました。ところが、機械漉きに押され、その会社が潰れてしまったのです。職人さんのあんなにも尊い技術が、単に製品の高い安いのみでしか評価されず、生業として成り立たないことに対して、怒りに近い問題意識を感じました。職人さんの技や日本の伝統文化をなんとか進化させたい、その一念で始めました。
― 和紙の用途の可能性について、その時点では手探りだったのですか。
堀木 何ができるかもわかりませんでした。大学でデザインを勉強したわけでも、職人さんの下で修業したわけでもなく、また二十四歳で会社を興した私に経営の経験もありません。何ができて何ができないかさえ、素人だからそもそも知らない。そんな無垢の状態から、何事もできると思って、思いついたことをとにかくやってみるだけでした。
― 思いついたことのひとつがこれまでにない大きな和紙であったわけですね。
堀木 はい。消耗品としての和紙ならば機械漉きで代替できます。これにこだわっていては、手漉きが生き残ることは不可能です。職人さんの手漉きの技術を生かすには、五年十年と時が経ても使えるものでなくてはなりませんから。
― とはいえ、創業期はご苦労もあったと思います。
堀木 今の会社を二〇〇〇年四月に設立する以前は、知人の呉服問屋さんにご支援いただいていました。その会社の一事業部としてSHIMUSブランドを立ち上げたのです。まず、二・七メートル×二・一メートルという大きな和紙が漉けるということ、商品として実在することを認めてもらうのに一年かかりました。初年度決算は三千万円の赤字です。呉服問屋の社長から「出て行け」と言われました。社長としては女の子二人の商売で、赤字がここまで膨らむとは予想すらしなかったのでしょう。
― どうされましたか。
堀木 逆に社長を脅しました(笑)。「三千万の赤字で出て行ってもいいのですか。この和紙はこれまで世の中になかったものです。認知されるまでに一年掛かるのは当たり前じゃないですか。知っていただいても浸透するのにさらに一年掛かります。三年目からようやくその回収をしようとしています。今止めたら三千万の赤字のままです。三年待ってもらわなければ結果など出せません」何の根拠もありませんでしたが、言い切りました。社長は私の言葉を信じて続けさせてくれました。結局、二年目でトントンになり、三年目で単年度の黒字を出すことができました。
― 最初からインテリアで売上げがあったわけではないですよね。
堀木 ええ。実は、サントリーウイスキー「響」のラベルは、SHIMUSの和紙なんです。一九八九年の酒税法改定で、本場のウイスキーが日本に安く入ってきました。「これに対抗するためには、ラベルも日本のウイスキーとして主張すべきです」とサントリーさんにご提案し、「響」の発売以来現在に至るまで私どもの和紙を使っていただいています。これを契機に、次第に世の中に認知され、需要が広がっていきました。
「うつろう」ことの情緒情感を演出
― 堀木さんの和紙はすでにその一枚一枚が芸術作品ですが、空間の演出に和紙が使えると、そのニーズに気づかれたのはいつ頃なのでしょう。
堀木 私自身がニーズを見出し、これに見合う和紙を開発してきたというより、私がつくった和紙をご覧になったお客さまからご要望をいただき、これにひとつひとつ応えていくことで、時代のニーズにつながってきたのだと思います。作品だとおっしゃっていただきましたが、私自身はアートであるという意識はありません。まずクライアントのご要望があり、建築の図面や建築家の意識があります。そこで空間を創造した時、主張しすぎず埋没しない「空気」を、和紙を使ってつくっていこうと考えました。ですから、和紙自体の色や柄や質感よりも、和紙によって仕切られた手前の空気感や、向こう側の気配をどうつくるかが、私の仕事だと解釈しています。
― 日本の建築文化のひとつである障子は、光と影の微妙な「うつろい」を表現します。しかし、住宅の西洋化により、障子が醸す微妙な陰影への感受性や、これに付随する和紙文化も失われつつあります。しかし、堀木さんの空間は西洋建築であっても、和紙が醸す空気感を演出できることを教えてくれます。
堀木 確かに、和と洋の境目もなくなっていますし、和紙だから和紙らしくなければならない、和風でなければならないはずはありません。実際私が手がけているのも、和風の建築よりもコンクリートを使った現代建築の方が多いですね。
― 石や金属を使った近代建築の中に、自然さと柔らかさを備えた和紙が入ることで、訪れる者もホッとします。
堀木 「うつろう」というのが私たちの感受性にとって重要なことだと思います。障子に太陽光線が介在することで、影のうつろい、時のうつろいを人は感じることができます。太陽の光が届かない地下の商業施設に、単に障子を持ち込みインテリアとすることが和であるかといったら、そうではないはずです。これは和の形態の模写であり、そこに精神性や情緒、情感といったものはまず伴いません。ですから、たとえ洋風建築であっても、あるいは窓のない場所であっても、「うつろう」ことの情緒、情感を演出できれば素晴らしいと思うのです。そこが発想の原点です。「うつろう」空気感や気配の魅力を創造するために、空間ごとにふさわしいデザインを和紙に漉き込んでいきます。
