CCI

 7月号 No.636




新世紀への提言

伊藤みどり 氏
プロスケーター(プリンスホテル所属)

 1969年愛知県生まれ。4歳からスケートを始め、小学5年で世界ジュニア選手権に出場し一躍脚光を浴びる。88年カルガリーオリンピックでは5位入賞。92年アルベールビルオリンピックでは「トリプルアクセル」を決め銀メダル。98年長野五輪では聖火台に点火する大役を果たす。現在プロスケーターとして「プリンスアイスワールド」に出演、ショーアップされた華麗なスケーティングを披露する傍ら、スケートの解説者としてマスコミでも活躍。自らの経験を踏まえた解説が好評を呼ぶ。

  


転んでも立ち上がればよい。
失敗を恐れるな!の精神で
挑んだトリプルアクセル。


長野五輪で聖火への最終点火。
善光寺平が一望できました。


― ずっと名古屋のご実家にお住まいで、今は東京や横浜と往復の生活ですね。ふだん練習はどこでやっていらっしゃるのですか?

伊藤 名古屋です。アマチュア時代と変わらない環境で、ずっと山田満知子コーチのもとで一日二時間くらいは練習していますよ。プリンスアイスワールドの公演が入れば、もちろんできませんが…。

― 公演は、どんなペースなのですか?

伊藤 年間、十一都市で九十公演くらいやっています。夏休みなどは一週間もスケジュールが続くんですよ。長野へは毎年二月にお邪魔しています。

― 長野の印象はいかがですか?

伊藤 長野は第二のふるさとだと思っているんですよ。長野冬季オリンピックでは、最終点火者をさせてもらいました。最終点火者は一人ですから、考えてみれば、五輪出場よりも難しいのでしょうね。大切な一生の思い出です。

― あの時の心境は、いかがでしたか? 卑弥呼のようないでたちでしたね。みんな、驚きました。

伊藤 大変な名誉だと思います。古代日本をイメージさせる創作衣装に身を包み、荘厳な感じでした。ふつうは走って点火ですが、衣装にがんじがらめになって、動くのは点火する右手だけなんです。紅白歌合戦の小林幸子さんや美川憲一さんのような感じですかねえ(笑)。衣装には、スキーウェアを着て入りました。最終点火者というだけでドキドキしていましたし、ものすごく高い聖火台でしたから、上にあがった時、長野の町並み、善光寺平が目に飛び込んできたのを今でも思い出します。

― 最終点火は、オリンピック開会のクライマックス。見ている側も目に焼き付きますよね。

伊藤 私が選手の時も、聖火が燃え上がる光景を見る時こそ、「よっしゃ、頑張ろう」と、気合いを入れる瞬間でした。私も、選手も観客も燃え上がるような大会になるよう祈りつつ、火をつけさせていただきました。その意味で、たかが火をつけるだけの行為ですが、大きな役割を与えられたと感じたのです。

― 長野の魅力は、どんな点ですか?

伊藤 食べ物では、おソバやオヤキ、漬け物…。善光寺や各地の観光地…そして、お酒。風景も、食べ物も、素晴らしいところですね。実は私、おソバ屋さんのノレンが揺らめいていると、ついつい入っちゃう位、大のソバ好きなんですよ。外国へ出ても、その土地ならではの料理は本当に美味しいですし、魅力がありますね。

おしゃまなスケート少女。
トリプルアクセルへの道。


― 体力や技を維持するために食事などには気を使っているのですか?

伊藤 美味しいものをバランスよくいただくことが体力の維持につながると考えています。公演が一日二回、一週間続いて週末になると、まあ飲み過ぎには気をつけようくらいのブレーキをかけて…(笑)、という感じですね。

― スポーツ選手にありがちな食事を我慢するというストレスは、あまりためていないようですね。

伊藤 フィギュアスケートは優雅に見えますよね。でも、ものすごくハードなんですよ。食べなきゃもたないし、パワーが湧きません。二時間の公演が一日二回もあると、もうヘトヘト。相当なエネルギーを消耗するのです。

― スケートを始められたきっかけは?

伊藤 たまたま実家がスケートリンクの近くで、母に連れられて、そのスケートリンクへ行ったのがそもそもの始まりです。毎週遊びに行くようになって、そこで山田先生のスケート教室の練習風景を見たのです。私も、ああやってジャンプしたりクルクルまわりたいなあ。ミニスカートはいて、自由に滑りたいな、というあこがれがありました。山田先生は、それぞれの生徒たちの持ち味を、十二分に引き出してくださいました。クルクルまわってばかりの私でしたが、山田先生は、私に内在する力を鋭く見つめていらしたのだと思います。

― どういうお子さんだったのですか?

