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自らを客観する歴史認識を
もたない朝鮮半島への不安
北朝鮮の核問題に関する六カ国協議は依然進展を見せない。地理的に最も日本に近い韓国でも、濃縮ウラン実験の隠蔽疑惑が持ち上がった。従来のマスコミ報道とも、韓流ブームとも、あるいは日本人が望んだ世界観とも隔離したところで、実は世界は動いていて、私たちが目にしている朝鮮像、世界像は錯覚ではないのかと不安を禁じえない。
著書『「世界」とはいやなものである』で、東アジア諸国のエトスを独自の視点から分析している関川夏央氏に、朝鮮半島と日本の今についてうかがった。
国家間の友好は幻想に過ぎない
― 『「世界」とはいやなものである』を拝読し、極東世界の中でも、とりわけ隣国の韓国、北朝鮮について、私たちはずいぶん知らないことが多いのだと感じました。関川さんの朝鮮への関心はどこから発していたのですか。
関川 そもそも、朝鮮自体が私の興味の対象ではありませんでした。日本近代文学を学ぶための反射板を朝鮮に求めたのです。それはまた、なぜ日本と朝鮮の相性が悪いのかという設問にもつながりました。
― 韓国に対する関川さんの最初の印象はどんなものでしたか。
関川 初めて訪れたのは一九七〇年代の終わりです。朴正熙が亡くなった直後でもあり、不安な空気を孕みつつも、当時の韓国は中進国段階にあって、ある種の元気のよさと、ある種のがさつさで、ずいぶん騒々しいところでした。
― 南北朝鮮の緊張関係は今と比べていかがでしたか。
関川 当時、北朝鮮はまだ韓国を武力征服する気でいましたから、韓国国内にはもっと緊張感があってしかるべきでした。しかし、経済的にはすでに南北間に絶対的な差がありました。韓国人は余裕をもっていたのですね。彼らは北にさしたる関心を持ってさえいませんでした。
― 当時から、北朝鮮は経済的に相当苦しかったわけですね。
関川 ええ。建国以来、楽をしたことはありません。なぜ北朝鮮の苦境が表面化しなかったかといえば、援助に頼っていたからです。
有償援助はソ連が主でしたが、北朝鮮は中ソ対立の構図を利用して、中国からも無償援助を引き出しました。ほかに、六〇年代の初めまでは東ヨーロッパ諸国が義務のように北朝鮮に援助していましたね。あの国は初めから援助なしでは成り立ちえない国だったわけです。
― かつても、そして今も、私たちはその辺りの事情をよく理解していません。
関川 無理に理解する必要はないのではありませんか。我々はアメリカ合衆国のことを理解していないのに、反米だの親米だのといいます。あれと同じです。理解が友好につながると考えることは、あまりに牧歌的です。
友好という概念自体が幻想でしょう。個人的な興味で勉強したり、友人になったりするのは結構ですが、国家的に、あるいは民族的に友好を結ぶ必要はない、というかできないのです。
八〇年代の終わりまで、日本には北朝鮮のシンパがたくさんいました。しかし現実には、北朝鮮はカルト国家であり、継続的にテロ行為を行ってきたのです。そんな国と友好できるわけがない。北朝鮮と友好関係を築くべきだという幻想さえなければ、あの拉致問題は十五年早く解決していたでしょうし、九〇年代まで北朝鮮の無法行為がおよぶことはなかったでしょう。
左翼こそが正しいという伝説
― 日本政府の対応のまずさだけを原因に、解決が遅れたわけではないのですね。
関川 日本政府が拉致は北朝鮮による犯罪だと認めたのが一九八八年です。ところが、マスコミや一般の日本人は二〇〇二年になってようやくこれを認めました。世論が動かないために、政府は北朝鮮に対して圧力という外交カードを切れなかったのです。
― 今になると、世論は政府が弱腰だったと非難しています。
関川 ひとつは戦後教育の影響でしょう。根拠もなく左翼の方が正しいとか、自主独立だから北朝鮮は立派であるという、非実証的な言説がまかり通っていました。
― そういえば、八八年ごろまでは、韓国の方がより抑圧的な軍事政権であるかのように論じられていましたね。