― クライアントの要望のなかには、堀木さんが思いもよらない用途もあったのではないですか。
堀木 たとえば、版画家の山本容子さんとのコラボレーションで、和紙の自動車をつくった時もそうでした。今すぐできるはずもないし、一年後に完成する保証もない。しかし、そこでできるかできないかで悩むのではなく、「できない」という選択肢を捨ててしまうのです。あとには「どうしたらできるか」しか残りません。「できない」と言ってしまえば、新しい開発は始まりません。
本物の手漉き和紙は
時が経てばより白くなる
― 色を漉き込むことも、堀木さんの開発により生まれたまったく新しい手法なのですか。
堀木 いいえ。私どもは当初、越前和紙の技術を学び、今もその産地である福井県武生市の職人さんと仕事をさせていただいています。越前和紙は昔から美術紙を得意としてきました。この技法を発展させました。
― 白い和紙を後から染めるのとは違う質感がありますね。
堀木 ええ。先染めといって、三椏という繊維を染めてから漉き込みます。色自体が繊維ですから、複数の色が重なっているところは紙が厚く、そうでないところは薄くなっています。一枚の紙の中でも厚さが違うので、これが陰影につながるのです。
― 障子がそうであるように、時とともに和紙の色はあせますね。そんな経年変化も風合いや味と捉えるべきなのですか。
堀木 実は和紙の原料の繊維はもともとあめ色をしています。白い和紙をつくるために、一般的には漂白剤を入れます。しかし、漂白剤を入れた瞬間から、和紙は退色つまり劣化を始めます。私たちのつくり方はこれとは違い、昔ながらの手法で流水に何度も晒して、時間と手間ひまをかけて繊維を白くしていきます。流水に晒すことで繊維は酸化し白くなるのです。こうすれば和紙になった後も酸化は進みます。つまり、本物の手漉き和紙は時間が経つとより白くなるのです。
私たちは職人さんの伝統的な技術と、独自の手法を組み合わせて、和紙と和紙の技術を進化させています。その中でいちばん大切にしているのは、変えてはならないことと、変えていくべきこと、この両者をきちんと意識することです。自分が良かれと思ってやっていることが、和紙の伝統を廃れさせることになりかねませんから。
人間は本来誰もがクリエーター
― 「うつろう」という表現をされましたが、堀木さんの和紙は、光が当たる方向、光の強さにより、色を変え表情を変えますね。まるで、和紙の中に眠っていた命が光の加減で動き出しているようで、感動を覚えます。
堀木 これほどの変化を最初から表現できたわけではなく、私自身この仕事をやりながら、和紙の表情の豊かさを発見していきました。漉く過程で水の力を借りる和紙は、水の芸術ともいわれます。水をどう使うかで和紙の表情が変わるのです。私たちの手法のほとんどが伝統的な技術に基づいていますが、日常生活の水回り用品を使うなど、これまでにないアイデアで生まれたデザインや技術もあります。
― 担い手が不在なために、日本の貴重な伝統技術が失われつつあります。和紙の世界で堀木さんが新しい可能性を拓いたことが、他の伝統産業でも考えられるのではと期待させます。
堀木 ええ。私たちの仕事を評して、革新的な和紙をつくっているとおっしゃっていただくことを非常に嬉しく思います。しかし私自身の意識の中では、人間のものづくりの原点に戻っているだけです。縄文土器も古代エジプトの宝飾品も、これをつくった人は道具からつくりました。今の時代なら、お店に行けば道具は買えます。つくり方も、学校で教えてくれたり、本を読んだり、インターネットを検索すれば分かります。そんな状況になかった時代には、自然に対する畏敬の念や命の尊さへの感謝を形にするために、道具もつくり方も自分で模索しながらつくったはずです。つまり遥か昔には、人間はすべてクリエーターだったのです。畑も耕し狩りにも行き子どもも育てた一般の生活者が、土器も土偶もつくりました。現代の私たちは、発掘された彼らの仕事の芸術性について語りますが、当時の彼らは自分たちがアーティストだとは思っていません。本来人間はすべてクリエーターなのだから、和紙だけでなく、他の伝統産業でも同じことが言えるのではないでしょうか。
― 伝統産業が勢いを失くしているのは、もともと備わっているはずのクリエーターとしての能力を、現代の我々が忘れてしまっていることに理由があるのですね。
堀木 はい。道具もつくり方も与えられた既存のものを使っていたのでは、できあがるのは類似品ばかりで、人間の創作は文化へといたりません。自分の知恵を使い、手を使い、道具も手法も工夫してこそ、新しい結果が得られるはずです。原始のものづくりの感覚に戻ってこそ、私たちは新しいものを生み出すことができるのではないでしょうか。
百年後に伝統と呼ばれる
革新を起こす
