CCI

 7月号 No.672




新世紀への提言

日比 孝吉
 めいらくグループ代表取締役会長

1928年静岡県生まれ。終戦焦土の中から行商・露天商でスタートし、「最高の品質を最低の価格で」をモットーに、コーヒー用生クリーム「スジャータ」、コーンポタージュ、IFCコーヒーなど数々のヒット商品を生んできた。
 熱心な天理教信者でもあり、その教えを経営の中で実践している。また、健康と波動に関する研究施設を社内に設立し、著書に『波動を知って100歳を得よう』がある。

  


わが身を支える人こそを
大切にする経営の意味


 日本国内で一日に飲まれるコーヒーは三千万杯だと言われる。この消費量に対し、めいらくグループは一千万杯分のコーヒーフレッシュを生産する。
 同社はまた、牛乳ビンから紙パックへの切り替えや、ロングライフパックの開発においても、国内の乳業界で初めて成功し、その先見性、商品力には定評がある。
 ヒット商品を生み続ける企業の力の源はどこにあるのか、めいらくグループを、乳業界で日本最大の販売網をもつ企業に育てた日比孝会長にお聞きした。

行商、露天商から覚えた商売

― 従業員数三千名、年商は一千億を超えるめいらくグループですが、創業者である日比会長の経営哲学、企業としての強みなどについて、今日はお話をお伺いしたいと思います。まずは、創業当時のお話をお聞かせ下さい。

日比 創業は昭和二十一年十二月で、私が十九歳の時でした。終戦間もない頃で、日本国中が食うや食わずの時代です。浜松にあった私の家も同様でした。名古屋の工業高校を卒業した私は、一家八人を支えるために行商を始めました。自転車にゴムひもや文房具を積んで近隣の農家を回る毎日です。一家が明日食べていくためだけに働きました。
 行商で商売を覚えた私は、その後露天商を始めました。ある時、冷凍機を扱っていた商売仲間が、「名古屋でアイスキャンディー屋をやらないか」と声をかけてくれて、私たち家族は浜松から名古屋へ出てきました。

― フレッシュクリームを始めたのはその後になるわけですか。

日比 ええ。昭和二十四年に、生クリームの製造工場を買ってくれと持ちかけられたのがきっかけです。アイスキャンディーでたまたま成功しましたから、生クリームも面白そうだと興味をもったのです。

― しかしその後、事業が伸びていった要因はどこにあったとお考えですか。

日比 日本経済の成長の波にうまく乗れたのでしょう。とりわけ、戦勝国の食文化が日本にもたらされたことが幸いしたのだと思います。日本が連合国に負けたのは、体力の差、食生活の差だと言われ、戦後日本人は畜産物をそれまで以上に食べるようになりました。酪農も盛んになり、また、レストランや喫茶店も次々にできて、乳製品の需要も増えました。外食産業の成長と機を一にして、フレッシュクリームの製造販売を始め、周囲の状況に後押しされたのが大きかったと思います。

― では、シェアがここまで伸びるとは当初お考えではなかったと。

日比 大きな仕事になるとは予想もしていませんでした。当時の業界はベテランの先輩方ばかりで、駆け出しの私は顧客一人持っていません。荒波に小舟一艘で乗り出す気分です。毎朝四時に起きて牛乳をセパレータにかけ、分離してフレッシュクリームを作り、売りに出ます。喫茶店に飛び込みで営業して、一日一本でもいいからとお願いしますが、大きなお店になると先輩業者の守りが固く、簡単に買ってくれません。セールスと配達を終えて、会社に戻ってからは帳面の整理と回収ビンの洗浄です。気がつけば夜中の二時をまわっていることもありました。
 売上を伸ばそうと努力はするのですが、簡単にはいかず借金取りに追い回される日々もありました。自分の意志で飛び込んだ世界ですが、辞めてしまおうかと挫けたことも一度や二度ではありません。ただ、何とか母を楽にしてやりたい一心でした。

部下の成長が
自分の成長につながる


― その後、家族経営から人を使うようになって、新たなご苦労があったのではないでしょうか。

日比 戦前は物がなくて人が余る時代でしたが、戦後は人が足りなくて物が余る時代でした。中学校の卒業生が「金の卵」と言われたほどです。零細企業によい人材は来てくれません。私どもの商売は朝が早いうえ、生きものの乳牛を相手にするから年中無休です。しかも配達する牛乳ビンも重くて重労働です。若い人は誰しも敬遠しました。

