CCI

 6月号 No.659




新世紀への提言

浜田益嗣
株式会社赤福代表取締役社長

 昭和12年三重県伊勢市生まれ。慶応大学経済学部卒業後、株式会社赤福に入社。昭和35年同社専務取締役、43年取締役社長、現在に至る。公職として、伊勢商工会議所会頭、全国銘菓協会監事など。
 平成5年、第61回伊勢神宮式遷宮の折、「おかげ横丁」を誕生させ、以来地域の活性化と「伝統ある日本の暮らし」の体験の場づくりに努めている。

  


訪れる人を
幸せにしてあげる土地には、
活気が生まれます。


 伊勢神宮内宮へ向かう旧参宮街道の最終区間「おはらい町」に銘菓・赤福の本店はある。二〇年前、この店を訪れる人は年間二〇万人だった。赤福の浜田益嗣社長は、平成五年にこの町並みの一角二四〇〇坪の中に、江戸末期から明治期の伊勢の代表的な建物を再現した「おかげ横丁」を建設、三八店舗のほとんどを同社関連企業で運営している。
 町は一気に活性化され、今では赤福本店に年間三〇〇万人の人が訪れる。町づくりのあり方について、顧客満足を創出するビジネスのあり方について、浜田社長にお聞きした。



物語性のあるお土産には
感動がある。


― 私は名古屋駅に来るといつも赤福を買いますが、東京などのデパートから引き合いもあるのではないですか?

浜田 ええ、あります。でも伊勢の名物ですから、伊勢の土地でしか手に入らないお土産であることが大切なのです。

― お土産の物語性を大切になさっているわけですね。

浜田 はい。たとえば昔の駅弁には、その土地だけのものというのがあったわけです。このようなものが徐々に姿を消し、旅のお土産も何かのっぺりしたものになったと感じるのです。
 お土産には贈る側にも、贈られる側にも感動がなくてはいけないと考えます。そして、感動を生みだすには、物語性が必要だと思います。東京へ持っていけば、もっと売れるでしょう。しかし、赤福は近鉄の沿線、名古屋から神戸までしか置いていません。付加価値としての感動を損なわないバランスが大事です。

伊勢は日本の聖地にふさわしい
誇りのある町。


― こちらへうかがう前に、「おかげ横丁」を拝見しました。あの町も物語性をもった素敵な町ですね。町並みも板壁で統一されていて印象的ですが。

浜田 風雨の強い伊勢独特の建築方法で、鎧張りといいます。土壁を施した後、これが痛まないよう板で覆うわけです。

― この土地の味わいを演出した独特の雰囲気が流れていますね。
 ところで、「おかげ横丁」建設にあたってコンセプトとされたのは、御社の社是「赤心慶福」なのでしょうか?

浜田 はい。「赤心慶福」とは、まごころ(赤心)をつくそう、そうすることで素直に他人の幸せを喜ぶことができる(慶福)という思想です。新しいビジネスを展開しようというよりは、ここを訪れる皆さんに満足していただける町づくりを私はしたかったのです。
 先代であった祖母は「伊勢神宮にお参りにみえるお客さんを金儲けの対象にしているこの町の性格はいけない」と昔よく嘆いていました。
 この辺りでは、二〇年に一度の遷宮のときに町は生まれ変わるといわれてきました。昔から、遷宮を契機にして町をよくしようという考え方があるわけです。そこで六一回目の遷宮の折、かねて先代がこぼしていたこの町の欠点を正そうという思いで「おかげ横丁」を建設しました。

― 一企業で一〇〇億円を投じる町づくりを行うというのは、かなり珍しいことと思いますが。

浜田 この町も長野の善光寺さんも讃岐の金毘羅さんも、それぞれに日本の聖地なわけです。聖地にふさわしい誇りをもった町をつくらねばという気持ちがありました。お伊勢さんのおかげで商いさせていただいてきた赤福の十代目としての責務だと考えたわけです。