― 伝統産業から視野を広げて日本の産業界全体を見渡しても、ものづくりのあり方が変わろうとしています。マスプロダクツに支えられた時代は去り、今後は堀木さんの和紙のような、地に足のついたブランドを生み出すものづくりが日本の産業を支えていくのではないでしょうか。
堀木 ありがたいご評価ですが、そこまで想像を広げたことはありません。和紙には千二百年の歴史があります。紙を漉くという技術を編み出した当時、これは紛れもなく革新だったはずです。初め革新だったものが千二百年の間親しまれて今伝統文化と呼ばれているわけで、今私たちが昔の人たちと同じ和紙しか漉けなかったとしたら、それは千二百年前の人の知恵でしかありません。
― そこに進化はありませんね。
堀木 まったくないとは言いませんが、現代の人の知恵が介在している率は非常に低いわけです。もちろん、千二百年前に生まれた技術をそのままの形で継承することは、意義のある仕事であり、私も敬意を払っています。一方で、現代の知恵を使った現代の革新を起こすことも、ものづくりにとって重要だと思うのです。革新であるからこそ、伝統に対して今の時点で異端だと評価されても、その革新を百年後、五百年後あるいは千年後に伝統と呼ばれるように育てることが、今の人間のもう一つの役割ではないでしょうか。私はそれをやりたいと思っているのです。
― 伝統的な職人さんの中には、堀木さんの和紙に対して違和感をもつ方もいらっしゃるのですか。
堀木 ええ。漉き方が違いますから、「こんなものは和紙ではない」とおっしゃいました。和紙とはこうあるべきだという決まりの外側に私たちが立ったからです。
― 歴史を紐解いてみても、新しいものを始めた人は、初め掟破りだと素人扱いされますね。
堀木 その時にあえて革新を進めるためには、その時代の社会のジャッジが必要です。自分の仕事が、時代が求めているものなのか、世の中に求められているものなのかを判断基準としてもたなくてはいけません。自己満足の表現ではやる意味はないのです。
暮らしの中に現代の和紙文化を
― 今の時代の声に応える形で、堀木さんの和紙による演出がさまざまな建築に用いられています。次にどんな分野で堀木さんの和紙が使われていくとお考えですか。
堀木 これまで公共空間や商業空間で使われることで、新しいチャレンジをさせてもらってきました。和紙が素材として本来もっている性質に加え、燃えない、汚れない、破れない、退色しない、精度が狂わないといった技術課題をクリアしなければなりませんでした。その過程で、合わせ硝子やアクリル貼り、コーティングなどが生まれていきました。こうして、不特定多数の人が集まる空間を演出するための、必要条件を満たしたことで、次はこの技術を暮らしの中に落とし込みたいと思います。暮らしの中で使われてこそ文化だからです。一点ものを一からデザインして納入するまでひと月かかりますから、年間につくることができる量は限られます。用途を家庭向けに広げるためには、誰にでも習得できる技術を開拓してつくり手を育て、供給体制を整えなくてはなりません。そこまでできれば暮らしの文化として、海外にも和紙を広めることもできます。
― 巨大な和紙のスケールが生み出す空気感を、そのまま一般家庭には持ち込めませんよね。
堀木 一枚で使うことにこだわりはありません。同じ効果が得られればいいのです。分割してスライディングドアにする、あるいはバーチカルタイプのブラインドにするなど方法はあります。ひとつひとつのパーツは小さいですが、重なった時に大きな画面ができて、空気感が表現できるはずです。きっと世界に提案できる商品になると思いますよ。
― 作り手の裾野を広げる方法としてお考えのことはありますか。
堀木 今一部で実施しているのは、過疎の町の地場産業として立ち上げることです。私どもの技術はさほど難しいものではありません。お年寄りでも習得できる技術ですから、地場産業として育て、世界に発信していくこともできます。もうひとつの可能性は、授産施設です。現在の授産施設の多くが紙箱づくりや袋詰めなどの単純作業を行っています。これを和紙づくりに置き換えられないかと考えています。
― 確かに今の授産施設では、機械にできることを低賃金でさせている感が拭えません。
堀木 職業訓練として必要な場合もあるでしょうが、もっといろんな作業ができる方もいるでしょうし、やっている本人たちも楽しくないはずです。授産施設で和紙づくりができれば、社会福祉にもつながります。地場産業の場合もそうですが、できあがった和紙が世の中のためになるだけでなく、つくる過程でも、世の中の役に立てば素晴らしいことだと思うのです。一点ものに挑戦し続けることでブランドとして深化させる仕事の一方で、和紙の文化を暮らしの中に落とし込むシステムづくりもしていきたいですね。
― 堀木さんの発想の自由さと思いの深さと同じように、堀木さんが創り出す空気感が世の中に浸透していくのだと実感しました。本日はお忙しい中、貴重なお話をいただきありがとうございました。
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