― 大企業とは違い、人の出入りも多いでしょうから、採用した人材を育て、また留める苦労もありますね。

日比 親御さんからお預かりした大事な若者ですし、彼らの学校の先生からは「お前はうちの生徒を幸せにすると保証するか」と詰め寄られたこともあります。私は今に至るまで、部下が成長した分だけしか、自分の成長はないと考えています。また、自分が成長しなければ、部下の成長もないと考えています。
 やっとの思いで初めて採用した二人の社員をあえて夜学に通わせました。仕事を終えた二人が夜学へ行った後、私は彼らの手袋を洗い、配達用の自転車の手入れをしました。私がしていたことを、その二人も知っていてくれたのでしょう。追加の注文が入ると、どちらが配達に行くか喧嘩になるほど、彼らは精を出して働いてくれました。

― 遠く田舎から都会へ出て就職した若者が多い時代でしたね。

日比 ええ。私どもに限らず、その頃の中小零細企業はどこでも、自分の家に若者を住まわせて、食事や洗濯など身の回りのことをして、一緒に働いたと思います。たいへんな時代ではありましたが、人間関係の絆も強かったと思います。

― まさに同じ釜の飯を食べた人間関係が、企業の成長の過程で、その骨格となっていったのですね。三千人の従業員を抱える今は、人材育成についてどうお考えですか。

日比 当社では、社員研修の一環として、希望者には天理教の修養科で三ヶ月間学んでもらっています。
 私の父母は天理教の熱心な信者でした。その母が六十三歳で突然亡くなった時に、私は天理教本部に行き「なぜ信仰深い母がこんなに早く亡くなってしまったのか」と聞きました。答えは「人が亡くなることには神の思惑がある、宇宙の摂理がある」というものでした。その時、私は気づいたのです。私が真剣に天理教を信仰していれば、私の信仰により母は亡くならなかったかもしれない。天理教ではこれを「因縁に勝つ」と言います。そこで「逆境こそ天の配剤」と悟り、ひたすら前向きに歩む生き方を学びました。これは、環境の変化に常に対応しなければならない、企業経営にも通じていると、私は思うのです。

― 修養科で、社員の皆さんは何を学んでくるのでしょう。

日比 「天の理」つまり宇宙の在り様の中で、自分がどう生き、どういう実践をすることで、いかに自己と自己が関わる社会をよい方向に変えていくかを学びます。企業活動に置き換えれば、経営も従業員もともに汗にまみれて切磋琢磨することで、会社を良い方向に持っていこうということです。私どもの社是では、「報恩・奉仕・繁栄」を会社の在るべき姿として、「互いに素直に信じあい助け合っていこう」を合言葉にしています。

― 「和を以って尊しとなす」など、聖徳太子の教えを、経営哲学に取り入れている経営者もいらっしゃいます。経営側が一方的に従業員の頭を押さえつける社員教育や、経営状況が悪化するたびにリストラを繰り返し、従業員を切り捨てる経営では、長い眼で見たら、企業の成長にはならないのかもしれませんね。

日比 当社にも一応の定年制度はありますが、定年後なお会社に残りたければ、いつまでも働いてもらっても構いませんと、従業員には言っています。古い社員には、そのノウハウを若手に伝える「語り部」としての役目があると思うのです。お客さんにも同じことが言えるのではないでしょうか。小口の取引で、コストを考えたらたとえ割に合わなくても、昔からのお得意さんがあるからこそ、今の私たちがあることを、企業は忘れてはいけないと思うのです。

