CCI

 5月号 No.670




新世紀への提言

藤森 照信
 建築史家

東京大学生産技術研究所教授。工学博士。1946年茅野市生まれ。71年東北大学工学部建築学科卒。78年東京大学大学院博士課程修了。83年『明治の東京計画』で毎日出版文化賞を受賞。「建築探偵団」や「路上観察学会」を結成し、ユニークな調査研究活動を展開。86年『建築探偵の冒険―東京篇』でサントリー学芸賞。97年「ニラハウス」で日本芸術大賞。また建築家として、屋根にタンポポを生やした家や砦のような美術館など、自然素材を多用したユニークな建築を次々に発表。2001年「熊本県立農業大学校学生寮」で日本建築学会賞作品賞を受賞。

  


住む人が誇りを持てば、
街は自ずと魅力的になる


 日本中で街と人との関係が希薄になっている。信州においても然りである。
 藤森照信さんは世界や日本各地の建築物を巡り、卓抜した観察力、広範な学識経験を生かした調査報告をしている。そのユニークな着眼点を活かした著書「建築探偵シリーズ」は大好評を博している。
 また、赤瀬川原平氏や南伸坊氏らと「路上観察学会」を結成。路上に隠れ潜む建物や看板などから、時代や人々の暮らしを博物学的視点で解読する知的遊びを行っている。
 街の魅力とは何か、またこれからの街づくりについて、藤森さんにお聞きした。

建築には博物学的な知識が必要

― 藤森さんは「建築探偵」として、日本の建築物のあり様を素人にも分かりやすく教えてくれます。藤森さんが建築に興味を持つきっかけは何だったのですか。

藤森 僕が生まれた家は茅野市にあり、江戸時代の建物でした。小学校二年の時これを建て替えたんです。家を壊すところ、また建てるところを一年間、間近で見ました。手伝いも山ほどさせられました。面白かったですね。あの経験が大きかったと思います。

― その後、具体的に建築を意識されたのは、大学進学時ですか。

藤森 ええ、高校生の頃には建築に進もうとはっきり意識しました。建築はなんとなく選択する人が少ない分野なのです。工学部の中でも、電気や化学と違って、この学科は建築に目的意識をもった学生が多いのです。

― 建築学科は工学系なのに、科学だけでは収まらない学問分野ですものね。

藤森 それも高校時代に憧れた理由です。他の学問と違って実用一点張りでなくて、建築には創造性があると思いました。しかも基礎となる学問領域が広い所がいいなと。

― 藤森さんは、建築以外の専門分野の本についても書評なさっていますね。

藤森 建築に携わる人間は、政治も経済も、技術も、文化芸術も分からなくてはいけません。古くはギリシャやローマ、日本では法隆寺が建てられた頃のことを学ぶのに、文科系の本もかなり読みました。

― たとえば、なぜ桂離宮が美しいのか、なぜこうした空間ができあがったかを理解するためには、背景にある歴史や文化について知識が必要ということですか。

藤森 ええ。だから、学者に限らず一流の建築家はみな歴史に詳しいんですよ。磯崎新さんなど、僕らと対等に歴史を語ります。世界に出ればなおさらで、文学や芸術を語れない建築家は馬鹿にされるほどです。

人間活動と投資の総和が
街の魅力を決める


― 藤森さんが読者をうならせるのは、普段見過ごしてしまいそうな何気ない構造物に目を留めて、その息遣いを聞かせてくれるところです。建築観察だけでなく、路上観察もユニークな試みですね。

藤森 私の専門はもともと明治以降の建造物です。研究対象を街の中で探していると、昔の煙突とか門扉とか火の見櫓とか、現代の生活には使われないような変わったものが目につきます。知人の赤瀬川原平さんなど、マンホールの蓋にまで関心を持つ方で、いっしょに二十年近く路上観察を楽しんでいるわけです。
 大きな都市でも人が生活を送っているところには、目を引くものがありますよ。また、長野県にも見るべきものが多いですよ。仲間も皆感心しています。