伊藤 リンクの上でいつもピョンピョンはねる落ち着かない子だったですね(笑)。

― そのピョンピョンが、フィギュアにつながった(笑)。すごくわかりやすいですね(笑)。最近は二世選手が多いですが、伊藤さんのご両親はスポーツ選手ではなかったのですね。

伊藤 多少、母が滑れたからリンクへ連れていってくれた。それだけです。そうやって始めたスケートで才能を伸ばせると導いてくださったのが山田コーチでした。

― 伊藤さんといえば、アルベールビル五輪での三回転半(トリプルアクセル)で一躍、世界にその名を轟かせましたね。トリプルアクセルを生み出すまでのご苦労は、どんなでしたか?

伊藤 初めて飛んだのは十五歳の時でした。ところが試合で飛んだことがないので、なかなか認められませんでした。そしてそのシーズン最後の世界選手権の直前、足を骨折してしまったのです。「幻のトリプルアクセル」がずっと続きました。そりゃもう、悔しいの毎日。精神的な苦しみと肉体的な痛みで、どん底状態だったのです。でも、足をちゃんと治して人一倍練習をすれば、光が見えてくるはずだ。そう自分に言い聞かせました。そして、カルガリーオリンピックで五位になり、世界ツアーに参加できたのです。そこで見たのは、男子がトリプルアクセルをがんがん飛んでいる光景。それを見て、「私だってずっと以前にやっていたのだ」と奮い立つものがありました。名古屋へ帰って練習を再開しました。でも、一般的な国際大会で飛んでいるだけでは、まだギネスブックには載りません。カルガリーの翌年、世界選手権で飛んだらギネスブックに載り、世界チャンピオンにもなれました。これが自信につながっていきました。

小学時代から山田コーチ宅へ居候。
辛さを耐え、自信につなぐ。


― フィギュアスケートというのは表現力、優雅さ、美しさを求められる総合的なスポーツですね。

伊藤 そうです。三回転半を飛んだからといってチャンピオンになれるわけではありませんが、三回転半を世界に見せることを目標に練習に励みました。芸術性と美しさは、そのあとで磨き上げるという感じでした。自分でも分からない持ち味を先生に引き出してもらったのであり、もし違うコーチについていれば、もっと違ったスケーターになっていたでしょう。

― スケートとの出会い、山田コーチとの出会いが伊藤さんの人生を決めたと言っても、過言ではありませんね。

伊藤 小学一年生の時から、親元を離れ、山田先生のお宅へ居候の生活でした。親元を離れた寂しさよりも、好きなスケートができる喜びのほうが大きかったので、ずっと山田先生と練習に励めたのだと思います。リンクに行くと鬼コーチ。でも家に帰ると、もう一人の母のような存在でした。ですから私は母親が二人もいる幸せ者なんです。山田コーチのお子さんとは同い年で、本当のきょうだいのように育ちました。端から見ると家庭が二つもあるような、変わった環境ですね。でも私の中では違和感なく、両方の家庭を受け入れられるのです。両親も、山田コーチも、私も、同じ思いを共有できたから同級生たちと違う生活ができたのだと思います。環境に慣れるって、すごいな、と思いますね。

― やめたいと思ったことはありませんでしたか?

伊藤 壁はいっぱいありました。やめたいと思ったことも数知れず。中学時代など、同級生たちは自由気ままに遊べるのに、私は毎日リンクの上です。仕方ないからリンクで遊んで、よく「練習しなさい」と怒られました。でも、大きな大会が近づくと、やはり勝ちたいという思いが強くなるんです。中学時代は思春期の身体の変化で太ってしまい、骨折もしました。そういう時に、心のコントロールと体の維持をしながら辛さに耐えていました。焦りすぎてもダメ、かといって、もうやめようと放り出してもダメ。当たり前のことですが、けがをしたらしっかり治し、立ち直ったら、これまで以上に練習するぞ、という意気込みです。母親同然の山田コーチが、いつもそばにいてくれることも、励みになりました。その繰り返しで、困難を幾度も乗り越えてきました。高校生になると心と体のバランスがとれてきて、意欲的になってきたように思います。そのころ、受験や伸び悩みでやめちゃう仲間もいました。難しい時期にうまく乗り越えられたことがよかったと思います。その積み重ねの成果が、先ほどお話ししたように、まずカルガリーで生かされたのです。

― その辛さを乗り越える踏ん張りが実績に結びついているのですね。

伊藤 やめるチャンスはいっぱいありました。けれど、スケートという一つの道を歩き続けてきた。そのことを私は誇りに思っています。現役で活躍できる期間はとても短いのがフィギュアスケートという世界です。若いママさんたちには知られていますが、今の子どもさんたちは「伊藤みどり、だれ? どこのおばちゃん?」という感じでしょ(笑)。でもね、思うんです。青春期にスケートを頑張ってやってきたという消すことのできない道があるかぎり、現役を離れても違った形で自信と頑張りにつながっているんです。

転ぶことを恐れるな、の精神で。
失敗は「成長の母」ですね。

― 山田コーチは、どのように指導されたのですか?