お客様が喜ぶことを実践する

― めいらくグループは乳業界で初めて、牛乳ビンから紙パックへの切り替えを行いました。その辺りのご事情をお聞かせください。

日比 昭和四十五年頃、乳業界は依然過酷な労働条件の下にありました。牛乳ビンは保温性もよく、経済的だったとはいえ、配達するには重くて、配達後も空き瓶を回収しなければなりません。どうにかしてこの状況を変えたかったのです。
 はじめ、紙パック方式を取り入れたのはヨーロッパでした。回収の要らないワンウェイ方式ですから、牛乳は牛乳販売店でなく、次第にスーパーで売るようになりました。これを見た日本の通産省が国内のメーカーに奨励したのですが、大手の明治さんや森永さんも手をつけませんでした。導入へのコストが掛かり過ぎるというのがその理由です。
 当時、紙パックにはドイツ製のツーパックとアメリカ製のピュアパックの二種類がありました。メーカー側の年間コストで言えば、従来のビンが三百万円なのに対して、ツーパックは六百万円、ピュアパックが二千万円です。しかし、紙の加工方法もパックの形状の工夫もピュアパックの方が優れていて、ツーパックより丈夫でした。我が社でもどちらを選択するか検討を重ねましたが、ピュアパックにすべきか、ツーパックにすべきか結論が出ません。

― コストにそれほど差が出ると、経営としては悩みどころですね。

日比 そこで、普段教えを請うている天理教の先生に相談したところ、「お客様はどちらを喜ばれますか」とおっしゃいます。「丈夫で使いやすいピュアパックです」と答えると、「それなら何も聞くことはないでしょう」と返されました。その方は牛乳パックのことも、経営のこともよくご存知ありませんから、私も事情を説明しました。「ピュアパックにすると費用が掛かります」。しかし、「損をするのはあなたでしょう。あなたが損をしても、お客様に喜ばれることがいちばんいいことなのですよ」その言葉にハッとして、私はピュアパック採用に踏み切ることができたのです。
 結局、中京地区でピュアパックを採用したのは私どもだけでした。同じ選択肢を迫られ、お客様のメリットよりも経営コストを優先して、ツーパックを採用したメーカーはその後消えていきました。

― 算盤勘定でなく、お客様の視点に立つことが、いかに大切かという教訓ですね。長期的な視点から見れば、経営サイドの算盤勘定が合理的でないことがあります。自分にとっての算盤が、お客様にとっても同じ算盤であるかを、経営者は常に意識しなくてはいけませんね。
 めいらくさんのロングライフ技術も、乳業界にとって大きな技術革新だったと思いますが。

日比 ロングライフ技術とは、ひと言で言うと、商品の劣化速度を遅くする技術です。賞味期限を長くすることができ、消費者により安全な商品を提供できます。
 牛乳は殺菌方法により、低温殺菌、高温殺菌、超高温殺菌などに分類されます。現在市販の牛乳の九割が超高温殺菌に属し、百三十℃前後で殺菌処理されています。ロングライフも超高温殺菌なのですが、さらに高温の百四十℃で瞬間的に殺菌します。その後、無菌充填し、菌や紫外線を通さないアルミ五層の紙パックで販売されています。

― この技術開発のきっかけは何だったのですか。

日比 昭和四十年代後半、協同乳業の工場に伺った折、屋外に置いてある機械に眼が留まりました。同社の専務に伺うと、乳業界にとっての二十世紀の傑作で、一週間で腐る牛乳が、防腐剤を入れずに一か月もつと言うのです。これがロングライフ滅菌機でした。
 しかし、技術的課題が多く、どうしても大腸菌が紛れ込んでしまうので、同社ではメーカーに返却するとのことでした。私はこれを譲り受け、アメリカの機械メーカーに持ち込んで修理しました。さらに試行錯誤の上、昭和五十年にロングライフ工場を完成させました。

ロングライフ技術がもたらした商品力

― 今ではアルミ紙パックはさまざまな製品に展開されています。

日比 私はこの技術革新が、新たに三つの革新をもたらしたと思います。第一に商品革新です。私どもでは、スジャータ、ポタージュスープ、オレンジジュース、豆乳など新しい商品開発につながりました。
 第二に、流通革命です。毎日の配達が二週間に一度でよくなりました。これは、労務環境の革新でもあります。定時出勤体制の確立、週休二日制の導入を業界に先駆けて行えました。
 第三に容器革新です。これはスジャータのポーション容器が典型です。