― 信州がもつ自然の風景がなせる業でしょうか。

藤森 もちろんそれもありますが、長野県の人が思っている以上に、信州の街並みはお金をかけてつくっているからだと思います。

― 最近の巨大投資ではなく、継続した昔からの投資という意味ですね。

藤森 ええ。街の魅力を決めるのは、人と資金の二つです。資金とは、有史このかたその地に投じられた資金の総和のこと。その都度の投資額はたとえ小さくても、年を経ればそこへ利子が上乗せされます。つまり、有史以来の、その土地での人間活動と投入資金の総和が豊かならば、街は人を惹きつけます。京都がいい例でしょう。
 長野県でしたら、とりわけ明治以降の生糸の富が大きかったことが街から汲み取れます。

― 岡谷の片倉製糸、上田の笠原製糸などが代表でしょうね。

藤森 また、街道沿いの街にも往時はお金が落ちましたから、その蓄積が大きいですね。奈良井宿などは見事な宿場です。観光客が出歩かない早朝や黄昏どきには、この街に暮らしている人たちが出歩くだけですから、街の本来の姿が見えます。歩いていると夢のような心地になりますよ。

― 生活の匂いも路上観察のテーマなのですか。

藤森 生活そのものは「生もの」ですから、路上観察のテーマから外しています。生ものは体に悪いですから(笑)。でも、生ものがつくり出す「匂い」みたいなものが絶対あります。木曽路はそんな「匂い」の宝庫ですね。

優れた建築にはオーラがある

― 藤森さんは研究の対象として、日本の洋館をよく取り上げられます。今日本には洋館がどれくらいあるのですか。

藤森 建築史的に価値のあるものは千個ほどです。残念なことに、いいものが次々に壊されましたから、ずいぶん数が減りました。

― 同じ洋館でも、記念館として保存されているものと、現に使われているものとではやはり趣が違うものでしょうか。

藤森 後者の方が建築史的に価値があるのですが、極めて珍しい。洋館を建てるのは、近代において開明的な人でした。その文化や伝統が世代を超えて現在まで継承されていることに価値があるわけです。その点、小諸の柳沢邸や、小山敬三画伯の実家などを見ると、長野県の文化を高めてきた要因を知ることができます。

― 建築から経済、文化を説く。「建築探偵」ならではの考察ですね。ところでヨーロッパでは、昔の建築物であっても、その設計者の名が明らかになっていて、観光案内でも紹介されます。日本とは発想が違うようですね。

藤森 ヨーロッパの場合、十五世紀以降は、建築家が個人名で仕事をしています。ミケランジェロが誰に依頼されて何をつくったか明確になっています。日本ではこれが明治以降です。明治以前に建築家個人の名が出たのは、東大寺を再建した重源という僧、他に小堀遠州、利休ぐらいです。こうした人を除くと、日本の近代までの建築は皆歴史的に無名の棟梁がつくっていました。

― 日本とヨーロッパの文化の違いでしょうか。

藤森 日本との違いというより、ヨーロッパが世界的に特異なのでしょう。古くはローマのウィトルウィウス、さらに遡ってギリシャでも、建築家が個人名で仕事をしていました。日常的に建物を鑑賞する習慣があるのもそのせいでしょう。
 また、ヨーロッパ人は他地域の人々と比較しても特に、自分たちの都市の歴史や成り立ちを誇りに感ずる傾向があります。ドイツのフランクフルトなどは、第二次世界大戦で壊滅しましたが、これをそっくり当時のまま再現しました。

― 初めに建設された時の資料が全部残っているわけですね。

藤森 それに基づいて当時と同じ技術で再建しました。素人目には、昔の写真と全く同じに映ります。

― 街に対する愛着というだけでは済まされない想いですね。

藤森 はい。街の姿、都市の姿が、自分たちの拠り所であり、都市を見れば、そこに暮らす人の人柄が分かると考える。イギリスではさらに、家の中を見ることは、その人の頭の中を見ることと同じだという解釈すらあります。日本でもかつては、「家褒め」「庭褒め」といって、建築や庭を鑑賞しつつ、主人の感性を褒めたり、茶室の調度で主人の人物を見ることがあった。それが教養でした。こういう種類の教養は復活した方がいいと私は思います。
 衣食住の中で、文化的に最も贅沢なのは住です。お金だけでなくて、文化的な意欲がなくてはいけない。

― 確かに、どれほど優れた建築家に依頼しようと、施主のセンスが問われますものね。

藤森 建築家に誰を選ぶかで決まりますよ。小布施では、宮本忠長さんに頼みましたよね。彼は長野県に居ながら全国区の建築家です。彼が関わったからこそ生まれた魅力を、外から小布施を訪れた人は感じ取っています。