関川 韓国は当時、全斗煥政権でした。政権を執ったとき、彼はすでに軍人ではありませんでした。しかし、韓国の知識人が全斗煥は軍国主義者であるかのようにその人物像を歪め、これに日本側が追従したのです。
― 歪められた物語を信じてしまうのは、日本人の病気でしょうか。
関川 むしろ韓国の病気です。韓国の知識人が嫌悪するのは、独裁者ではなく実務家です。彼らは空理空論家が大好きです。朴正熙大統領が批判されたのは、彼が実務家だったからです。また韓国でも左翼こそ正統だと信じられ、同時に北朝鮮は日本に抵抗運動をした人々がつくった国であるという伝説が流布しています。もとを正せば、韓国人が戦争をしたことがない、革命をしたことがない、そうした自信のなさから発した物語です。
― 韓国知識人は北朝鮮に対しコンプレックスがあるのですか。
関川 はい。だから北を敵対視していた朴正熙が大嫌いなのです。実際には彼の方がずっと社会主義的でした。こうした歪んだ意見が日本に入って、日本の不勉強なインテリが鵜呑みにし、朴正熙は非民主的な右翼だという誤解が日本国内でも広がったのです。
儒教が生み出した抗日意識
― 関川さんの関心のひとつであった、日本と朝鮮との相性の悪さは何に起因しているのですか。
関川 朝鮮は儒教の国ですが、日本はそうでないからです。
― 儒教文化と日本社会が相容れないということですか。
関川 朝鮮の儒教では、あの世という概念がありません。死者はずっと現世に漂っていると信じられています。現世が大切であるというのが儒教のポイントです。一方、日本では死者は自然界に還る、無になると信じられています。仏教が入ってきた結果、あの世を思い描くようになりましたが、日本人にとって、死者は無に帰すといった方がしっくりくるでしょう。
仏教で法事にあたる祭祀を儒教では行います。家族はご馳走を山と並べて死者をもてなします。死者も現世にいたころのように、飲み食いすると考えるからです。かつては祭祀料理を失敗したからと、自殺する主婦がいたほどです。
― 祖先に対して申し訳ないというわけですね。
関川 家格に悖る失敗だと考えるからでしょう。
― ソウルのような都市部でも、そうした儒教文化が色濃く残っているのですか。
関川 ソウルは古い町ですが、韓国はいったいに都市文化の歴史のない国です。江戸、大阪、京都にあったような都市文化がないのです。ですから、貨幣経済や流通といった商の仕組みを卑しいものと馬鹿にしてきました。その発想はもともと儒教に由来します。つまり、現代ソウル人も濃厚な儒教の影響下にあります。
― すると、朝鮮出兵を敢行した豊臣秀吉は、彼らにはなんとも野蛮な経済活動の権化として映ったかもしれませんね。
関川 元寇の際、元の尻馬に乗ってやってきた高麗兵に日本も酷い目に遭わされました。しかし、日本人はそれをことさら言い立てません。日本では元寇は歴史の過程にすぎないと認識しています。現代においてモンゴルや朝鮮を責めないわけですよ。今なお秀吉の朝鮮出兵を理由に日本を恨む人がいるとすれば、それは日本に対する民族差別の結果です。
国家より信頼に値する一族の存在
― 人間の死後のあり方のほかに、儒教的な価値観としてどんなものがありますか。
関川 朝鮮では、自分はメディアに過ぎない、つまり祖先から子孫へ血を繋ぐ伝達手段に過ぎないと考えられます。これは歴史的視点からも、各々が属する一族の視点からも、たいへん説得力のある教えです。メディアが存在しないと、歴史も一族も続かないからです。
― 一族が継続することが、朝鮮の人々にとって大きな価値なわけですね。
関川 同時に、朝鮮では家庭で親と子が争うことをしません。できれば、田舎の両親の家でずっと暮らしたいと若者は考えます。日本では親元を離れ、家を捨て、ほかに家をもちますね。近代日本文学をみても、家庭における父と子の闘いにそのテーマがあることが分かります。しかし、朝鮮でこれはありえません。家は安らぐ場所だからです。したがって、儒教の祭祀は全員参加です。都会で暮らす人々も祭祀には必ず田舎へ帰ります。祭祀は血族メディアたちのいこいの場であり、遠い祖先たちと息子や孫まで時間を超えてつなぐ場なのです。