町づくりで問われるのは
センスと、もてなしの心。


― 長野県にも「おかげ横丁」と似たケースで小布施という町があります。個人の企業家が町づくりのモデルをつくってみせ、そのコンセプトやデザインがこだまのように町全体に広がっていく、これが町づくりの原点であるような気もしてきます。

浜田 「おはらい町」全体の修復に関しても、電柱の地中化や石畳の工事は、私共が作った基金で負担しています。大きなリスクを負わなくていいため、地元の他の商店の皆さんもコンセプトの統一された町づくりに積極的に協力していただけたのだと思います。「おかげ横丁」はそのきっかけになったのではないでしょうか。

― 善光寺の門前町である長野市に参考になるお話ですね。

浜田 やはり問われるのはセンスだと思います。誰かセンスのあるコーディネーターが一人でやるぐらいの覚悟がないとできないのかもしれません。多数決で決めることには限界があるのではないでしょうか。
 食べ物の商売をしていますが、味のよしあしは私が決めることにしています。味に多数決は絶対に禁物だからです。

― もしかしたら町づくりもそうなのかもしれませんね。

浜田 多数決をすればするほど、お客さま主体ではなく、儲けようとする町づくり、商売する側に勝手のいい町づくりになっていく気がします。

― そこにはその町の個性がないわけですね。横丁を歩いて感じたことは、飲食の店が多いということですが。

浜田 団体旅行よりも個人の旅行者にやさしい町並みにしようと考えたからです。

― お客さんがそれぞれ好きなものを、好きなスタイルで食べているところがいいですね。

浜田 団体旅行をターゲットにした観光地商売は、そのとき儲かったとしてもお客さんに不満が残ります。不満が蓄積すると次第に個人の旅行者は訪れなくなります。

― 「おかげ横丁」を直営でやられたことの理由はなんだったのでしょう。

浜田 先代が嘆いていたこの町の古い商売気質を革新して、ここへみえてくれた人が満足するもてなしの成功事例をつくりたかったわけです。

― 観光地商売へのアンチテーゼだったわけですね。オープンして一〇年を経過して、横丁内のそれぞれのお店で売上や収益等に差が生まれる頃だと思います。今後横丁に関してはどんな展開をお考えですか?

浜田 時代の変化に合わせ、業種などの組み換えも含め考え直さなければならない点もあるでしょう。

― たとえばどんな変化を浜田社長は想定していらっしゃるのでしょう?

浜田 団塊の世代と呼ばれている人たちは今五〇代の中ごろです。そうした人たちの五年後に照準を合わせた町づくりをさらに進めたいと思います。

アクティブ・シニアに
豊かな暮らしを提案。


― 団塊の世代が六〇歳になったときのマーケティングですか?

浜田 はい。団塊の世代とは、自分たちは会社に対して、日本経済に対して貢献してきたという自負が強い世代です。そんな彼らが五年すると定年を迎えアクティブ・シニアになります。体は丈夫で経済的にもゆとりがある、しかし精神的には老人にならなくてはいけません。あと一五年は病院や子どもたちの世話にならなくてもいい、しかし世間的には老人である、そんな世代をターゲットにできないかと考えています。

― そのマーケティングのキーワードは、何なのでしょう。

浜田 「暮らし」という考え方です。会社人間であった彼らに、個人としての人生を今後いかに楽しむかについて提案することがポイントです。言い換えれば、素朴な暮らしでも、家族が睦み合うことを大切にした日本人本来の暮らしの良さを再発見するということでしょうか。そうしたほのぼのとした日本人の暮らしの原風景をこの町につくり上げることが大事なのではないかと思います。