― 栗の小径など歩くと、宮本さんは足元のまとめ方が上手だなと感じます。奇をてらわずに、小布施の味を表現しています。建築には素人の私たちでも漠として感ずることができる面がありますが、一方で専門家の方々は何をもって建築の良さを評価するのですか。

藤森 現代建築の評価は難しいのですが、基本的には、その建物に固有のオーラが出ているかどうかです。人の顔を見ると、その人の心身の健康状態が分かるのと同じです。優れた建物からは、その建築家にしか醸せないオーラが自然に外にあふれ出てきます。

― 建築に関してとりたてて難しい知識が要るわけではないのですね。

藤森 裏を返せば、知識がなければ、その良さを理解できない建築は駄目ですよ。建築物を評価する時も、美しい自然の風景を前に、誰もが感じるものと同じです。そこに在るべくして在る佇まいの良さを、その建築がもっているかどうかです。

異文化を併置する日本の不思議

― ヨーロッパの建物は、ロココやゴシックなどの様式の違いで語られます。この辺りも日本と違いますね。

藤森 日本の場合は建物の形は用途で決まります。城は城としてしか使わない、寺は寺、茶室もそう。数奇屋は住宅か料亭と決まっている。ヨーロッパでは、形は時代で決まります。ゴシック時代は寺でも城でも住宅でもゴシックです。ルネッサンス時代なら全部ルネッサンスです。

― 時代ごとに様式を変えた動機は何だったのでしょう。

藤森 ゴシックは中世の様式ですが、ルネッサンス時代の人はゴシック様式が嫌だったというよりむしろ中世が嫌だったわけです。

― 時代を否定するために、建物の様式が決まっていったと。

藤森 そう。ゴシックを否定しようとしたとき、ルネッサンスの人々はギリシャに範を求めます。しかし、当時ギリシャはイスラム圏でヨーロッパ人は行けなかった。だからローマを参考にしました。ローマを見てギリシャの名残を探し、ギリシャの文化芸術を再現しようとした。それがルネッサンスです。

― ヨーロッパに対して、アメリカはどうだったのですか。

藤森 アメリカ建国はイギリス人が中心でしたから、最初イギリス様式にしましたが、後にはヨーロッパから何でも取り入れました。日本も開国後、ドイツ様式もフランス様式も全部ごちゃ混ぜに入れました。だから、アメリカと明治以降の日本は、オモチャ箱をひっくり返したような街になっています。

― 日本の洋館を見ますと、和と洋が混ざり合うのではなくて、併置されていると指摘されます。言葉に関しても日本では漢字、ひらがな、カタカナを使い分けるように、外来のものと固有のものを区別しながら並列して置く土壌がありますね。

藤森 世界でも珍しい例です。たとえばイギリスは伝統的にゴシックの国です。イタリアのセンスがいいと移入しても、ゴシックの要素にイタリアの要素を混ぜてしまう。同じヨーロッパ文化圏だからだと思いましたがそうではない。和館のとなりに洋館を併置して応接間にする発想は、どこの国にもありません。二つの文化要素を並立させて一つの空間にします。これは、日本がユーラシア大陸の極東に位置し、これより東に文化の行き場がないからかもしれません。文化同士が殴り合いもしないし、互いに溶け込もうともしない。不思議な国です。

新石器時代の建造物は建築の原型

― 近代建築の他に、藤森先生が興味をお持ちの対象は何ですか。

藤森 新石器時代の建造物ですね。人類が身の丈を越えるものをつくり始めたのは新石器時代以降です。当時の建造物には、現代にいたる建築の原型みたいなものを感じます。柱として木や石を立てること一つとっても、旧石器時代の人類は決して思いつかなかった作業です。巨木や巨石を立てることに、新石器時代人のどんな意思があったか、とても興味深いです。

― 藤森さんが茅野の生まれで、御柱に馴染んでいらっしゃるせいもあるのでしょうか。

藤森 はは(笑)、そうかもしれません。諏訪地方以外の方は知らないと思いますが、御柱は諏訪大社四宮だけのものではなくて、その下に村の御柱があり、一族の御柱があり、家の御柱があります。子どもが主体性をもって取り組めるのは、一族の小型の御柱ぐらいまでで、成長を経ながらより大きな御柱を経験します。