伊藤 技術だけ指導するのではありませんでした。スケートを通じて人間形成を培ってくれる、コーチというよりむしろ教育者のような存在でした。私もいずれ、そんなふうに若い世代と接することができたらいいなあと思っているんです。でもね、まだまだ子どもたちから、「みどりさん、飛んでくださいよ。転んでばっかりいなくて…」なーんて、言われるんですよ(笑)。まだまだ若い人からパワーをもらって、もう一踏ん張りしようという欲はあるんですけどね。

― 転ぶと痛いんでしょうね。

伊藤 小さい頃から転び慣れていますから(笑)。転ぶことを恐れていたら、華麗でダイナミックなジャンプもターンもできません。人生も同じではないでしょうか。精一杯チャレンジしようと思えば、失敗はつきもの。順風満帆でも、必ずピンチはやってきます。そこで見切りをつけるかどうか。ここが分かれ道ですね。私の場合は、トリプルアクセルで花が開きました。数々の失敗、スランプという「肥やし」があったればこそです。見切りをつけず、困難にめげずに成功したのだと、私は思っています。いくら努力しても報われないことだってあります。でも、そこで懸命に努力したということは、自分の財産にもなります。そのつらい経験が、やがて他のことに挑戦するときに役立ってくると思うのです。失敗は成長の母、ですね。

― リンクに出る前の緊張感というのは大変なものでしょうね。

伊藤 何度やっても緊張します。それに打ち勝つのは練習しかありません。あれだけ練習したのだから、という自信で望む。成功したときの達成感、やり甲斐は、言葉に表せません。思わずガッツポーズが出ちゃいます。ましてオリンピックは、四年に一度。その時の失敗は、ずっと後悔として残ります。ですからカルガリーでトリプルアクセルを成功させた時の銀は、私自身には満足なプレーでした。

― ところで、五輪選手は現役を退くと、やり甲斐を失いがちですね。伊藤さんはプロとして、現役時代よりも多忙の毎日ですが…。

伊藤 プリンスアイスワールドという国内で唯一のプロのチームに所属しながら、まだまだ技を磨きたいと思います。でも滞空時間やキレは若い頃と段違いですね。でも表現や味は、若い頃はまだまだ未熟。力ではマイナスですが、歳を重ねるごとに出せる芸術性や味わいみたいなものを追求していこうと思っているんです。アマチュア時代は二回転では世界に行けません。いくら美しくても、三回転飛べないとオリンピックには出られません。でもプロの場合は、むしろ個性と美しさを見せていく世界なんです。言い換えると、内面的、精神的なものを、どうフィギュアで表現していけるかなんですね。

年齢を超えてスケートを楽しもう。
二月の世界選手権(長野)は楽しみ。


― 伊藤さんは豊富な海外経験をお持ちです。お国柄が演技に対する反応の仕方に感じられることはありますか?

伊藤 フィギュアスケートはヨーロッパが発祥地、アメリカでもメジャーなスポーツです。アメリカでは、素晴らしい演技にはスタンディングオーベーション。下手な演技にはブーイング。ヨーロッパはお行儀がいいのですが、それでも、いい演技には拍手喝采してくれます。そういう反応に、ずいぶん助けられました。それぞれのお国の文化も考え、たとえばアメリカでの競技にはアップテンポのノリのよい音楽で滑るとか、ヨーロッパでは気品のあるクラシック調にするなど、選曲も工夫もしました。和風の音楽で、日本文化を意識したプログラムも披露することがありましたよ。

― 長野県はウィンタースポーツが盛んですが、最近は、スキー客が激減しています。不況のせいもあるでしょうが、世界的にもウィンタースポーツが足踏みしている面があるように感じます。伊藤さんは、どんなふうにご覧になっていますか?

伊藤 多様化時代になり、ほかに楽しみが増えてきているからでしょうかね。オリンピックなどがあれば人気があがり、そして将来のメダリストを目標に、多くの子どもたちが、その世界に飛び込んでいくのではないでしょうか。ちょうど東京オリンピックの時の女子バレーボールがそうでしたね。その意味でも、私たちがもっとスケートの生の迫力と魅力を伝えなければと思います。ショーアップされたフィギュアを生で楽しんでもらうために、全国をまわっているところです。臨場感を楽しんでもらって、なおかつお客さんともふれあうプログラムです。

― フィギュアは、年齢に関係なく楽しめるスポーツなのですか?

伊藤 競技の場合でも四十代の現役選手もいます。楽しんで滑るにはお年寄りにも人気があるんですよ。ペアでも滑れます。フォークダンスのような感覚でアイスダンスも楽しめます。健康法にはおすすめです。

― 今後、長野での公演予定はおありですか。

伊藤 ええ、ソルトレークシティ五輪が終わる来年二月には世界選手権が長野で開催されるんですよ。世界のトップスケーターの滑りが長野で見られるということは幸運なことです。その前に私たちの公演も行われます。ちょっと先の話ですが、みなさん、ぜひ足を運んでくださいね。

― はつらつとした伊藤さんから私たちもパワーをもらったような感じです。これからも素晴らしい演技を見せてください。一層のご活躍を期待しています。お忙しい中、有り難うございました。





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