― スジャータは、めいらくさんの大看板ですが、ポーション容器開発も、おっしゃる通り画期的なものでしたね。

日比 ロングライフ工場を稼動した年に、コーヒーフレッシュ用のミニテトラパックを開発してくれと依頼がありましたが、ずっと見合わせていたのです。ところが、翌年の元旦、どうしてもミニテトラのアイデアが頭にちらついて離れません。めいらくが世のためになる仕事だと天に告げられた思いでした。その日のうちに幹部会にはかり、ポーション容器の開発に取り掛かりました。
 通常、商品開発をする場合は、プロジェクトチームを作り、マーケットの大きさや設備投資の額、商品の形や中身、販売方法などを綿密に調査しますが、この折は何の準備もありません。発売にこぎつけたのは、決定から三か月後のこと、母の十年祭の日でした。ロングライフ技術があったため開発費が掛からなかったこと、さらに大ヒットとなったことは、まさに僥倖だったと思います。

― スジャータという名前は、すでにコーヒーフレッシュの代名詞という感があります。

日比 名前は社員から募集しました。今から二千五百年前、長期間の修行の末に疲れ果てて休息していたお釈迦様に、牛乳を差し上げたインドの娘の名前がスジャータといったそうです。この逸話にあやかり、コーヒーをよりおいしく召し上がっていただきたいという願いが込められています。

― 顧客への想いと、変化を厭わないスタンスが貫かれていますね。今のめいらくグループの強みは何だと、会長ご自身はお考えですか。

日比 まず、殺菌技術だと思います。ロングライフ滅菌機の保有台数は世界一になりました。近年、食品の安全管理、衛生管理に関わる問題が取りざたされていますが、菌に強いことが、うちのいちばんの強みではないでしょうか。次に、製造直販システムを整え、冷蔵冷凍車で工場からお客様までいち早くお届けできることだと思います。

― 先ほどお話いただきましたように、高い殺菌技術を備えていることが、新しいヒット商品開発にもつながっているように思えます。

日比 無調整無菌の豆乳も当社の殺菌技術の賜物です。今の健康志向、本物志向の中で、売上を伸ばしています。また、「スジャータTOMI」という商品があります。ソフトクリームの温度がマイナス四、五℃、アイスクリームがマイナス二十℃ですが、この商品は中間のマイナス十二℃で、ソフトクリームより溶けにくく、アイスクリームよりなめらかな食感が味わえます。「ソフトアイス」の愛称で、今人気の商品のひとつです。ここにも、私どもの無菌技術が活きています。

― 業務用の商品ですか。

日比 はい。抽出機とともに業務用に販売しています。ワンカップ方式でロスが出ないこと、操作が簡単なこと、機械の洗浄が不要なこと、一台で豊富なバリエーションのソフトアイスが抽出できることなどから、徐々に市場を拡大しています。

人を助けて、わが身を助く

― めいらくグループでは、五十歳以上の方を対象に、無臭にんにく「蓬莱」を無償で配られていますね。

日比 現在、二十四万人の方へ配布させていただいています。

― お値段が決して安いものではないと思います。ざっと見積もっても億単位のコストが掛かっているのではないでしょうか。

日比 当社は現在テレビコマーシャルをやっていませんので、宣伝活動の一環と考えています。また、一人でも多くの方に健康であっていただきたいという、私の想いからやっていることです。中には「タダでは受け取れない」と言う方もいらっしゃいますが、「スジャータ製品を見かけたら使ってください」とお願いしています。
 当社製品にはアホエンという成分が含まれています。昨今、市場には数多くのにんにく製品があり、にんにく由来成分もその研究が出尽くしたと思われていました。そこに発見されたのがアホエンです。当社ではこの抽出技術、痴呆症予防、ピロリ菌撃退、脳卒中抑制、糖尿病予防などで、八つの特許申請があります。
 今後、百万人までは、無償でお配りしたいと考えています。

― お客様の心を掴むために、文化活動や財団活動など、日本の企業もさまざまな取り組みをしていますが、めいらくグループのこうした宣伝活動は、消費者の心にストレートに訴えかけているように思います。

日比 ありがとうございます。人間は体に何も悪いところがなければ、百二十歳まで生きるとも言われます。人の健康に寄与することが、自分たちの商品の購買につながれば、宣伝費としては決して高いものではありません。「人を助けてわが身を助く」の言葉は、企業活動にも言えるのではないでしょうか。

― バブル崩壊後の低迷から、日本経済は今立ち直りの兆しを見せていますが、その要因には、お客様や従業員など人を大事にする日本的経営の見直しがあるのかもしれません。本日は貴重なお話をありがとうございました。


  




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