― コミュニティーが全体として伝統を支えているわけですね。

藤森 そう。諏訪人が御柱なしではいられないのは、その暮らしに御柱が溶け込んでいるからです。諏訪人は七年目毎の御柱を単位として、自分や家族の人生を計ります。

― 諏訪の方にとって暮らしの一部となった御柱に対し、新石器時代人にとっての巨木、巨石にはどんな意味があったのでしょう。

藤森 新石器時代の人々が、巨木巨石に何かが宿っていると、考えたことは間違いないはずです。
 また、こんなことも考えられます。人間が直立するためには、奇跡的とも言える微妙なバランスが必要ですよね。しかし森を眺めると、同じことを自然に生えている木がやっている。なぜだか分からないが自分も立っているし、木も立っている。直立することへの不思議さが、自分たちの力で、木や石を立ててみようという関心につながったと考えられます。

― 直立歩行を始めた人間の本能みたいなものですか。

藤森 身体が無意識に持っている本能でしょうね。さらに、新石器時代の建造物は、おそらく太陽信仰と関係しているとも思います。世界的に言えることですが、旧石器時代の宗教と新石器時代の宗教には、決定的な違いがあります。前者においては大地が万物を生み出すものとされ、生命の循環に神秘を見ていた。後者では、ここに太陽の信仰が加わります。たとえば、エジプトのピラミッドのあの高さは、太陽に王の魂を届けるためだと言われます。ヨーロッパのスタンディングストーンも太陽の巡行を意識しています。縄文の遺跡からも、縄文人が太陽信仰を持っていたことを示す材料があります。
 木は太陽が上にあるから、まっすぐ上に伸びますよね。木が直立するための微妙なバランスをとっているのは太陽だと、当時の人は考えた。これが太陽信仰へとつながり、やがて人間を建築へと駆り立てたとも考えられるのです。

長野県では
木を本気で使ってほしい


― お話を現代に戻しまして、藤森さんが世界の中で、建築学的に面白いと思われる国はどこですか。

藤森 イタリアですね。次がスペインです。イギリスやドイツはこれに比べたら話になりません。イタリアが素晴らしいのは、ローマが土木帝国だったから、ほとんどの富を土木につぎ込んだおかげでしょう。ローマ時代に建てられたパンテオンの建造技術を、人類が超えられたのは、実に産業革命を迎えてからです。それほどローマの土木・建築技術は群を抜いていました。

― それに比べ、日本の街はオモチャ箱をひっくり返したようだとお話がありました。今後の日本の街づくりに関して、思うところをお聞かせください。

藤森 街並みを統一しようと考えるなら、材料を統一することだと思います。形を統一することにはさまざまな問題があります。材料ならそれが容易だと思います。木を使う、土壁にする、それだけでずいぶん違いますよ。たとえば木材だけで街のすべての建物をつくれば、形が相当違っても風景は馴染むはずです。森の中の植物があれほど多様でも、違和感なく見えるのは、植物が本来同じものからできているからですよ。

― 日本の今の街づくりが拙いのは、箱もののデザインから入ってしまうからではないでしょうか。住んでいる人の暮らしぶりや佇まいに優雅さがないと、街は魅力を持たないと思います。その文化をどうやって残していくかが長野でも課題でしょうね。

藤森 街の魅力を生むのにいちばん基本的なことは、自分が住んでいる場所に誇りを持つことです。長野県は恵まれている方ですよ。ただし、その魅力は自然の美しさによっています。他所に住んでみると分かります。長野県に入ったとたんに空気が違いますから。この恵みは自然の神様がつくったかけがえのない魅力です。大事にしないといけません。
 実際に建物をつくる際も、長野県は森林資源が豊かですから、本気で木を使うことを考えた方がいいと思います。街の佇まいを美しくするにとどまらず、木材を使おうとすれば山に手が入りますから、長野県の貴重な資産である山を守ることにもつながります。
 建築を志す若者も長野県に育ったのなら、山でいたずらすることですよ。木に触れれば木材の性質が自然に分かりますから。

― 長野に住む人々が、その地に誇りを感ずるようになれば、また新しい文化が長野に醸成されるかもしれませんね。本日はありがとうございました。


  




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