― 日本のお盆の規模を大きくしたものですね。
関川 はるかに巨大かつ重要なものです。朝鮮がなぜ国民国家にならなかったかという理由もここにあります。メディアでつながれた拡大一族の方が信頼できるから、アカの他人同士の国民国家になろうというモチベーションが薄弱だったのです。
― 韓国はいまもって、その実態は国民国家ではないのですか。
関川 ええ。韓国に国民国家を築かなければ、北朝鮮にやられると考えたのが朴正熙でした。その試みがなかば成功したから現在の繁栄があり、それへの反動が金大中、盧武鉉政権です。
― 韓国の人々にとっては、戦争の脅威がある状況下でさえ、なお韓国の国民であるという認識よりも、一族のなかの自分という存在こそが重要なわけですね。そうした伝統をもたない日本人には、想像すらできない世界ですね。
関川 だから、あえて朝鮮人を理解する必要はないと初めに言いました。よくわからない文化をもった人々であるという認識さえもっていればいいのです。友好も差別も、意図的につくられた物語ですから。
北朝鮮に労働という概念はない
― 一方、北朝鮮は負けを覚悟の戦争を、なぜあえて仕掛けようとするのでしょうか。
関川 戦争で負け、北朝鮮が崩壊したら、北朝鮮人は韓国になれます。嫌がっているのは金正日だけでしょう。一般の人は黙して死を待つより、一か八かの勝負をして勝てばもうけもの、負けても韓国になれると考えはじめています。
― 世界には社会主義国も、共産主義国もほかにありました。しかし、北朝鮮だけが取り残されているかに映るのはなぜでしょう。
関川 北朝鮮に行くと、人間はここまで社会を駄目にすることができるのかと痛感します。それに北朝鮮はいわゆる社会主義国ではありません。金日成は北朝鮮を自分を族長としたひとつの村にしました。つまり儒教文化一族の拡大解釈です。しかし、これが絶対的堕落を生むことになりました。
― 絶対的堕落とはどういった状況なのですか。
関川 誰も人を信用しない。自国通貨さえも信用しない。その代わりに、コネだけが貨幣のように流通する状態です。有力者とどれだけ親しいかが、その人の生存線を決めます。相手を信用できないわけですから、そこに文化は生じません。
一般的な社会では、貨幣流通や物流ばかりでなく、あらゆる行為が見えない相手との信頼のうえに成り立っていますね。表現とか伝達という行為にしても、顔の見えない相手との間にも信頼があるから成立します。ところが、これが一切ない社会では、情報を伝達するメディアもない、芸術もない、そして産業もないわけです。誰も信用できなければ、ただ自分のコネにすがるだけです。
― 家族の間でも、夫婦間でもそうなのですか。
関川 ええ。中国の文化大革命の初期と同じですから、妻が夫を密告することさえありました。しかし、あの国にいちばん欠けているのは、労働という概念です。誰も信用しない以上、雇用も販路も信用取引もできない。製品をつくる技術そのものも存在しない。
大衆化の結果、人は盲目になった
― よくそれで生きてこられましたね。
関川 各国の援助があったからです。これが途絶えた途端に三百万人以上が栄養失調死したのは当然です。韓国は北朝鮮の実情を知ろうとしません。知りたくないのです。そして、そのまま民族主義にこだわりつづけます。実は北朝鮮政権に対して世界でいちばんシンパが多いのが韓国なのです。
― 韓国はこれからどこに行こうとしているのですか。
関川 安全保障についてはかなり不安ですね。北朝鮮をどうするのか、韓国には具体的な考えがありません。韓国大統領は金泳三のころからポピュリストです。民族主義を絶対善だとし、すべての同盟国よりも同民族を優先すると言いました。これは人類と人道に対する犯罪をおかしつづけている北朝鮮を擁護するという意味になります。韓国は民族主義にからめとられて、東アジアの安定に寄与し得ない状況にあります。日本は安全保障に関して、独自の考えを立てていかなければいけませんね。