古くて新しい
よき日本の里のモデルづくり。


― そうしますと「おかげ横丁」とその周辺は、今後一〇年先二〇年先の日本の暮らしのあり方を先取りするというわけですか。

浜田 先取りというよりも、「もう一度、日本しよう」といった方がいいかもしれません。たとえば「住まい十職相談承り所」というプランをいま考えています。定年を迎えた人がまず考えるのは「変身しよう」ということです。書斎など自分の趣味の部屋を家の中に持とうと考える人も多いわけです。そのときに和の暮らしについてアドバイスできるデザイナーや大工、左官といった職人をそろえて、ここでリフォームなどの相談にのるわけです。そして、そうした人たちをネットで結び、和の暮らしの提案をしていくのです。一般の建築家と違う点は、完全にお客さんの立場にたって、暮らしそのものを見つめる機会を提供することです。

― ライフスタイルをマーケットとしてつくっていくというわけですね。

浜田 はい。その前段階として、昨年「おはらい町」に「五十鈴塾」というのをつくりました。五十鈴川の名前をいただいた学校なのですが、日本の暮らしを考えるアクティブ・シニアのためのカルチャースクール的な意味合いを持たせてあります。

― どんな講座があるのですか?

浜田 生活文化を伝えるもの、手習いなど暮らしの楽しみ方、また暮らしの演出の仕方、暮らしの高め方などです。「暮らっしっく日本」をコンセプトに、日本の暮らしに本来ある心地よさを体験していただく学校になっています。町並みの形成からライフスタイルの提案まで、「おかげ横丁」を核にした「日本しよう」のモデルづくりが発展していくのです。
 また、今後B&B(ベッド・アンド・ブレックファースト)形式の旅籠もつくろうと考えています。完全な日本建築ですが、サニタリー、プライバシー、セキュリティーは確保します。

― こちらもアクティブ・シニアをターゲットにしたものですか?

浜田 はい。この横丁の住人をつくるという発想です。お伊勢さんに参り、五十鈴塾で学び、町を散策し、住民として楽しんでくださいという町にしていきたいわけです。

― 夢のあるお話ですね。「住まい十職」の方々ももちろんそこに関わるわけですか。

浜田 旅籠は「住まい十職」のモデルルームとしても位置づけたいと思っています。

― なるほど、手がける職人によってそれぞれコンセプトもデザインも少しずつ変わった部屋になるわけですね。

浜田 それでいて、和の空間としての統一感を持たせます。

― 泊まった部屋が気に入れば、自宅のリフォームにも活かせるわけですね。

浜田 はい。お客さんができるだけ安く自分の家を自分なりに改造するためのお手伝いをすることに、大きな意義があると思うのです。

― 社長の構想は、赤心慶福の新しい形での具現化なのですね。

浜田 私はこの地によき日本の里のモデルとして、「五十鈴の里」というのをつくりたいのです。日本の伝統というのではなく、日本人が千年の間に身につけた体臭のようなものを顕在化したいわけです。

― 内宮の環境そのものも、日本人の原始の記憶を目覚めさせる空気がありますね。

浜田 そう。日本人の体質といいますか、DNAのいちばん奥深いところを揺さぶる力が、お伊勢さんを中心にしたこの町一体にあるのかもしれません。
 この町が今後目指すのは観光ではなく、「生活の一部」の舞台となることです。

人が歩くことへの優しさをもった町。

― 地域性に付随する感動を守ることは大変なことかもしれません。しかし長い目で見ると、こちらが正解なわけですね。そして、それは町づくりにも共通することですか。

浜田 はい。土地の記憶、個人としての記憶が感動を呼ぶのだと思います。そうしないと、お客さんが落ち着かない、ほっとしない、愛着が出ない、そんな町になってしまいます。ハウステンボスが失敗したのもそのためではないでしょうか。さらに町づくりでは、道の広さも大きなウエイトを占めます。歩くのに心地よい道の幅でなくてはいけない。人が歩くことへの優しさをもった町でないと、人は訪れないでしょう。

― 「おはらい町」は昔からこの道幅だったのでしょうか?

浜田 江戸や明治の頃の街道と比べれば、道幅は広くなっているはずです。大正か昭和に拡幅したのでしょう。でも、右の店にも左の店にも寄って歩ける幅にとどめていて、散策が楽しめるわけです。

― 江戸時代、誰もが街道を往来していたころは、この町にも旅籠が数多くあったのですか?