― 私たちは、韓国や北朝鮮の姿を見誤ってきました。その原因は戦後教育だけにあるのでしょうか。
関川 日本の大衆化が進んだからです。民度の高い国は大衆化の道をたどります。日本で大衆社会が成立してから百年が経過しています。日本人は自らのことを馬鹿ではないと信じて疑いません。不勉強なまま、自分を馬鹿ではないと思い込めば、安易にマスコミの報道を信じます。テレビカメラが街頭に出て、道行く人にマイクを向ければ、誰もが発言します。けれどその内容は昨日新聞で読んだこと、テレビで観たことばかりではないですか。
日本の場合、メディア間で論調に差がないことも問題です。せいぜい朝日新聞と産経新聞ほどの差しかない。こんな狭い範囲の中でしかマスコミは報道をしません。テレビの場合はほとんど同じといっていい。さらに、テレビのニュースショーでは、泣いたり怒ったり皮肉をいったり、報道に味付けをします。テレビの報道が新聞報道に比べ、より架空の物語になりやすいゆえんです。
文学は時代精神の証言者である
― 日本の大衆化には百年の歴史があるとおっしゃいましたが。
関川 たとえば武者小路実篤を読めば分かります。大正八年の秋、彼は『友情』を発表しました。時は第一次世界大戦直後の大正バブル末期です。明治的国民国家の枠組みへの反動として、自由主義と自我発露主義が現われ、コミューンを志向します。『友情』はコミュナリズムの最先端でした。
― 「新しき村」の実現ですね。
関川 ええ。十九世紀の終わりにイギリスでは、緑が豊富な郊外で、人々がゆったり暮らすコミュニティづくりが盛んになりました。ロンドンやマンチェスターが公害都市になったことへのアンチテーゼでした。これが日本にも少し遅れて入ってきました。初めは徳富蘆花が個人農園をつくり、そこからヒントを得た実篤が、農業を基本にして、労働と芸術が融合されたコミュニティをつくろうとした。これが「新しき村」です。
もうひとつの流れが学園都市です。同じようなセンスをもち、所得階層が同じ人が集まって、子どもたちとその学校を中心として街をつくりました。
「新しき村」や学園都市の思想的背景にあるのは何か。大衆化社会です。大衆化が進むなかで、有象無象と一緒にされたくないと考える者が現われ、ならば話が通じる者同士だけで暮らそうと試みた。もともと日本人は階級制に馴染まない民族です。明確な階級がない代わりに、知識格差による階層が求められたわけです。
― なるほど。文学作品から、日本社会の姿がのぞけるのですね。
関川 どの時代であっても、文学にはその時代の最先端の思想が現われます。つい最近、トラウマものがはやりました。あれも現象としての思想の最先端でしょう。これがなぜ一九九〇年代の日本で流行し、なぜ廃れたのか、そこに当時の日本社会のあり方の反映があるはずです。今なら純愛ものですか。なぜ「冬のソナタ」や『世界の中心で愛を叫ぶ』といった御都合主義がうけたのか、文学は時代精神の証言者でもあるのです。
― 現在の韓国でも当然大衆化が進んでいますよね。
関川 韓国ではもっとひどいですよ。大衆化社会のうえに民族主義が乗っていますから。中国も同様です。民族主義という物語でまとめなければ、社会そのものが動揺します。民族主義を保つには、敵をつくらなくてはいけません。日本を敵視し続ける理由はそこにあります。
やりきれないと感じるかもしれませんが、世界とはそんなものです。せいぜい他人の尻馬には乗るまいと自戒するほどのことしか我々にはできないかもしれない。もし、もっと冷静になりたければ、歴史書を読み返してみるのがいい。歴史には、繰り返すある種の法則があります。これをこころえ、自分なりの野太い歴史観をもっていればそれでいいのです。
― たいへん貴重なお話がうかがえました。本日はお忙しい中、ありがとうございました。
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