浜田 御師というのが六〇〇ほどあったといいます。善光寺でいう坊や院と同じです。御師は参詣者の案内、銀行、神宮の官職、そして旅館の四つの機能を兼ね備えていました。六〇〇の御師がそれぞれに全国に顧客のテリトリーをもっていたといいます。ところが、明治の太政官布告で御師は廃されました。御師が民衆をまとめ上げ、「おかげ参り」の勢いを持って大きな勢力となることを政府は恐れたのでしょう。

二十一世紀のそろばんを持つこと。

― 赤福本店とその周辺の町並みも時代の波に洗われてきたわけですね。そうした眼で見たとき、善光寺周辺の町づくりについてどうお考えになりますか?

浜田 日本史をひもといても、過去の積み上げからだけでは時代の大きな変革には、絶対に至らなかったのではないかと思います。未来というものを洞察し、そこに地域がベクトルを合わせて初めて、過去の発想からは思いもよらない変革ができるのです。

― 今までの門前町のお土産屋さんのものの見方では通用しないということですか?

浜田 はい。出来高積み上げ方式ではこれからの時代はうまくいきません。大胆な予測をして、その仮説と現状をどうドッキングさせるか、その才覚が問われていると思います。
 日本は長い右肩上がりに慣れすぎて、管理者の世の中になってしまいました。管理者は過去の成功事例、失敗事例を全部ものさしにします。どちらかというと過去志向です。一方経営者は絶えず未来の状況変化を想定し、それぞれの場面での活路を見いだすものです。
 今の日本で求められているのは、青写真を描けるプランナーではないでしょうか。

― それは日本全体にも、地域においても、またどんな業種の企業においてもいえることですね。

浜田 まったくその通りです。善光寺周辺の町づくりにしても、未来をどう洞察するかに重きを置くことが大切なのではないでしょうか。この地域で日本に誇れるものは何なのか、それをもっと伸ばしていくことを、未来発想でクリエイティブに行うわけです。

― 浜田社長のような方がひとつのサンプルとして提示したモデルが、地域を変えてくれるということ、その持っている意味を感じてくれる空気が社会に必要なのでしょうか。

浜田 もうひとつ、よき時代の日本の国民の気風をとどめておくことも大切だと思います。会話をする、それによって心を開く。伊勢にはまだそれが残っています。

― 伊勢参りの伝統なのですね。

浜田 やはり、心を開くための会話というのは、非常に大きな資源だと思うのです。この地域ではそうした資源を活かして、アクティブ・シニアをターゲットとした半滞在型の町づくりもできます。そこに新しいビジネスチャンスも生まれるわけです。

― 善光寺門前にもそうした可能性があるのかもしれません。

浜田 大いにあると思いますよ。世の中の多くの人は、純粋に暮らしのなかで幸せになりたいと願っている共通点があるわけです。それをとらえ、幸せにしてあげられる土地ならば、きっと活性化されるでしょう。

― それは目先のそろばんではできないことですね。

浜田 二十一世紀のそろばんは二十世紀のそろばんとは違うのかもしれません。ゆっくり流れる時間のなかで、心が豊かになる地域をつくるのに必要なのは、ハイテクではなくローテクです。わたしはローテク先端企業を目指していきます。

― 訪れる人を幸せにすることが、地域の元気にもつながり、自分たちの幸せにもなるのですね。御社の社是「赤心慶福」を学ばせていただいた気がします。本日はお忙しいところありがとうございました。

 

  





[会議所だよりトップに戻る] [長野商工会議所トップに戻る]

ご意見・ご感想を下記へお送り下さい
長野商工会議所  〒380-0904 長野県長野市七瀬中町276
電 話:026-227-2428/FAX:026-227-2758
E-mail:ncci@nagano-cci. or.jp

copyright